アインハード王子とシャルロッテ  ◆ロッティ


― 翌日 


「ロッティ、楽しんでくるのよ」

「遊びに行くわけじゃないのに」

「まあまあ、いってらっしゃい」


お母様に思い切りぎゅっとされ、急かされるように馬車に乗り込んだ。

アインに呼ばれただけなのになんであんなに嬉しそうなのかしら、まあいいわ。

馬車のカーテンを開けると、日差しが暖かくて気持ち良い。


今日は、あまり着ないタイプのドレスをお母様に用意されていた。

立襟で首元にしっかりリボンが結ばれてるから、なんだか息苦しい。

たしかに宮殿には他の王族も住んでいる。きちんとした格好で行くのはフリューリング家のことを考えるとしかたないのだろう。


しかも、今日はお父様も宮殿に呼ばれている。

今日の早朝、王家から遣いがあり、婚約破棄が成立したので書類を取りに来てほしいとの連絡があった。

正直ジークフリードのことがはっきりせず、どれだけ時間がかかるのか不安に思っていたので、予想外の早さに父と母はハイタッチをして喜んでいた。


でも、単純に喜んでばかりはいられない。

ペルペトゥア生誕祭からたった二日しか経っていないのに、騒ぎの一部しか聞いていない者たちが悪い噂を流し始めていた。

しかもフリューリング家の娘、つまり私が悪いと言う噂!


