35.大佐は友人

 無事に出港、ウィラード艦は新島の軍港から離れ、航路は西南方面、沖縄へと進路を取る。


 乃愛も白い正装から、いつものカーキー作業着に着替える。DC隊用の装備とライフジャケットを身につけ、業務に勤しむ日々が始まった。


 新型艦の航行は滞りなく進行していた。乃愛と大河も慣れた業務ながらも、思わぬ事件と噂騒動があったために慎重にと気を引き締めて艦内保全に努める。


 慣れた業務なのだが――。

 今回はやはり、いつもとちょっと違うと感じることがひとつ。それは毎日、シド大佐が近いこと。


 艦内保全巡回の業務と器具点検を終えて、乃愛と大河のバディは詰めているセクションそばのカフェテリアで食事をとることに。


「いまのところ、なにも不穏なものはなさそうだな。いつもどおりの巡回航海で終わってくれるといいな」


 大河はひと息ついて、そんなことを呟いた。

 お馴染みのポジションで、彼と一緒に並んで昼食を取る。大河と劣らずに、乃愛も和定食セットをもりもりと食べる。


「ここまで順調だよね。新しいこの艦も不具合など起きずに航走しているようだし、沖縄の西南海域をパトロール航行の後に折り返し。高知沖で補給艦と接触、通常の巡回で終わりそうかな」

「油断は禁物だけどな。でも、出航前におまえとクインさんの変な噂が流れたおかげとは言いたくはないが、浮ついた若い乗員にも活を入れられたから、統率もばっちりだ。それに、シドさんもいるからなあ」


 とか言いながら、大河が食事を始めたテーブルの位置から、カフェテリアをキョロキョロと見渡した。


「今日は、いないようだな」

「あはは……。そう毎回は、ねえ」


 幼馴染みバディのふたりが気にしているのは、『シド大佐』がいないかどうかだった。


「俺たちがカフェテリアにいると、絶対に俺たちの席に来て、一緒に食べようとするだろう。このままだと二日に一度のペースになりそうだぞ」

「いえ、もう、良い虫除けというか、変な口悪叩くやつらもいなくなって助かってますけどねえ」


 そう、出港してから今日まで、シド大佐が一緒に食事をしようと、何度も現れるようになったのだ。


 DC隊本部室と、警備隊本部室が近いために、利用しているカフェテリアがおなじになることが多い。

 そうすると、シド大佐が世羅少佐を連れた状態で、乃愛と大河を見つけるとすっとんでくるように……。

『一緒にメシを食おうぜ。父ちゃんと娘と息子みたいだな』とか言って、必ず同席にしようとする。


 そんなシド大佐のことを世羅少佐はなにも諫めず、いつも真顔で従っている。だが食事が終わると『子供っぽい方で申し訳ない。相手をしてくれてありがとう』なんて頭を下げてくれるので、尉官ごときの幼馴染みバディはなにも言えなくなってしまうのだ。


 だからカフェテリアに来ると、まずはシド大佐が居ないか来ないかを確認するようになってしまった。

 今日、いまのランチタイムには居ないことを確認――。二人でほっとして食事を続ける。


「おまえも出港してからなんか変だぞ。というか、最後の非番でなにかあっただろう。おまえの周辺から、御園の空気を感じるんだよなあ」


 乃愛の胸がどっきーんと跳ね上がる。やっぱり幼馴染み、鋭いよ、鋭い。でも言えない。いや言ったとしても説明が長くなりそうで面倒くさい。それに『お父様の宿題』は極秘扱いになるのでは?? 乃愛は思いあぐね返答に困っていたのだが、大河がぐいぐいと言い詰めてくる。


「というのも、シド大佐のおまえへの態度なんだよな。いかにも『御園が認めてくれたから、俺も気を許している』みたいに見えてきたんだよ。ビーチのダイナーで海人先輩と食事をした、お父様からキャンプの招待を受けている。そう聞かされたあたりから、おまえの周辺、御園で動かされてねえ?」

「えっと……。クインさんの噂関係で、いろいろとあちらが気遣ってくれて、大丈夫かとか、きちんと調査しているから気にしないようにとか、連絡をくれて――」


 と、乃愛は簡略的な報告ですまそうとする。

 だがこんな返答で大河は納得するはずもなく、詳しく突っ込もうとするだろうと構えた。だが乃愛の予測を通り超し、大河は思わぬことに言及してきた。


「シド大佐、常におまえを気にしているじゃんか。『乃愛ちゃん』から、『乃愛』になってる。クインさんの次は、そっちが噂になりそうだぞ。今度は独身男なんだから、誰も悪いこととは言えねえよな」

