36.乃愛の護衛

 父と相馬パパを襲った事故が、まだ調査中。

 だからなにかを知ろうとしても、いまは知ることは出来ない。さらには深入りはするなというシド大佐からの忠告――。

 それは葉月お母様から告げられた『そっとしておきなさい』にも当てはまるものだった。


 大河も茫然としている。殉職した父親を持つ娘が妻、その妻の哀しみに日々寄り添ってきた夫としても黙っていられない想いをぶつけたはずだが思わぬ回答、やるせない顔になっている。だが、気を取り直した大河は、シド大佐へと答える。


「わかりました。上層部で『まだ結論は出ていない』という状態でしたら、下に居る自分たちはなにも言えません」

「そう考えていてほしい。ただし。俺もな……。相馬を俺たちから奪った事故のことは、常に心の片隅に置いている。忘れた日なんてねえよ。それだけは……。あのDC隊最高のバディといわれた男ふたりの子供たちであるおまえたちにも、知っておいてほしい……」


 シド大佐がどうして……。乃愛と大河を気に掛けてくれるのかわかった気もした。親しくしていた男たちを打ちのめした出来事だったから、シド大佐自身も、未だに心を傷めている。敬愛してきた男たちの子供だから、こうして構ってくれているのだろう。


 そう思うと、いちいち乃愛と大河を見つけては近寄ってくることも、有り難く思えてきた。

 そこで会話が途切れた。世羅少佐が箸を取ったので、そこで皆が箸を取って無言で食事を開始する。


 乃愛は和定食の端っこにあるだし巻き卵を箸でとり、あーんと口を開けて頬張った。

 なんだかな。卵焼きってどうしてかな。お母さんが作ってくれたものを食べたいと思っちゃうな。航海中はそんなことを思ってしまう食べ物のひとつだった。


 そんなシド大佐も、乃愛が目の前で卵焼きを頬張ったからなのか、ご自分も食事を開始していちばんに箸を向けたのがだし巻き卵。


「はあ、これ食うと、陸に帰りたくなるのなんでだろな」

「えっ、一緒なんですけど! いま私もそう思っていたんですけど!」


 卵焼きを頬張ったまま驚き顔を向けると、シド大佐も箸を止めて目を見開いている。


「ってことは乃愛の母ちゃん、優乃香の卵焼きを思い浮かべていただろ」

「はいっ。甘いけどちょっとしゅっぱいかんじのが母のです。え……。大佐もまさか、『だし巻き卵は母の味』と思ったということですよね。お育ちは日本ではなかったですよね……?」


 思わぬ意思疎通だった。さらにシド大佐がいつものニヒルな笑みを浮かべ、『ふふん』とばかりに卵焼きを頬張った。


「母親が御園系列の事業をしていたんで、生まれた時から『日本仕様』で育てられていたんだぜ。俺、子供のときから、朝飯は納豆とかあたりまえ。だし巻き卵も大好物だからな」


 金髪男性が『納豆も平気』と胸を張った。意外なお育ちに驚きつつ、乃愛はさらに踏み込む。


「もうそのときから、御園家とゆかりがあったわけなのですね。だから日本語もお上手なんですか」

「日本に馴染ませようと、母親と仕事仲間のおっちゃんたちが、最初に俺に『日本を知る』教材として持ち込んで来たのが、『時代劇のDVD』だったからな」

「じ、時代劇……? それで日本のことを? 時代が遡りすぎじゃ……」


 そこでおなじ和定食を食べていた世羅少佐が、ふっと笑みを浮かべたのを見てしまう。常にクールに固めているお顔をついに崩したのだ。しかも大河までもが『なんで時代劇』と噴き出していた。


「俺、最初、『かたじけない』とか『ござる』とか言いだしたもんだから、親たちが笑うんだよ。ひでえだろ。日本の教材として見せておいてさ」


 金髪の子供が『かたじけない、ござる』と言いだしただろうシーンを思い浮かべ、ついに乃愛も噴き出しそうになって、なんとか卵焼きを飲み込んだ。


「えー! それでも、ちゃんと直してもらったってことですよね」

「いやあ。最終的には直されたんだけど、俺がもう武士ぽくないと気に入らなくて。親たちが後になって『失敗した』と通常の日本語を教え込むのに四苦八苦していた時期があったよ。でもそのおかげで俺、侍最高になって、軍人を目指すことになったんだ。時代劇で侍かっけええ。黒髪の着物美人といつか恋をしてやるとか、めちゃくちゃはまってしまったからさ」

「黒髪着物美人と恋したかったんですか!」


 こんなに美形オジサマなのに、恋人の噂もないシド大佐。そんな彼から『俺の女性の好み』が出てきて、乃愛はおもわず興奮してしまった。すごい本心を聞き出したような気持ちになった。


 だがもう、隣の大河が『すみません、すごいギャップで我慢できません』とけらけらと笑い出す。でもシド大佐は怒りもせずに、なぜか得意げになっているし、世羅少佐もにっこり笑っていてびっくりする。


