4.厄女〈わざわいおんな〉


 高度から落下した場合。着水時の衝撃は、海面でも大きなことは知られている。

 コンクリートに全力でぶつかりに行くようなものだ。

 高所からの飛び込みの場合、着水するときは足からまっすぐ垂直にだ。


 静かにキャットウォークから身体を傾けて落下してすぐ、乃愛は身体を丸めて二つ折りになり、膝裏を抱え回転しながら落下する。


 飛び込んでから数秒で着水するのだが、身体を回転させるひねりを数回いれて、着水時は足からはいるような姿勢へともっていく。


 身につけた装備が、着水の衝撃でいくつか外れるかもしれない。

 それでも身一つになっても、救助する決意を胸に秘め――。


 海面が目の前、身体を回転させる乃愛の目の端に、救命艇が接近してくるのが見えた。

 

 海面へとつま先が向くように、くるりと身体を回転させ海面へ到達。衝撃を極限に軽減させた姿勢で海面を突き破る。次の瞬間、乃愛は青い水飛沫に囲まれる。そして海中へと落ちていく。視界は碧く染まり水泡だらけになる。


 水泡が開けたそこで、まだなんとか海面へと向かおうと水中でもがいているパイロットを発見した。

 すぐにそこまで泳ぎ、腰に備えていたミニボンベのノズルを彼の目の前に差し向け、口元に押し付けた。

 パイロットの彼もなんのために乃愛が来たのか理解を示した表情を見せ、なにも言わずともそのノズルをくわえてくれた。

 だが彼が息を吸い込むことに集中して落下していく。乃愛もゆっくりと両手で水を掻きながら付いていき、三原パイロットの背後へと回る。

 要救助者用の未使用救命具を首から外し、彼の首元に移し替え装着する。そこからピンを抜くと、ジャケットに内蔵されている小型ボンベから空気が送り込まれライフジャケットが膨らんだ。


 それからゆっくりゆっくりと三原パイロットの身体が浮上し始めた。

 乃愛自身も腰に付けている浮遊用ベルトのピンを抜いて空気を注入。自分の身体も浮上し始める。三原パイロットの腰のベルトを掴んで共に上昇する。彼の呼吸が確保できたため、今度は乃愛がノズルを拝借して、こちらも空気を補給する。


 徐々に明るく陽が差し込み水色に揺らめく海面へと近づいていく。

 その頃には三原パイロットも落ち着いたのか、乃愛に任せて身体をゆったりと動かせるようになっていた。

 ふたり一緒に海面に上がり、乃愛はここでやっと『ぷはっ!』と息を吐いた。そしてすぐに吸い込む。はあはあと息を切らして、やっと海面のどこにどのように浮上したかの確認をする。耳に押し込んでいた無線インカムから声が聞こえてきた。


『よくやった、剣崎!』


 ウィラード艦長の声だった。

 揺れる青い波間で漂っている目の前には、要塞のように立ちはだかっている空母艦。そのずっと上で、たくさんの男たちが手を振って騒いでいたが、乃愛にはもう大河がどこにいるのかわからなかった。それだけ人集りができていた。でも。また耳元のインカムから『そこに向かうよう救命艇に指示済み。あと少しだ。待ってろ』という報告が大河の声で届いて、ほっと顔が綻んだ。やっぱりバディだと――。