もちろんすぐにお父様の耳に入り、それはもう激怒していた。

婚約破棄の書面はもちろん最重要だけど、それに併せて、私に非がない事の訂正をなんらかの形で行ってもらいたいという要望を伝えに行ったのだ。


ジークフリードは馬鹿だけど、知らない人から見るとあれでも好青年でファンも多かった。

あの日、集まっていた女性たちは、あの馬鹿が放火犯を捕まえたという大声で引き寄せられてた人ばかり。

でも、途中で飽きて帰った人も多いはず……。

そんな人たちからすれば、わが国の第二王子の言い分を信じる人がいるのも仕方ない。


まだまだあいつのでせいで頭が痛いわ……。


アインが迎えに寄こした馬車の車内は、王家のエンブレムが刺繍された生地が使われていた。

ふと、馬鹿王子お気に入りの真っ白なマントを思い出してイラっとする。

そういやあれにも刺繍が入ってたっけ、そんなアピールしなくても皆王子だってわかってるっていうの。


はぁ、忘れよ、アインの話って何だろ……。


馬車の窓から外を見ると、制服を着た門番が立っているのが見えた。

もう宮殿か……。


ここは第一王子が住む場所へ一番近い、通称白獅子門。

門の横にとても大きい獅子の石像が飾られている。

ちなみに第二王子に近い門は白鷲門、同じ様に門の横に大きな石像があったっけ。

別邸のように見えるけど宮殿内では繋がっている、でも場所としては正反対だからジークフリードがいたとしても会うことはないはず……。


馬車が近づくと、門番は美しい姿勢のままこちらに向かって敬礼をした。

門を入った馬車は中庭を通り、真っ白な薔薇のアーチを抜け、アインの住む宮殿の入り口へと到着した。


どうしたんだろう、首元のリボンが苦しく感じるくらい緊張してきた。

結びなおそうとした瞬間、馬車の扉が開いた。

笑顔の御者に手を取られ、ゆっくりと馬車を降りる。

このワンピースはウエスト部分もぎちぎちで息苦しい……あーもう、お母様ったら。


エスコートされたまま入り口のまで行くと、彫刻の施された大きな扉が、こちらの到着を待っていたかのように開いた。

同時に、草原のような青々しい香りと、芳醇な百合の香りが体を包む。

玄関ホールには、大輪の百合とたくさんの春の緑が飾られていた。


「まあ、なんて素敵なの!」


思わず声に出てしまった、あー挨拶が先なのに……。


「気に入ってくれたようでなによりだ」


姿勢を正したと同時に、真後ろから声が聞こえてきた。

目の前にいる侍女が、私に笑顔を見せた後、目線を後ろに移し深々と頭を下げる。

そうっと振り返ると、扉の陰にアインハードが真っ白な正装姿で立っていた。


「ア……本日はお招きいただきありがとうございます」

「いえいえこちらこそ、来てくれてありがとうフリューリング侯爵令嬢」


アインは笑いながらわざとらしく頭を下げ、さっと腕を差し出した。

一瞬戸惑ったものの、断るのも変なので素直に受け入れる。

侍女が私達をにこにこと見ているのが、なんだか照れくさい。

そのままアインにエスコートされ、客間への廊下を進んだ。


「王子様があんなとこで客を待たないでよ」

「俺が待ちたかったんだからいいだろ」

「……」


いつもと同じはずなのに、すこし大人びて見えるのはこの場所のせい?

仲良くなりすぎて忘れちゃうときもあるけど、やっぱりこの国の第一王子なのよね。

この前の広場で馬鹿王子への対応もスマートで格好良かったわ……。


なんだか急に顔が熱くなってきた、きっとこのドレスが堅苦しいせいだ。

エスコートされるのは慣れているはずなのに、手まで熱くなっている。


「今日のドレス、クラシックな感じだな、フリューリング侯爵夫人が選んだんだろ? とても似合ってるよ」

「ありがとう……アインは正装ね、どこかに行ってたの? 」

「あーうん、まあね」


当たり前の会話が気恥ずかしい、アインってこんな感じだったっけ……。

それにずっと笑顔だわ、きっと今日の話は良い事にちがいない。

いくつかの部屋を通り過ぎていくと、突き当りにある扉の前に執事が立っていた。

私達に気づくと深々と頭を下げる。


「アインハード様、お申しつけ通りにお茶の準備は整っております」

「ありがとう、あとはこちらから呼ぶまでは構わないから」

「はい、承知いたしました」


完璧な所作の執事が、素早い動きで客間の扉を開けた。


アインに促されるまま中へ入ると、今度はみずみずしい柑橘類の香りが胸いっぱいに広がった。

テーブルの上にはガラス製のポットに果実がたっぷり入った紅茶、オレンジ色のパウンドケーキ、それに小さな焼菓子がたくさん並んでいる。

どこかからシナモンの香りも!


「どうしたのこれ、凄いわ!」

「柑橘類が好きだろ、たくさん用意した。あとはオルター家に伝わるシナモンクッキー、これ旨いんだよな」

「うん、でもどうしたの、二人でパーティでもするつもり?」

「あーそうだな、まあとりあえず座ろう」


アインは椅子を引いて私を座らせ、手際よく紅茶をティーカップに注いでから自分も席に着いた。

そしてシナモンクッキーを一枚口に入れ、満足そうな笑顔を見せた。


淹れてくれた紅茶は、何種類ものフルーツの香りが重なり、とても幸せな気持ちにさせてくれる。

王家特製のクッキーを口に入れるとさらに甘みが口に広がり最高の気分になった。


アインは私の食べる姿を嬉しそうな表情でじっと見つめている。

なんでそんな顔で見るの、恥ずかしくなってきた……そうだ聞かなきゃ!


「ねえアイン、話したいことって何?」

「ん? ああ、まずはジークフリードのこと、もちろん気になるよな?」

「もちろん!」


大きく頷きながら小さな焼菓子を口に運ぶ、鼻の奥をレモンの香りがくすぐる。


「まず、今朝連絡をしたように、君とジークの婚約は無事に破棄された。フリューリング侯爵が文書を持ち帰ると思うが、間違いなく父である国王の印が押してある、安心してくれ」

「そのことなんだけど、思っていたより早くて驚いたわ」

「うん、実はジークフリードの処罰ももう決まっているんだ……」

「処罰……」


アインが『処罰』という言葉を使っている、これは想像より重い判断がくだされたということなのかな。

婚約破棄もあっという間だし、私も最初に聞かれた以外は呼び出されていない。


「そう、処罰だよ」


紅茶を一口飲み、アインはゆっくりと席を立って私の横に座った。

すこしだけ感傷的な表情をしている。一応弟、思うことは私以上にあるはず……。


「ジークフリードは王位継承権を剝奪され、この宮殿からも出ていくことになった、というよりもういないよ」

「!」


あまりのことに声が出なかった。王位継承権を剝奪!?

