キミの心が晴れますように
小池 宮音
松浦さんside
第1話
一週間前に梅雨入りし、連日雨が降っていた。シトシト降ったりザーザー降ったり、毎日音を変えて湿気とともに空からやって来ては、わたしの気分を下げていく。
雨は嫌いだ。理由は至極単純で、傘という手荷物が増えるから。女子はただでさえ荷物が多いのに、そこに人一人を頭から守ってくれる屋根を持ち歩かねばならないなんて、何の修行? って感じ。しかもましてや今日みたいに、登校するときは雨が降っていて帰る時には止んでいる日には、ドラえもんの道具で傘を手のひらサイズにしてポケットに入れたい衝動に駆られる。
要するに邪魔なのだ。雨に伴って付いてくる傘が。
それなのにわたしは今日、遠回りをして帰っている。特に理由はない。しいて言えば、電車を降りた時に虹が見えたからだ。大きくハッキリと空に半円を描いて浮かんでいる虹。同じ駅で降りた人たちはスマートフォンをかざしてそれを収めようとカシャカシャ撮影していた。わたしはその様子を横目に、真っ直ぐ歩いた。右手にカバン、左手に水色の傘。そこに行って何をするとか、そういうことは考えていなかった。ただ、吸い寄せられるように虹の端を目指して、歩いていた。
大きな水たまりは避け、小さな水たまりは静かに踏んで見慣れない道をひたすら歩く。虹との距離は縮まらない。まるで磁石のS極とS極、もしくはN極とN極みたいだ。決して近付くことのない両者。
ふと前に大きな公園が見えた。敷地内にはブランコとシーソーのみが設置された、だだっ広い公園。遊具の反対側には屋根の付いたテーブルと椅子が置かれている。ピクニック用かな?
そこに一人の男の子が座っていた。両耳に白いワイヤレスイヤホンを着けて、何かを聴いている。同じクラスの
「何してるの?」
彼は小さく肩を震わせてわたしを振り返った。空気がジメジメしているにもかかわらず、仁藤君の髪は美容院帰りのようにサラサラしている。
「え、あ、松浦さん……」
仁藤君は右耳のイヤホンを外して、「何?」と首を傾げた。わたしはもう一度「何してるの?」と問う。
「何って……これを聴いてた」
外したイヤホンをわたしに差し出した。あ、聴かせてくれるんだ。わたしは仁藤君の隣に腰掛けて、イヤホンを右耳に装着した。どんな音楽を聴いてるんだろう。案外ロックとか?
「…………?」
右耳の鼓膜を震わせて脳に伝達された音楽は、サーッという音だった。ピアノの音でもなければギターでもベースでもバイオリンでもない。強いて言えばテレビで映らないチャンネルにキーを合わせてしまった時の、ザーッという音の雑音を取り除いたような、濁っていない音だった。目を閉じてしばらく聴いてみても、ドラムの音が入るわけでもなく、ただ静かにサーッという音だけが流れている。考えても分からなかったので「これは何の音?」と訊ねた。
「雨の音だよ。細い雨が降っている音」
「雨の、音?」
もう一度目を閉じて聴いてみる。言われてみれば確かに、細い雨が降っている時の音のようだった。土砂降りでもなく小雨でもなく、しっかりと降っているけど強くない雨。
「なんで雨音なんて聴いてるの?」
「んー……落ち着くから、かな」
「落ち着く?」
仁藤君は少し目を泳がせて困った顔をした。何かを言おうか言うまいか悩んでいる様子だ。わたしは虹の端に行くことを諦め、仁藤君が発する言葉を待った。ここまで来たら不思議な同級生の謎を暴いてみたい。雨音を聴いて落ち着くとはどういうことなのか。ジッと仁藤君を見つめると、諦めたように話してくれた。
「僕にとって雨の音は、癒しの音なんだ。これを聴くと幸せホルモンのセロトニンが分泌されて、心と体が休まる」
「幸せホルモン……」
「笑いたきゃ笑えばいいさ。分かってもらおうなんて微塵も思ってないから」
仁藤君は手のひらを上に向けてわたしに突き出してきた。どうやらイヤホンを返せ、と言っているらしい。わたしは右手で右耳を覆って返さない意思を表明した。
「分かるよ。焚火の動画を見て癒されるみたいな感じでしょ? わたしは猫の動画を見て癒されるタイプ。仁藤君にとっては雨の音が癒しなんだね」
「え……」
まさかわたしが同調すると思ってなかったのか、仁藤君は驚いたようにわたしを凝視した。まるで怪物を見るような目で、若干身を引いている。なんでそんな反応をされなくちゃいけないのか納得できないが、右耳から聴こえる雨の音を聴いていると、どうでもよくなってきた。どうやらわたしにも、この雨音によってセロトニンが分泌されているらしい。
しばらくわたしたちは隣同士で同じ音を聴きながら、同じ時間を過ごした。
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