「はあ!? クインさんもそうだけれど、さらに何歳離れてると思ってんのよ。シド大佐はお父さんと親しくしているオジサンってだけじゃん」


 乃愛は相棒の幼馴染みからも、思わぬ目で見られそうになっていることにギョッとした。

 しかし乃愛自身も『まっさか~、ありえない~』なんて、あっけらかんと笑い飛ばせずに焦ってしまったのも訳がある。

 出航前の御園家で『妹さんは18歳年上の男性と事実婚』という現実を知ってしまったからだ。


 東南防衛基地の高官のお嬢様にその事実があって、ある程度周知されている以上、『年の差関係なく成立する恋は身近にあり得る』と簡単に見なされるようになっているはずだ。『まさか』で笑ってすませられないこともあると、乃愛は知ってしまったのだ。


 世の中、オジサンだからあり得ない――という感覚が乃愛からはなくなってしまった。それはそれで女子としての身の持ち方を新たに学べた気もしている。


「いやあ、もう、なんで~。父と親しい隊員さんだと言ってまわるっ!」

「でもさ……。なんかシド大佐の口ぶりだと、相馬パパのこともよく知っているかんじなんだよな。剣崎パパと親しいようだし……。乃愛だけじゃない。俺のこともいつのまにか『杉谷』から『大河』になってるだろう。『相馬の娘の夫』として凄く気を遣ってくれているのは、俺自身も感じているんだよ」

「知っている男の娘の夫だからでしょ」

「いや、俺と乃愛が思っている以上に、シド大佐とDCパパたちは縁が深いんじゃないかとかね」

「どういうこと?」


 妙な言い回しを続ける大河に、乃愛も詰め寄る。はっきり言えよ――と。大河も短い黒髪をかきながら、渋々と答えた。


「透おじさんと相馬パパが事故に遭ったなにもかもを知っているんじゃないかなって――。その時、おなじ艦に乗っていたかどうかは知らないけどさ」

「……なに、それ……」


 急激に乃愛の胸の中が荒れ始める。息苦しさも覚えた。

 バディは常に共にいる。そのバディがどのような状態で、生と死を分かつことになったのか。


 その瞬間を思い出しては、父はそのフラッシュバックに苦しんでいるのだろう。乃愛だって、父親たちふたりに襲った惨事の瞬間なんて想像したくない。敢えて避けてきた。だから少しでも思い描くと胸が苦しくなる。


 そこに大河がおもいっきり触れてきたのだ。


 もちろん。彼も当事者に近い。殉職した父親をもつ娘と結婚した夫だ。彼自身も、相馬少佐のことは子供のときから『パパ』と慕っていた。

 幼馴染み三人、父親ふたりに苦しい瞬間が確かにあったことを敢えて避けて触れずに来た。なのに、大河が……。


「落ち着け、乃愛――。悪い、最近、気になっていたもんだから」


 乃愛が密かに取り乱していることを知り、兄貴である大河がそっと背をさすって落ち着かせてくれる。


 乃愛は乃愛で、単独で御園家と近しくなり、周辺が慌ただしく変化しようとしているのは感じている。だが、大河も大河で、乃愛が単独で動いている間にも、『乃愛が御園と接触してから、空気が変わった』と敏感に感じ取ってくれていたのだ。


「でも……。確かに、そうだよね。私も感じていたんだ。シド大佐、思った以上にお父さんと親しいよね。初出港式典の時も、お母さんのこと『優乃香』って呼んでた。お母さんとも顔見知りってことだよね」

「俺もそれを聞いて『かなり親しい』と感じたよ。陽葵のママに聞いたら、もしかすると、お義母さんはシドさんのこと知ってるかもしれないよな」

「大佐が事故に遭った艦に乗っていたら、もしかしたら、その時のお父さんと相馬パパのことをよく見ていたってこと? だから娘の私と、陽葵の夫である大河になにかしら『余計なお世話』とか言って、気にしてくれているってこと?」


 慕っていた『パパ』を亡くし、哀しい想いを共有している幼馴染み同士だ。でもそこはこの年齢になっても『子供の立場』のままで、『親たち』がなんとなく濁してるところも感じ取っていた。数年間、子供同士で抱えてきた『晴れない霧』の目の前に立っている気もちにもなってきた。