しかもあいつがもういない?

数日前までマントをバタバタさせて馬鹿みたいにふるまってたあのジークフリードが? 

急な展開に呆然としていると、アインは頷きながら話を進めた。


「この国から海を渡った場所に遠縁の侯爵家があるんだ、当主は高齢で後継ぎもいない。領地経営も破綻、このまま家門がなくなると言われていたんだが、そこの養子になったんだよ」

「!!」

「もし彼に少しでも自分を顧みることが出来れば、侯爵家を再建できるかもしれない、そうすればまた会うこともあるだろう……と父は言っていたけど……」


そこまで言うとアインは言葉に詰まり、また紅茶に口を付けた。

自分をよく見せることばかりを優先して、この国の将来を聞いても何も答えられなかったジークフリード。

自分の恋愛のために、私を放火犯に仕立て上げるなんて手の込んだことを考えた馬鹿王子。どこまでも自分勝手なあいつに、出来ることなんてあるのかな……。


「王位継承権剥奪だなんて……」

「ああ、国王の決定は早かったよ、寂しい?」

「とんでもない! じゃあ私への放火の疑いは?」

「それはもう大丈夫だ、というより端から疑ってもいなかったよ。シャルロッテ・エレムの証言、君を犯人にする為にジークから脅されていたピーター・ハムザの証言、そして俺が調べていた資料の提出で父は全て信用してくれた」

「よかった……」


はっきり『大丈夫だ』と言われると、こんなに安心するものなんだ。

胸の中にたまっていた大きな真綿の塊を吐き出すように大きく息を吐き、思い切り息を吸い込んだ。


やっぱりシャルにはちゃんとお礼をしなくてはいけない、聞きたいことも色々あるんだけど……ん、俺が調べてた? なんのこと?


「ねえ、アインが調べてた資料って何?」

「ああ、実は前々からジークのことで気になることがあって、少し調べてたんだよ」

「気になること?」

「そうだよ」


アインは空になった私のティーカップに、ガラスの小瓶に入ったシトロンのはちみつ漬けを入れて紅茶を注いだ。

果実がはじけたような清涼感あふれる香りが目の前に広がる。


「いい匂い!」

「気に入ると思ってたんだ、良かった。それでジークの事なんだが、中等科の頃からテストや剣の実技で不正を働いているのではないかと言う噂があったんだ」

「あーー……言いたい事あるけどやめておく」


そう、ジークフリードは、授業についていけている様子が無いにも関わらず、テストの成績が良かった。

それに、剣の腕もアインには及ばないけど、弱すぎるというほどでもなかった。

本人のイメージとかけ離れているので、陰では努力をしているのだろうと、婚約者なりに好意的に考えようとしていたけど、やっぱり違ったのね……。


「うん、それでも中等科の頃は噂だからと、俺も特に気にしてなかったんだよ。ただ高等科に入ってからは明らかに違和感が出てきた。提出した課題の署名の字が違う、重要な試験の日は休む、実技でも目に見えてわざとらしい負け方をする者がいる、まあこんなのは序章だな、極めつけは婚約者をないがしろにして他の生徒にうつつを抜かし……あ、ごめん」