 面白おかしく話していたシド大佐だったが、急に……、だし巻き卵を箸でつまんだまま、優しげな眼差しになった。


「いま。その最高峰にいる黒髪着物美人は、フロリダにいるフランクの母なんだよな。お母様は、だいたい着物でいるんだ」


 そこでやっと卵焼きを、シド大佐が頬張った。


 着物美人はもう恋の対象ではなくて、尊敬するお母様ひとり――ということらしい。


「フランク元大将、フロリダのお父様の奥様は日本人だったんですね」

「そっか。乃愛の世代になると、もう父の家族構成なんて知らねえか。フロリダの養母は御園家とも親しい細川家の親族だったから、葉月さんとは姉妹みたいに仲がいい。縁が深いんだよ。お母様は普段も着物でいることが多いお嬢様育ちだからな。めっちゃ上品でこれぞ大和撫子。俺の理想」


 お母様が理想になっちゃってるのか――と、乃愛はなんともいえない笑みしか浮かべられなかった。これか、これが結婚できない理由なのか? とんでもなく意外なお姿をまた見ちゃったという戸惑いだった。


「でも、卵焼きってなるとな……。エリーの親父が焼いてくれたヤツが、俺のおふくろの味になっちゃってんの。ガキのころに朝飯を作ってくれていたのは、そのオジキなんで。艦に乗っていると、なんであの、無口で愛想がない、しかも手厳しいオジキの味を思い出しちゃうんだろうなあ。子供の時によく食べていたものって不思議だなあ」

「エリーのお父様が、大佐が子供のころにお世話をしてくれていたんですか。エリーはマイアミで育ったと聞きましたけど」

「オジキと俺の実母が若いときは、イタリアとフランスあたりを拠点にして事業を展開させていたんだ。俺はそこで母とオジキたちと暮らしていたんだけどな。エリーの父親『エド』は、たまに滞在したフロリダで彼女の母親と出会って、エリーが生まれたんだ。内縁の妻的なかんじで、妻はマイアミで子供と生活。父親は世界を駆け回る単身赴任ってかんじだったんだ。俺はたまたま実母と一緒にいることで、エリーの父親といられたんで。そんなわけで、子供のころから、エリーとその弟妹とよく会うこともあって幼馴染み。いまは一緒に新島で互いの仕事をしているってカンジだな」


 なるほど、なるほど。やっとシド大佐とエリーの関係性がわかったと、乃愛も納得。

 ここまで親しいならと、乃愛は心に引っかかっていることを大佐に尋ねてみることにした。


「あの、大佐。エリーと親しいならお伺いしたいのですが……」

「うん? なんだ。あいつと連絡が取れないこともないけど」

「その、御園のお父様から出された宿題について。杉谷にも説明してもかまいませんか?」


 ここまで聞かされて、大河も気にしないはずがない。

 できれば相棒で幼馴染みの彼には、ある程度のことは理解しておいてほしいからだ。しかしどこまで明かしていいやら。そこを確認しておきたい。


 シド大佐が少し考えて黙っていた。だが次に乃愛を見据えた時に、はっきりと答えてくれる。


「わかった。杉谷限定な。エリーに連絡が取れたら伝えておく。そして大河は乃愛から聞いたことは、そのまま胸にしまって見守るだけにしてくれ」


『御園のお父様から宿題を出されている』と聞いただけで、大河は『最後の非番の日に御園家となにがあったか』気にしたはず。それを知る許可を得られて乃愛はほっとしたし、大河もシド大佐の言葉に『はい、承知しました』と神妙な面持ちで頷いてくれた。


 なんだかんだで、シド大佐の軽妙な話題振りで、乃愛と大河は笑いながらの食事を今回も過ごしてしまったのだ。

 最後、シド大佐が笑わせてくれたのは、『俺、子供の時になりたかった職業が忍者』――だった。もう大河と大笑い。でも世羅少佐が言うには『大佐の鉄板ネタ』とのことだった。


 こちらも遠い存在で畏怖していた大佐だったのに。だんだんと馴染んできて恐ろしいくらいだった。

 他の隊員たちの目線も『なんであんなに気に入られているんだ』という様子が伺える。だが、さすがにシド大佐に睨まれたくないのか、誰もなにも言ってこない。今回はシド大佐の権威が乃愛を護ってくれているように思えた。やはり、父の友人だから?


 乃愛と大河が一足先に食事を終え、『お先に失礼いたします』と席をたつ。大河と共に食器を返却口へ返して、カフェテリアを後にする。





「ほんとうに、大佐のイメージが変わってしまったな。でもな……。今回、俺と乃愛のそばにワザといるような気もするんだよな」


 先輩上官として、時に鋭い見解をする大河の言葉に、乃愛も『もしかして』と気がつく。


「そうなのかな。……やっぱり、厄女と言われていること、不倫の噂が流れたこと、大佐も気にしてくれているのかな」

「おまえに噂が立たないよう、迂闊な隊員へと牽制しているのかもししれない。言われやすい乃愛を標的にして、自分の不満をぶつけるようなやつらを抑えて、いつも以上に統率をはかろうとしている? 『厄女と訳もわからないことを言いだすヤツは覚悟しておけ』と――。だとしたら、俺たちも、今後も大佐が同席を願ったら、自然なふうにして受け入れていたほうがいいかもな」