「お疲れー。邪魔するぞ。お、俺も今日は和定食だぞ。お揃いだな」


 幼馴染みで額を付き合わせひっそりと話し合っていたそこに、金髪の大佐が目の前に座り込んだ。

 すっかり幼馴染みだけの空気に浸りきっていたので、乃愛と大河は揃って我に返った。

 しかも話題にしていた男性が目の前に現れ、幼馴染みバディは二人揃って青ざめていたのだと思う。


「……なんだ、どうした。おまえたち……」


 敏感な男と長門中佐が教えてくれたとおりに、若い二人の顔色、そしてシド大佐から揃って目線を逸らしたことで、いつもの様子と異なることに気がつかれる。


 もちろん乃愛は『なんでもないです』と答えようとしたのに。隣の大河が毅然とした顔つきに変貌したと感じた時には、彼がシド大佐へはっきりと言い放つ。


「大佐は、妻の父、相馬少佐が殉職した航海の時。同じ艦に乗っていたのですか?」


 大河から迷いのない問いをぶつけられ、目の前に座って落ち着いたばかりのシド大佐もさすがに面食らっていた。

 隣にいる世羅少佐もだった。いつもクールに整えているその表情が少し変わったほどのことだった。


 人の死に触れることは、いつだってただの空気では収まらない。


 しかしシド大佐も世羅少佐も、すぐにいつもの厳格な顔つきに落ち着いた。


 シド大佐はあの青い瞳の視線を、大河へとまっすぐに向けて答えた。


「いや。その時の艦には乗艦していない」


 そのひと言に、何故か乃愛はほっとして、でも……半分はまた霧の中へと戻されてがっかりした気もちと入り交じる。

 聞きたくない気もち、知りたい気持ちが混じっていることも、目の当たりにする。


 だがシド大佐は、聞かれたからには……とばかりに、少しだけ当時のことを語り出した。

 

「該当の艦には乗船はしていなかったが、一大事だったため、陸から俺も帰港するまでやきもきしていたのは覚えている。事故被害を陸で聞いて、俺も気が気じゃ無くて、港まで迎えに行ったからな……。透はもう変わり果てていた。もぬけの殻のような状態で、誰かが付き添っていないと危うくて、その状態で艦を下りてきた。でも、当たり前だよな。乃愛が大河を失い、大河が乃愛を失う。そんな状況で自分だけ帰還したんだ。俺はそんな透を迎え入れただけだ」


 大河もそこまではっきり言われたらと、うつむき口をつぐんだ。

 さらにシド大佐は乃愛へと視線を向けた。


「なにか気になることが? 事故の詳しい経緯や状況を知りたいとか? 知ってどうする? まあ、家族のおまえたちが気にしないわけないことはわかるんだが……」


 乃愛へなにか訴えかけるかのような目線に見えた。

 アクアマリン色の綺麗な青色が、乃愛を引き込むように見つめている。

 まるで、乃愛と大河の心の底で濁ったままの想いを、その瞳の青さのように澄むまで向き合ってやろうという、シド大佐の思いも伝わってくる。


「どうして……。父と相馬のお父さんが、どこでどう引き裂かれてしまったのか。大佐はご存じかと思って……。私たち子供からは、その時の父がどうだったかなど、気に病んでいる母たちを見ても触れられませんし、聞くのも怖いです。でも……、いまの父が元の父に戻れるなら、知っておくべきかと思ったりもします」


 乃愛が吐露すると、うつむいてた大河も自分も同じ想いだと頷いた。

 だが返ってきたシド大佐の返答は、乃愛を驚かせる。


「葉月さんから、透のことは『そっとしておけ』――と言われたんだろう。だったら、なにもしようとも知ろうともするな」


 御園家のことだから? シド大佐が『御園訪問で聞かされたこと』を知っていたので乃愛は驚愕し、大佐を見つめるだけになってしまった。大河は初耳だから『なんのことだ』と乃愛の顔色を窺っている。


「大佐は……、なんでも、ご存じのようですね……」

「まあ、御園の家であったことは、『エリー』からだいたい流れてくるんでね」

「エリーから、大佐に……? どうして大佐と彼女が……?」

「だってよ。乃愛と大河のように、俺とエリーも幼馴染みなわけ。御園家の裏方を仕切ってきた親たちの子供同士。エリーの父親と俺の実母が、御園の仕事仲間」

「あのエリーと大佐が幼馴染み……!」

「で、乃愛が隼人さんから『宿題』をもらったことは、俺にも報告されてんの」


 大河はまた『なんのことだ乃愛?』という目線を向けていたが、乃愛はもうあることに気がつき、それに囚われていた。


 そうか。海人先輩との宿題。航海記録を遡れるということは、『父親たちが遭遇した事故の詳細』を知ることもできるのか――と。


 それでもシド大佐が、そんな乃愛の思いつきも見透かして告げた。


「でも。あの事故のことは、たぶん調べられないと思う。まだ調査中なんだよ」

「まだ、調査中……?」

「解決していないってこと。それ以上は触れるな。わかったな」


 解決していない? 事故の調査はまだ途中?

 それは相馬パパが殉職した決定的な原因は解明されていないということ?

 シド大佐から『それ以上は触れるな』と釘を刺されたが、もしかして葉月お母様の『そっとしておきなさい』も、『まだ解決していないから首を突っ込むな』という意味も含まれていた?


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