「いいわよ、終わったことだし事実だし、私犯人になるとこだったしね!」


頭の中に馬鹿王子の顔が浮かんできたので、正面にあるレモン型の焼菓子を口に放り込んだ。甘酸っぱくてほっぺたがきゅっとなる。

アインが優しい顔で笑っている。


「そうだな、まあそれから色々と調べていくうちに、『自分は次期国王に内定している』と周りに嘘をついていることがわかった。そして『自分の発言は王の発言と同じ』と言い始め、取り巻き達が頼みごとを断れない状況を作っていたんだ。はっきりと『家を潰す』と脅された生徒もいたよ。馬鹿げてるよな、もし国王だとしても何の問題もない家は潰せない」

「呆れると言うか、悪知恵だけは働くのね」

「うん。ただ、君を脅すことはできない、国の決まりで簡単に婚約破棄もできない。だから学院の生徒達と同じように、自分の身近にいる男を脅し、あの放火事件を捏造しようとしたんだ。俺が生徒たちに個別に聞き取りした内容と、あのハムザと言う男が脅された内容、ほとんど同じようなことを言われていたのがわかったよ」


どうしようもないと言った様子で首を振り、アインはカップに残った紅茶を一気に飲みほした。

自分の母親が亡くなった後、突然現れた新しい母と自分と同じ年齢の弟。

仲良くする必要はなかったはずだけど、面立ちの似た二人の少年、この宮殿でどう過ごしていたのか……。

アインは一体どんな思いでジークフリードのことを見ていたんだろう。


「まあそういうことで、今に至るだ。シャルロッテの疑いがすぐ晴れてよかったよ」

「本当にありがとう! そんなことを調べていたなんて知らなかったわ、でも国王がよく話を信じてくれたわね」

「うん、ジークの行動の不誠実さを、以前から父は不審に感じていたようなんだ、俺がこの情報を見せた時も特に驚いた様子を見せなかった。もちろんジークは泣き叫び、『自分は無実だ、嵌められたんだ』と主張し続けていたけどね」


アインは苦笑いをしている。

それを聞いただけでも馬鹿王子の姿が目に浮かぶようだわ。


さすがに父である国王の前ではマントはバサバサしないだろうけど、まるで悲劇のヒロインみたいな態度だったはず。


「父はその姿を見ながら、話を聞いてもいいが、その前に側近と使用人の名前を言ってみろと言ったんだ」

「側近と使用人……?」

「ああ、宮殿で働く者たち全員がジークの前にずらっと並んだよ。側近はもちろんジークがここにきてから世話になっている人だ、さすがにそれは大丈夫だったんだが……」

「え、まさか……」

「うん、そのまさかだ。侍従長以降、数人しか言えなかった。侍女に至っては名前と顔が一致していなかった。継母はその場で顔を真っ赤にして泣き崩れ、ジークを長年世話していた側近も膝をついていた。父の顔は、それはもう恐ろしくて……」


さっきより更に眉を下げてアインが笑っている。

あいつのことだから、いつも使用人を蔑ろにして「おい」や「おまえ」なんて呼んでいたはず、見てはないけど想像できるわ。

それにしても、その時の場の空気を考えるだけで……全身に寒気がする。


「後から父に、全員の名前を言い終えた後に俺と剣の試合をさせるつもりだったと聞かされたよ。ま、俺が負けるわけないけどな」


アインは少しふざけたように言ったあと、目の前にあるスティック状のパイを手に持ち、さっと一振りして私に差し出した。


「ありがとう。そうね、なんたって7歳の式典で私に負けてるんだもの。もっとうまくなると思ってたんだけどね……」

「へえ、うまくなると思ってたんだ? で、12歳の誕生日にジークに婚約を申し込まれたとき運命だと思ったんだろ?」

「もうやめてよ! この16年の人生の中で一番の過ちだと思ってるんだから!」


にこにこと楽しそうなアインは、私の顔を覗き込むようにしてからかってくる。

アインに言われるとなんだか余計に恥ずかしい。

目を逸らそうと思っても、あまりにじっと見つめてくるので逸らせない。


「あの日は真冬なうえに風も強くてとても寒かったよな」


突然、私から視線を逸らして、アインは呟くように言った。

そうだわ、あの式典はジークだけじゃなくアインもいたはず、なのに全然覚えてない。準決勝までも上がれなかったってこと?