 そして最後に大河が笑う。


「大事な俺たちの娘――とか言っていたよな。艦長室に呼ばれた時。あの人にとって、友人の娘は、自分の娘みたいに思っているんだろうな。最初に食事の同席した時にさ、『父ちゃんと娘と息子みたいだな』って……。なんだよ、もう。独身のくせして。お父さんになりたい願望がすげえよな。いつも真顔の世羅少佐が、気を抜いて笑顔になるのも驚いた。なんかもう、俺、あの人のこと大好きになっちゃったよ」


 お父さん願望全開の大佐が、乃愛だけではなく、大河のことも『お父さんと息子みたいだろ』と近寄ってくることが、大河も嬉しくなってきたようだった。


「それより。黙って聞いていたけどな。エリーとか宿題とかなんだよ」

「ああ、そうだった。話すと長くなるから、ということと、御園のお父様が絡んでいるから、報告に迷っていたんだよ。許可が出たから伝えておくね」


 どこか人が聞き耳を立てないところで話したいということになり、乃愛と大河は人気が少ない場所へ移動する。巡回ルートの途中にある、フライトデッキへとあがる鉄階段の踊り場で、周囲を確認してから向き合った。


 そこで潮風の中、バディの彼にひと通り伝える。

 戸塚中佐との噂について気にしてくれた海人先輩が連絡をくれたこと。御園家側が自宅へ招待してくれたこと。そこでエリーと出会ったこと。そして隼人お父様からの『宿題』についても。

『乃愛が厄を引き寄せたと言われているインシデントの統計を取る』という課題と調査を、御園家長男の海人先輩と一緒にすることを命ぜられたこと、司令の御園中将もその場にいて情報開示の許可をしてくれたことを伝えた。


 大河も驚き、でも、彼も興味を示した。


「それ、面白いな。つまり乃愛が乗艦していた時に起きたインシデントが、巡回航海ではよくあることなのか、それとも……。考えたくはないが、おまえの周囲にだけ起きていることなのか、ということだよな」

「もし……。私の周囲にだけ起きているとしたら、怖いよ。でも、厄女と言われるようになったのは何故か知りたい。ほんとうにお父さんが殉職者を出した隊員だったことだけで、厄女と言われたりする?」

「軍人なら、殉職者の功績は讃えて然るべきの風潮なのにな。まるで取り返しがつかない失敗を犯したバディみたいにバカにしているかのようで、俺だってずっと胸くそ悪かったよ。そのデータ集計で、本当に、本当に、おまえの周りにだけインシデントが多かったら……? それがわかって、御園中将も、元准将のお父様もどうするかってことだろ」

「そうなんだよ……。だから、知りたい、調べたい。それから考えたい」


 大河も『そうだな』と納得したように頷いてくれる。

 だがそれは、航海から帰還してからとなる。


「やっぱり……。おまえ、シド大佐が警護してくれてんじゃねえの」

「そうなのかな……」


 乃愛も口にはしていないが、感じていることではある。

 ウィラード艦に配属されてすぐに、乃愛の目の前で三原少佐が海中へと不審者につきおとされた。乃愛の救助で事なきを得たが、その次には『戸塚中佐と不倫をしている』という噂がたつ。戸塚中佐が狙われているとも考えられるが、乃愛も標的にされている可能性があるのだ。

 だからなのか。シド大佐は、乃愛といることを大々的にアピールをして、誰も近づかないよう、軽口を叩かないように、牽制しているようにも思えてきた。


 もうひとつは、乃愛と大河が安全保全巡回のシフトと、シド大佐の巡回がほぼ被っていること。艦内巡回をしている通路でもよく出会う。食事が一緒になりやすいのも、大佐側のこの行動からもきていると感じ始めている。

 警備隊は警備隊でがっちりシフトが組まれている。だがシド大佐と世羅少佐はシフト外のようで、比較的自由に動き、臨機応変に行動しているようだった。もともと部隊長でもあるので、思うところがあるのかもしれない。



 その後、航海は順調に遂行していき、無事に西南沖パトロールも終え、ウィラード艦は帰路へと辿る。復路の途中、高知沖で補給艦と接触、物資の補給が行われた。

 さらに帰路でも領海のパトロールも兼ねて航行。あと少しで小笠原諸島へと辿り着く――。


 高知沖にて補給艦と接触。物資補給から、五日ほど。

 艦の中で感染症が発生。感染罹患した乗員を確認。そこから五人、十人と増えていった。衛生隊により隔離を行ったが、各セクション、一人二人と感染者が出ては、五人十人と増えていく。

 艦の予定は、あとは帰港するのみ。予定変更はない。しかし新島軍港に到着しても、これでは入港できない可能性が出てきた。


 そのうちにまた出てきたのだ。

『やはり、DC隊に厄女がいたからだ!』――という言葉が、艦内で復活、駆け巡り、乃愛の耳にも届いた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る