3.水へ飛ぶ
「杉谷、剣崎! おまえたち見ていたのか!」
直属の上官、宇品大尉とバディを組んでいる先輩も右舷から駆けつけてきた。
「自分と剣崎の目の前でした」
「緑ジャージの甲板要員がアグレス部隊のパイロットをキャットウォークへと呼びつけたら、いきなりつかみかかって振り落としたんです。あちらの方角へ逃走しました」
乃愛の報告に、宇品大尉も青ざめている。
だが乃愛は直属小隊長へと懇願する。
「行かせてください。宇品大尉」
宇品大尉も安全柵を乗り越え、その向こうは落ちるだけの艦の縁、キャットウォークへと入ってきて海面へと見下ろす。まだなんとか海面でもがいているサラマンダーのパイロットを確認した視線が険しくなる。
「杉谷。そこにウィラード艦長がいたな。呼んでこい! 剣崎はそのまま待機だ」
大河が頷いて踵を返し、向こうで談笑していたウィラード艦長を呼びに行こうと背中を向けたのだが。そこにはもう、驚愕の表情を滲ませた金髪のウィラード艦長が、旧知のパイロットたちと駆けつけてきていた。
ウィラード艦長も安全柵から海面へと身を乗り出し、男がひとりでもがいている様子を見つけて顔面蒼白になっている。
さらにその隣にもうひとり、金髪のパイロット男性がおなじく身を乗り出して海面を確認し、声を張り上げた。
「三原!!」
サラマンダー飛行部隊、新飛行隊長となった戸塚中佐だった。
もういまにも彼がこの艦から飛び込みそうなほど身を乗り出した。
乃愛と大河は驚いて、戸塚中佐が柵を乗り越えないように遮った。
だが部下が落下してもがいている姿に、さすがの飛行隊長も我を忘れ『三原、三原――』と何度も叫んで身を乗り出すばかり。
そこでやっと、戸塚中佐の背後から羽交い締めするようにして引き留めてくれる隊員が現れる。
「ダメですよ! エミルさん!!」
栗毛の男、御園海人少佐だった。
ジェイブルーフライトスーツを着ている『先輩』のほうが冷静な面差しで必死に抑え込もうとしている。
「無理ですよ!! 隊長!」
さらに黒髪の体格が良いサラマンダーパイロットも前を遮るように入り込んできた。両手を広げ、戸塚中佐が柵を乗り越えないように立ちはだかった。双子パイロットで有名な城戸少佐だった。双子のどちらかは、乃愛にはわからない。
それでも戸塚中佐は、自分より若い青年ふたりに抑え込まれながらも叫んでいる。
「なんで、どうしてだ! 俺の僚機パイロットになったばかりの……! ウィラード准将! なんとかしてください!!」
金髪の飛行隊長の悲痛な叫びが甲板に響く。
ウィラード艦長も驚愕はしているが慌ててはいなかった。
そばにいる補佐官数名が『救命艇は出場済みです、もうじきヘリも離陸予定』、『いま階下から救助用具を投下するところです』、『報告の甲板要員を追跡中です』と報告はしている。
作業中だった甲板要員も見学に来ていたパイロットたちも、キャットウォーク沿いに集まって群がってきた。そんな中、どこかの彼らが叫んだ。『沈んだぞ!!』と――。
もがいていたパイロットの姿が海面から消えていた。
救助具を身につけていないパイロットだから浮遊する補助もなく力尽きたようだった。
その時だった。ウィラード艦長が、ゴーグルをすでに目元にセットしている乃愛へと視線を定めた。
「剣崎少尉だな」
「はい……剣崎乃愛、です」
私の名を知っている。乃愛はそこで一驚した。艦長とは、乗船するクルーをすべて把握している物なのか――と。
「DC第二小隊長だな」
「はい、宇品と申します」
「剣崎に任せても大丈夫だな」
「彼女はハイダイビング競技の経験者でもあります」
金髪艦長の青い眼の視線が、乃愛へと突き刺さる。
「責任は艦長の自分が持つ。頼む、行ってくれ」
ウィラード艦長の一声に、また周囲にいるパイロットたちがざわついた。
特に戸塚中佐が顔色を変えて、ウィラード艦長に食ってかかった。
「准将、待ってください。ここから、彼女を!? 甲板レベル1から!? この高さで!?」
ウィラード艦長は戸塚中佐の叫びを無視するようにして、応えなかった。
そんな戸塚中佐の背後にいる『御園先輩』と乃愛の目線が合った。
彼も琥珀色の眼を見開いて、乃愛を見つめながら呟いた。
「スナイダーさん、女性隊員を行かせるんですか」
『先輩』も、そんな無茶な――と言わんばかりの驚き顔を見せている。
御園の御曹司に問われても、さすがの准将、艦長殿は落ち着いていた。
そんなパイロットたちに、ウィラード艦長が呟き返す。
「そうだ。俺たち防衛パイロットは空へと飛ぶが、DC隊は火の中、水へも飛び込む」
ウィラード艦長の指令が乃愛へと告げられる。
「一刻を争う。剣崎少尉、頼んだぞ」
「ラジャー、キャプテン!!」
ゴーグルを再度目元に固定し、乃愛は左舷キャットウォークに立つ。
宇品大尉から最終確認と指示を伝えられる。
「おまえのダイビングスタイルだと、ワイヤーが身体に絡まる危険性がある。外していくか?」
「はい、外してもらって大丈夫です。じきにこの場所に救命艇が到着するでしょうから、ライフジャケットのみで待機できるでしょう」
「健闘を祈る」
「イエッサー」
最終確認にて、一度繋いだワイヤーのカラビナが乃愛から外される。命綱なし、単体での飛び込みに挑む。
キャットウォークのふちに立った乃愛に潮風があたる。ショートボブの毛先が頬をくすぐっている。
ハイダイビングは父から教わった。高度からの飛び込みには姿勢がある。
乃愛は姿勢を整え、深呼吸を繰り返し、肺に空気を溜め込む。
体勢を整えているすぐ隣で、大河が囁く。
「乃愛。俺が見失わないようにしてやる。安心して行け」
乃愛も強く頷く。
バディの誓いだ。父と幼馴染みの父がそうだったように。自分たちもそうであれという重要ミッションを前にした時の決意だ。
女が行くのかと、パイロットたちが騒然としている。
でも、DC隊の男たちと、艦長は信じてくれている。
ウィラード艦長の言葉通りだ。
DC隊は、空ではない、水へ飛ぶ。
一瞬だけ目を瞑って神経を集中させた。
目を開けた瞬間、乃愛はキャットウォークの縁を蹴る。
青空の下、艦の外へ、静かに宙へと舞う。
一瞬で落ちていく感覚。青い水へと身体を落とした。
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