「あの頃の俺は小柄で、剣が重くてうまく振れなかったんだ。出場者全員、仮面をつけて身分を隠していたけど、それでも周りが気を遣って負けてくれるのがわかったよ、とても恥ずかしかった。そんな中、横の試合場で金髪の女の子がぶっちぎりで勝ち抜いていた」


もしかして私の事? そんなに近くにいたの?


「金色の髪を高い位置で一つに結び、仮面をしていても意志の強いはっきりとした目が忘れられない。気づくと準決勝戦、俺はそこまで勝ち上がり、対戦相手はその金髪の少女だ」

「え!?」


アインは唇に手を当ててしーっという動作をした。どういうこと?

金髪の少女は私じゃなくて他にもいたの?


「準決勝まで周りに気を遣われてきた俺は、まっすぐな瞳で向かってきた少女に一撃でやられたよ、悔しかったけどとても晴れやかな気分だった。俺は彼女にお礼を言ったんだ」

「……」

「そうしたら彼女は『男の子はこれからどんどん大きくなるからもっと上手くなれるわよ、頑張ってね王子様』って言ったんだよ、他の人と同じように僕のことを王子だとわかっていた、それでも無駄な気遣いをしなかった、もう最高の気分だったね」


覚えてる、やっぱりその金髪の少女は私だ……。

でもジークフリードが婚約を申し込みに来た時に、この7歳の式典の話をしたわ、どういうことなの?


「ねえアイン、私わけが分からなくなってる」

「うん? あれは君だろ? 俺は試合の後すぐに君のことを聞いたんだ、フリューリング家の一人娘だってね」

「でもジークが……」

「ああ、もうひとつのジークの話がこれだ。俺達はこの4年の間、あいつにまんまとやられてたってこと」


やられてた? 4年って……今16歳だから12歳から? 

12歳は私があいつに婚約を申し込まれた年だわ……。

考えが追い付かない、額が熱い、喉が渇いてきた。


ティーカップに残ったお茶を飲み干すと、それを見たアインは、果物のたっぷり入ったソーダを新しいグラスに注いでくれた。

一気に飲むつもりはなかったのに、続けてあっという間に飲んでしまう。

フルーツの香りと微かな炭酸が喉に心地よい。


「ねえアイン、早く説明して! あの巻き毛の男の子は?」

「だから、君と試合をしたのは俺」

「だって髪の色が……」

「これ? 元々薄い金色だったけど成長するにつれてどんどん色が薄くなったんだ、目の色も同じだな、小さい頃はジークと間違えられることもあったけど、学院に入る頃には全然違う色になってた。でもあいつと比べるから銀色に見えるだけで、光に透かすと、ほら金色だろ?」


前髪を一房つまみ、こちらに顔を近づけてきた。

たしかによく見るととても薄い金色、神秘的な灰色の瞳も、虹彩に水色が混ざっていて不思議な色をしている。


まるで冬の夜明けの空みたいな美しい瞳だわ……。

アインが視線を外さないせいでどんどん頬が熱くなっていく、それどころじゃないのに……あ、そうだ!


「ねえ、じゃああいつはどこにいたの? 決勝にはいなかったよね?」


必死で過去の記憶を辿る。式典の時に王子がいるとは聞いていたけど、二人もいるなんて言ってたっけ? 全然思い出せない。


「決勝に居なかったというより、あの大会に出てたってこと自体がジークの嘘なんだ」

「え?」

「あの式典は毎年10月に開催されるだろ、俺の母親が亡くなったのがその二か月後の12月、そして継母とジークが王宮に来たのは年が明けて2月だ」

「2月……」

「だから、ジークは7歳で王宮に入ったけど式典には出ていないんだよ」


嘘……え、完全に騙されてた?