「あ、ありがとう……。だ、だめかとおもった……」


 三原パイロットも朦朧としているようだったが、はっきりとした意識は保っていた。海中でもがいていた様子を見ても、重篤と思えるような負傷もなさそうだった。


「まさか。女の子が来てくれるだなんて――。名前、教えて」


 気恥ずかしくて黙っていたら、パイロットの彼が困ったように微笑んでいる。

 そうしているうちに、ゴムボートの救命艇がすぐ目の前に到着した。


『大丈夫か』と声をかけながら、三原パイロットからボートへと救助し、その後、乃愛を海面からひっぱりあげてくれた。

 救命隊の隊員が無線で『要救助者とDC隊員の二名、キャッチ完了』と報告をしている中、ボートが発進する。


 救命艇を操作する中年の上官男性が乃愛を見て声をかけてきた。


「スゲえな。あの高さから。ハイダイビングしてたんだって」

「はい。それがあってDC隊に入ったので。ありがとうございます」

「三原少佐をつき落とした犯人の顔は――?」

「見えませんでした」

「いま、艦内騒然としているよ」


 なにか言いたげなその男性の目線、意味深な笑みに乃愛は黙り込む。

 この上官は乃愛がなんと言われているのか知っている男だと判ってしまった。


 剣崎乃愛がいると『トラブルが起きる』。

 不吉な娘。

 今回も起きたな。やっぱりな、噂どおりの女みたいだな。


 そう言いたいけれど、ここで下手なことを口にしたら、誰にどう報告されるかわからないから遠回しな言い回しで留めているだけ。


 剣崎乃愛は、元DC隊長、剣崎透中佐の娘。

 沈没寸前となる事故を起こした艦のDC隊長。不吉なものを引き寄せた男。ギリギリで艦を護ったが、バディを死なせた男。剣崎乃愛は不吉な男の娘――。

 剣崎乃愛がDC隊として配属された艦は、必ず不吉なことが起きる。

 ぼや火災もあった。艦の故障もあった。今回は故意による人身落下。犯罪を犯す男が紛れ込んでいる艦。しかもこれから新しい船出を控えている艦で。不吉な艦にするつもりか。


 そんな声が聞こえてきそうで、乃愛は潮風にさらされ冷えてきた身体をそっと自分で抱きしめて身を潜めた。



⚓---



 空母海面層にある付属船舶乗船口にて、空母艦内へと帰還する。

 三原パイロットは、乗船口で待機していた艦内救急隊員たちに担架に乗せられ、すぐに艦内医療衛生部隊へと搬送されていった。

 乃愛が海水に濡れた姿で乗艦したところで、宇品大尉と彼のバディである秋吉大尉、そして大河が待ち構えてくれていた。


「よくやった。剣崎。無事でなにより」

「さすがだったな」


 宇品大尉と秋吉大尉そろっての労いに、乃愛はやっとほっとし緊張を保っていた身体から力を抜いた。


「すぐのことで悪いが、ウィラード艦長が故意にパイロットを落下させた甲板要員のことを直接に聴取したいとのことだ。艦長室まで来るよう呼んでいる。その濡れた身体で行くわけにいかないだろう。シャワーを浴びて着替え、隊長の自分とバディの杉谷と共に行くぞ」

「ラジャー、隊長」


 乃愛はそのまま濡れた髪の雫を振り払いながら歩き出す。

 その後を大河が付いてきた。


「おまえ、犯人の顔、少しでも見えたか。日本人だったか、それともどこの国籍の男か雰囲気とか」

「全然。ヘルメットのシールドを落としていたから、目の色さえわからなかった」

「……だよな。ウィラード艦長、この艦の警備隊を総動員させていま追跡してるらしい。……この艦のクルーじゃないんじゃないかって……」


 大河の歯切れが悪くなった。彼もその言葉の裏で『またこの出来事のせいで厄女と言われそうだ』と悟っている。だからとて、それをバディとしてはっきりと口にできない戸惑いを乃愛も感じ取る。


「あれ、この艦のクルーではない、救命装備を付けていないビジターのパイロットを狙っていたってことだよね」

「わざと騒ぎを起こしたと、俺も感じている」


 二人でしばし無言になりつつ、海面とおなじ高さにあるこのフロアで控えている小型船舶が並ぶ中、DC隊艦内本部セクションがあるフロアまで共に向かう。


 さらに見通しをつけた大河が言う。


「今日を狙った気もする。艦船の艦長に初就任を迎えているウィラード准将に対しても、それを祝おうと集まっているパイロットたちを巻き込んで、さらに、おなじくサラマンダーの飛行隊長に就任したばかりの戸塚中佐が率いるパイロットに狙いを定めて、どちらの指揮官にもダメージを与えたことになるんじゃないかって」


 確かに。新型艦船の新艦長就任をした准将への祝いムードをぶち壊し、なおかつ、優秀なファイターパイロットを海原へと突き落とし、エリート飛行隊の隊長を慌てさせた。どちらもダメージを与えられたことになる。


「なによ、それ。ていうか、人を突き落とすなんて傷害罪になるじゃん。あれ業務上過失なんかにならないよ。あの男、軍警に突き出されるしかないじゃん」

「だから。この艦のクルーじゃなくて、侵入者ってことだよ。だとしたら、まだ初航海前の艦のセキュリティの低さを露呈させたってことでもあるんだよ。ウィラード艦長の落ち度となるのは間違いない」

「えー!? でもさ、警備隊だって新しく編成された最高のメンバーだって聞いたよ」

「だから、よけいに『絶対大丈夫なクルー編成』を覆されたってことになるんだよ。ほら、今日、御園少佐がいただろう。あの『先輩』の母親、御園葉月中将だって、コーストガード襲撃事件の時に責任を取って艦から降りたんだろう」


 なにそれ! つまり初っぱなから、出航する前から、ウィラード艦長を責任者として引きずり下ろすための蛮行!?


「きな臭いよな。まあ、ウィラード艦長は御園一派の将官だから標的にされたのかもしれないけど」


 軍の中で強い派閥である『御園一派』。

 海人先輩の一族『御園家』は親族に軍関係者が多いだけでなく、軍人関係者との横繋がりも強く結束が固いと言われている。故に敵対派閥と水面下で衝突することもよくあると言われている。

 今回もスナイダー=ウィラード准将が、御園一派の将官のために貶められたのではないかと大河は言いたいのだろう。


「だから。おまえのせいじゃないからな。気にするな」


 バディ大河の気遣いを知り、乃愛の心を苦しく縛っていたものがふっとゆるんだ。

 別に。厄女だなんて自分は思っていない。艦でちょっとしたトラブルは日常茶飯事、それを小さなことでも打ち消していくのが乗員の仕事だ。DC隊に限らない。警備隊もそうだし、救急隊も、さらには整備士だって。艦の各セクションを任されている全てのクルーが艦を護っているのだ。


 でも。だからって。『御園のせい』とも言いたくない。

 自分の厄を、他者へなすりつけたくもない。


 乃愛の脳裏に、ハイスクール時代よりずっと大人の男になっていた『先輩』と目が合った瞬間が蘇っていた。




 

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