2.man overboard(人が落ちる)
インターナショナルで先輩だった御園海人。あちらは軍人名家の子息で誰もが知っている。乃愛は同じ校内で彼を遠くに見つけるだけで話したこともない。あちらも乃愛のことは名前すらも、いま同じ海軍で働いているという存在も知らないはずだ。
スクールでも、いつもキラキラとした栗毛と笑顔で、誰からも慕われている遠い存在だった。いまもだ。あちらは機動追跡飛行隊のパイロットで、乃愛は艦内クルー。航空隊パイロットと艦隊乗員、接点がない。
それでも小笠原系の部隊に所属しているとたまに見かける。きっと乃愛だけじゃない。誰もが彼を知っていて、彼がそこにいれば視線が向くはずだ。
そんな彼のそばには、あの金髪の美形オジサン『戸塚中佐』もよく一緒にいる。
あんな煌びやかな男性がふたりそこにいたら、なおさらに目立つというもの。
「アグレスの新しい飛行隊長になった戸塚中佐だな。新艦長のスコーピオンさんがアグレッサー飛行部隊の部隊長だった時から懇意にしているみたいだから、あの怖いウィラード艦長が今日は楽しそうだ。御園少佐も子供のころから親しんできたとかで、親戚みたいな気易さで接しているし、今日の艦長はご機嫌ってかんじだな」
そのとおりで。クールで冷徹だと聞いていたウィラード艦長が、遠目でもわかるほどに笑っている姿が見える。時折、あのパイロット集団から男たちの楽しそうな笑い声が沸き立つほどだ。
元々の部下に、若いころから親しんできた人々が今日は艦長の就任を祝いにきているのだろう。
「甲板レベル1、フライトデッキの安全巡回、左舷側を行う」
「ラジャー」
防火パトロールも兼ねているため、火気もないか神経を尖らせる。
「右舷側は、
乃愛と大河が歩いている反対側、そのむこうに直属の上官ふたりがキャットウォーク沿いを歩いているのが見えた。おなじ装備で歩いている。火気がないか、破損はないか、修繕が必要な場所がないかなどを点検していく。
「なんか、フライトデッキ。人が増えてきた。旧島のパイロットが来ているからか?」
「カタパルトも電磁の新型だってね。それが気になるんじゃないかな」
昔馴染みのパイロットたちが、カタパルトにセットされている戦闘機の翼の下でたむろして賑やかな中、ふたりは艦の端、キャットウォーク沿いを歩きながら警備する。
キャットウォークは甲板の端にある通路であり、各種装備を設置もしている。落下を防止するための金網柵があるが、柵の向こうにワイヤーなどを巻いている大型ウィンチなどがある。甲板要員がそこに立って操作したり、通信のためにその場所に入ることもある。
その柵にそって左舷側をバディのふたりは歩いていた。
船首近く。カタパルトが途切れるあたり、そこから向こうは戦闘機が機首を上げて離艦する位置にあたる。そのせいなのか、濃紺のフライトスーツを着ている男性隊員がそこから船首へと海原を眺めている立ち姿が見えた。
その光景はべつに目に付くものでもなく、新型艦船を見学にきたパイロットというだけのものだった。アグレッサー飛行部隊の男性パイロットの目の前には、キャットウォークとフライトデッキを区切っている安全柵。いま乃愛と大河が柵に沿って歩いている尖端になる。
その船首、安全柵からキャットウォークへと侵入するために扉式になっている箇所がある。そのフェンスを開けて立っている甲板要員がいた。
緑ジャージのその甲板要員がウィンチの点検でもしていたのだろう。その甲板要員がサラマンダーのパイロットへと声をかけていた。
なにを話しかけたのかはわからない。だが、パイロットの男性が興味を示すものだったのだろう。濃紺フライトスーツの男性が、声をかけてきた甲板要員に吸い寄せられるようにキャットウォークへと向かっていく。
そんな光景を目の前に特になにも気にすることもなく、乃愛と大河はその方向へ歩き進む。
だが。サラマンダーのパイロットが呼ばれた甲板要員の目の前に来た途端だった。甲板要員の男がフライトスーツの襟首を掴んだと思ったら、安全柵の外側、海側へと引っ張り込み、そのまま左舷からなにもない海上へと、パイロットの男を投げ飛ばしたのだ。
乃愛と大河は同時に立ち止まり、戦慄する。
声を出す間もなく、パイロットの男が左舷から消えた。
「やめろ! なにをしている!!」
もの凄い声量で叫んだのは、大河だった。
フライトデッキにいる幾分かのクルーたちが大河の声に振り返った。
緑ジャージの甲板要員が、乃愛と大河が目撃していたのも関わらず、何食わぬ顔で甲板の中心部へと走り去っていく。
なにあいつ! ヘルメットを被って黒いシールドをしている緑の甲板要員が走り去っていく様を、乃愛は視線で追う。だが多数動き回っている甲板要員の中へと溶け込んでいく――。
「そのグリーンジャージの男、捕まえて!」
追いかけたいがそれどころじゃない。
「乃愛! 万が一だ、準備しろ!」
「ラジャー!!」
乃愛は目元にゴーグルを付ける。
腰にぶら下がっているカラビナ、それをひっぱるとワイヤーが伸びて出てくる。そのカラビナをキャットウォーク沿いにある救助用のウィンチへとひっかける。
「こちらDC杉谷!
すぐに救助ラインへと大河が報告をする。
ブリッジからも放送が流れる。
This is the true, true, ture, man overboard, man overboard、man overboard、port side!
(重要な報せである。人が艦外へ落下 左舷から落下)
重要な指令のため、大事な語句が二度三度強く繰り返される。
「フライトデッキ左舷側、キャットウォークからパイロットが一名落下、落水! 救命艇の出動を要請する! 場所は甲板レベル1、ブロック1――」
大河は報告を続ける。その間に乃愛は安全柵を跨いで乗り越え、キャットウォークへ。そこから海面へと確認をする。
落ちたサラマンダーパイロットの姿が確認できない!
この高さから落ちたら、下手したら気を失うかもしれない。骨折もしたかもしれない!? そうしたらもし意識があっても海面へと浮上するための泳ぎも皆無だ。
幸い、気候はよく海水温は低くはない。それでも水から体温を奪われて低体温症になる可能性もある。救助の基本は『十五分以内に救い上げる』だ。
「中尉、要救助者が確認できない!」
「いま救命艇が向かっている」
「間に合わないよ! 気を失っていたら浮上できない。見学だけで来ているパイロットなら、甲板要員みたいにライフジャケットも着けていないでしょ。沈む一方だよ!!」
大河の表情にも焦りの色が現れた。だが大河と同時に、再度下方へと確認をすると、パイロットの男性がもがく姿が海面に現れた。
ほっとしたのだが、それでもいまにも沈んでいきそうな泳ぎ方だった。やはりどこか負傷しているのかもしれない。
「このままでは、すぐに沈むかもしれないな」
「私、準備できているよ!」
「駄目だ! 指示が出るまで待て!!」
こんな時の大河は、乃愛にとっては従わなくてはならない上官だ。
もどかしい思いのまま、乃愛はそこで待機するしかない。
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