忘れもしない12歳の誕生日。

ジークフリードがたくさんのお供を連れてきて、自分から「覚えてる?」って言ってきた。

少女だった私は、話の内容から勝手にあの時の王子だと決めつけてしまったんだわ。

くっそあの馬鹿王子! あいつにもムカつくけど、まんまと乗せられてしまった自分にも腹が立つ! 


目の前にあるオレンジの砂糖漬けを一枚口に放り込んだ。

果実を感じる自然なほろ苦さが、頬をぎゅっとつまむ。

それでも怒りは全然収まらない。

続けてもう一枚に手を伸ばすと、アインが私の手を掴み、そのまま両手でしっかりと握った。


少し熱を帯びた長い指、私の動揺が指から伝わってしまいそうで思わず力が入る。

見慣れた顔なのに、さっきから何度も見つめられて心臓が落ち着かない。


「どうしたの、アイン……」

「さっきも話したように、あの金髪の痩せっぽちの男の子は俺だ。あの時からずっと君のことを思ってた、俺は運命だと思ってた」

「運命……!」


突然の告白に心臓が凄い音を立てて跳ねた。アインが私の事を……? 


「ずっと好きだった」

「好き……?」


アインは頷くと小さく咳ばらいをした、顔が少し赤くなっている。


「俺は7歳の式典で君に恋をしたんだ。宮殿内でも君のことを執事や家庭教師に話していた、もちろん父も知っていた。この白獅子から白鷲までも噂は広がっていた。だからといって、ジークフリードが、俺の思い出を盗んで君に婚約を申し込みに行くなんて、そんな最悪なこと誰が考える?」


私だって疑ったこともなかった。

あの少年が本当はアインで、ジークフリードが嘘をついていただなんて……。


「俺もこの事実を知ったのは最近の事だ。俺に対する当てつけのために君に婚約を申し込んだってのを聞いたときは、白鷲宮に殴り込みに行くところだったよ」

「そんな……」

「会うたびに君への気持ちはふくらむばかりだった、君が幸せに見えないこともずっと気になっていた。それでも二人の間に婚約があるのは事実で、とても……とても苦しかった」


アインは私から目を逸らさない、美しい灰色の瞳の中に私が映り込んでいる。


「それから、あいつの良くない噂も含め、全てを調べてやろうと思ったんだ。高等科でのあいつの態度は目に余るものがあった。もし君に手を出すようなことでもあれば、いつでも飛び出せるように校内ではずっと監視していたんだ」

「……あ!」


そういえば、ジークフリードと揉め事があった後、必ずアインに会っていた……あれは偶然じゃなかったってことなの?

