第5話 愚者は零へ進む


彼女はすべてを知っていた。

私の幸せを思い、いじめを受け入れた。

私も彼女のことを思い、喪服の男と手を組んだ。


「そこにいる奴に変なこと言われたから、ロベルトに嫌がらせしたんでしょ? 

でも、もう大丈夫だから!」


マリアの手のひらから槍が現れ、男めがけて投げた。

槍はまっすぐに軌跡を描いて爆ぜた。


「なるほど、こっちが本性か」


「ダイアナから離れてよ! お前さえいなければ、全部うまくいってたんだ!」


彼女は激昂する。私は聖女の力を侮っていたのかもしれない。

世界に平和をもたらすためなら、なんだってする。

相手が私の心であったとしても排除する。


「あの子には手を出さないで。ちゃんと話をしたいの」


男は笑うだけで、何もしなかった。

話し合えるのは今だけだ。


「私はどうすればいいのか、ずっと分からなかった。

私はあなたを守りたかっただけ。

方法が分からなかったから、あんなことをしたの。

本当はあなたの泣く姿なんて、見たくなかった」


最も、こんなことを言ったところで信じられないだろう。

誰よりもひどいことをした。許されるはずがない。


「ダイアナは何も悪くないよ!

私が頼りないだけで、ずっと守ってくれていた! 

やり方はまちがっていたかもしれないけど、全部許すよ!」


両目に涙を浮かべ、叫ぶ。

私のことをどこまで知っているのか、分からない。

私の世界から色が消えたのはいつからだろうか。


あの子をいじめることで嘲笑われるようになってから?

あの子を傷つけることで敵視されるようになってから?

あの子を遠ざけることで嫌われるようになってから?


いじめたことを許してほしいわけじゃない。

ただ、私の話を聞いてほしい。


「喪服の彼と協力すれば、あなたを守れると思っていた。

でも、違うのね。守られているのは私のほうだった」


「そうだよ! 私はみんなと幸せになりたい!

だから、そいつから離れて! 今ならまだ間に合うから!」


彼女は何を言っているのだろう。

もう手遅れだ。私は罰を受けなければならない。


「ごめんなさい、私は戻れない」


「何、言ってるの」


「あなたの言うとおり、彼と手を組んでロベルトに嫌がらせをしていたの。

私に姿を変えて、派手にやってくれたみたい。

考えてみれば、今まで噂になっていないほうが変な話よね」


何かを言おうとして、言葉を探しているらしい。

視線がさまよい、落ち着かない。


「鞄をひっくり返したって聞いた時、私はとても嬉しかったの。

だって、ようやくアイツに仕返しできたんだもの。

ロベルトがいなくなって、私は自由になれた」


「ダイアナはそいつに騙されただけなんだよ!

お願いだからこっちに来て!」


マリアの思う幸せと私の思う幸せは、似て非なるものだ。

彼女の願いは誰のためにもなっていない。愚かなのはどちらなのだろう。


「ねえ、あなたは幸せかしら?

いじめていたときも、今もそうなの。私には幸せには見えないの。

誰かのための幸せを願うのは、確かにそれも幸福よ。

けど、あなた自身はどうなのかしら。今は幸せ?」


「……」


彼女は何も答えなかった。

私はマリアに背を向けた。


「行きましょう、もうここにはいられない」


「すべてをなかったことにできるけど?」


「それだけはしてはならないの。私は罰を受けなければならないから」


「そうかよ」


別れの言葉はいらない。話し合っても解決しない。

私は振り返らずに、校門を出た。


***


列車が車体を揺らしながら、走っている。

住宅街から田園へ風景が移り変わっていく。

私と喪服の男が向かい合って座っている。


あの後、聖女はこの世界から消えてしまった。

聖女に急激な変化が訪れ、世界を拒んだと報道された。

それ以上のことは明らかにされず、すべてがうやむやのままだ。


マリアは今頃、何をしているのだろう。

ロベルトと同様にどこかの病院に入院したのだろうか。


私は学園を退学し、必要最低限の荷物を持って家出した。

一連の出来事は墓場までもっていかなければならない。

何が何でも隠さなければならない。


「あの程度で狂うんだったら、聖女なんて最初からいらなかったんじゃないか?

結局、自分のことしか考えていなかったってことなんだから。

押しつけがましいにもほどがある」


喪服の男はそう毒づいた。

この男は影のように私にずっとついてきている。

心を名乗ったからには、そう簡単には離れられないのだろうか。


「これからどうなっちゃうのかしら。

聖女のいない世界なんて、考えたこともなかったわ」


「どうとでもなるさ、きっと」


電車はトンネルに入っていった。行く当てのない旅路だ。

家の最寄り駅から出ている電車に乗ってみただけだ。

とりあえず、終点まで行ってから考えることにしよう。


「そういえば、真の世界平和を望んでいると言っていたわね。

それってどんな世界なの?」


「誰もが仲良く楽しく一緒に暮らしていける世界」


思わず笑ってしまった。

それすらも、きっと叶わないのだ。

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