今までずっとアインが私のことを守っていてくれたなんて。


ジークへの怒りと呆れ、そしてアインの告白に対する嬉しさと恥ずかしさ、いくつもの感情が頭の中でぶつかり合って言葉が出てこない。


「もしかして、ジークのこと好きだった?」


少しだけ眉を下げ、アインが私に訊ねる。

大きく頭を振り、否定しようとした瞬間、アインが私の肩に手を置きそのままぐっと引き寄せられた。

力強い腕と大きな胸に全身が包まれる。

さっき以上に心臓が跳ねあがり、部屋中に響いているのではと思うくらいに胸が高鳴っている。アインの手は私の背中を優しく支えた。


「シャルロッテ」


アインの体から声が響いてくる、優しくて落ち着く声だ。

腕の中にいるのに嫌な気持ちは全くない。


「シャルロッテ、聞いてる?」


アインは背中から手を離し、少し屈むようにして顔を覗き込んできた。

自分がいまどんな顔をしているかわからない。


「……聞いてるわ」

「本当は、もっともっと早くこうしたかった、おれがあいつの不正を暴いて婚約破棄をさせるつもりだった」

「……」

「もう、君を誰にも取られたくないんだ」


アインは力強い口調で言い切ると、私に優しく微笑みかけ、片膝をついて右手を差し出した。


「結婚してくれないか、シャルロッテ。君を幸せにできるのは俺だけだと思ってる、君がいない人生を過ごすなんて想像できない」

「え、そんな……え……」

「君はいつでもはっきりと答えてくれるよね、俺の事が嫌なら断ってくれていいよ」

「嫌だなんて……でも……」

「俺はずっと君が好きだよ、迷惑だったかい?」

「迷惑なんかじゃ……」


灰色の美しい瞳が私の瞳を捉えて動かない。

今までに見たことがない真剣な表情、頬に緊張が見える。

さっきまでと声の調子も全く違う、冗談だよ、なんて絶対に言い出しそうにない……。


本当に私でいいの?

ジークフリードに振り回されながら、婚約したことを何度も後悔して、あの時の少年がジークじゃなければなんて、叶いもしないことを考えた時もあった。

でもどうしようもないことだといつの間にか諦めてた。


アインと仲良くなってからは、アインは私の婚約者の兄、気が合う大切な友達だと、これ以上はいけない……と、何度も自分に言い聞かせていた。

友達として過ごせるだけでも楽しくて、それで十分だと思ってた。

まさか、アインも同じ気持ちでいたなんて……。


私に向かって差し出した右手が、かすかに震えている。

アインのこんなに不安そうな顔を見たことがない。


本当に、本当に私でいいの? 

体中が心臓になってしまったのかと思う程、全身が震え始めた。

胸が苦しくてたまらない、何か言葉を発すると泣いてしまいそう……。


「もう一度言うよ、俺はシャルロッテのことを愛してる」

「……」

「シャルロッテは俺のこと嫌い?」

「……嫌い……じゃ……な……」

「俺は大好きだよ、どんどん好きになっていった。君がどんなに大胆で向こう見ずでも、口が悪くて何でもはっきり言ってしまうとこも、嘘が苦手で家族や友達を大切にするとこも、そしてもちろん可愛い笑顔も。君の好きなとこはまだまだ言い切れないくらいたくさんある」


いつもと変わらない優しい笑顔、私を見つめる瞳。

差し出されている真っ白な指先にわたしはそうっと自分の手を乗せた。


「シャルロッテ?」

「……好……き」


泣くつもりはないのにぽろぽろと涙が零れ落ちる。


「聞こえない、なんて言ったんだい?」

「もうっ! 好きっていってるでしょ、私も大好きよアイン!」


言い終わると同時に、アインが私を思いきり抱き締めた。

自分の鼓動なのかアインのものなのか、わからなくなるくらい激しい心臓の音が全身に響いている。

力強い両腕に包まれ、全身の力が抜けそうになってしまう。

父や母にもいままで数えきれないくらい抱きしめられてきたのに、どうしてこんな気持ちになるんだろう。


頭の上から私の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。

答えるのが恥ずかしくて胸に顔を埋めていると、背中から肩へとアインの手が移動するのがわかった。


そうっと目を開けて見上げると、すぐ近くにアインの顔があった。

涙で睫毛が濡れているせいか、視界が揺れてはっきり表情が見えない。


「愛してるシャルロッテ」


アインは私の額にかかった髪をそっとあげ、そのままおでこに口づけをした。

突然のことに動揺していると、その顔を見て嬉しそうに微笑み、今度は頬にキスをした。

一気に耳まで熱くなるのがわかる。


アインは両手で私の頬に流れた涙をぬぐい、少し冷たくなった指で私の唇に触れた。

反射的に瞳を閉じてしまう。

アインがくすくす笑っている。


「もう、何で笑うのよ」

「だって、あまりにもシャルロッテが可愛いから」


アインはそういいながら私に顔を近づけてきた。

頬にあたる長い睫毛がくすぐったい、そう思っていると、薄くて柔らかい唇がゆっくりと私の唇に触れた。


そしてまた、包み込まれるように抱きしめられた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る