顔だけ王子とふたりのシャルロッテ 1


突然近づいて来たシャルに、アインハード王子は戸惑いの表情を見せた。

ジークフリードは一瞬だけ怯むような姿勢を見せたが、すぐにいつもの甘い笑顔になり、シャルに向かって手を差し出した。


「シャル……シャルロッテ・エレム、どうしたんだい?」


愛称で呼ぼうとして、侯爵夫妻が近くにいることを思い出したのか、取り繕うようにフルネームで呼びかける。

さっき、あれだけの態度をとられたのはもう忘れたの馬鹿王子? なんで普通に話しかけられるんだろう。

シャルもそう、まだジークフリードと話すことがあるの?


「ジークフリード様、先程わたくしが話していた、ペンをフリュ……」

「ああシャルロッテ・エレム、何か誤解があったようだね」

「誤解? 何のことです? ジークフリード様がシャルロッテ様に……」

「いや、いいんだシャル、後で話そう、な」


ジークフリードが目に見えて焦っている、フリューリング侯爵夫妻はシャルを凝視していた。

それに気づいたジークフリードは体が触れそうなくらいシャルに近づき、夫妻に表情を見られないような姿勢でシャルの手を取った。


「シャルロッテ・エレム、話は後で聞くと言っているじゃないか。君は教会の手伝いがあるんだろう?」

「あーーーもうっ! やめてくださいませ!」


いつも可憐で、鳥のさえずりのような声のヒロインが、驚くほど大きな声を上げ、ジークフリードの手を振り払った。

呆然とする馬鹿王子に、口を真一文字に結び明らかに拒絶の表情を見せている。


「あら……」

「おお」


ロッティとアインハード王子が同時に声をあげた。

シャルは肩が上がり、猫なら完全に威嚇の体勢だ。相当苛立っているのがこちらに伝わってくる。


「え……」


ジークフリードがやっとのことで言えた言葉が、その一言だった。

ペンの天冠をもちだした時からシャルの様子はおかしかった。


「そういう事をなさるから、まわりに誤解されるんです!」

「誤解? だって僕達は……アイシアッテイタデハナイカ……コノ……」


うわっ急に声ちっさ! さっき大声で大勢の人の前で婚約破棄宣言した人とは思えない。


「で・す・か・ら、それです! 愛し合ってなんかいないし、元から愛していません!」


さっきジークフリードの手を振りほどいた時以上に大きな声で、顔を真っ赤にしてシャルが叫んだ。

あまりのことにロッティの口がぽかんと開いている。

アインハード王子はまん丸に目を見開き、なぜかわたしのほうを見て首を傾げた。

いやいや、わたしだって知らないですって! 

同じように首を傾げて、大きく両手を振る。


フリューリング侯爵夫妻も、宝石のような瞳をこぼれ落ちそうになるくらい見開いてジークフリードの顔を見つめていた。

そんな周りの様子に気づいたシャルは、姿勢を正し、こちらに向かって一礼をした。


「皆様の中にも勘違いをされている方がいたと思うのですが、わたくしとジークフリード様は何の関係もございません、これをはっきりとさせたくて」

「付き合ってないの?」


ロッティが普通に質問している。婚約者とは思えない質問だ。


「はいシャルロッテ様……わたくしは教会で育てられました。普通であれば貴族の方とこうやってお話しする機会もほとんどなかったような身分です。それが、リーリウム学院に特待生として入学することが決まり、そこでこの国の第二王子であるジークフリード様に声をかけられました。入学式にお名前を伺ってからは、呼び出され、パーティに誘われ……でも、普通なら口もきけないようなお方です、断れると思いますか?」


あ、そうか。ヒロインだからとあまり気にしていなかったけど、貴族、ましてや王族にはあまり接点がない立場だ。

しかも相手はこの国の王子、何か粗相があると自分だけではなく教会にも迷惑がかかると思ったのかもしれない。


え、じゃあジークフリードのことが好きなわけじゃなく、仕方なく付き合ってただけ?

シャルの話す言葉には、さっきと同様に可愛い声に隠れた棘がある。

さらに駄目押しするかのようにシャルは口を開いた。


「本当はパーティにも行きたくありませんでした。しかしそれは教会の為。図書館にいるときもいつも来られるのが嫌でした。学院で本を読むのが楽しみだったのに、必ずジークフリード様に見つけられ、本を読むどころか勉強もできません。あげくには、おかしな噂が校内に広がってずっと迷惑でした!」

「な!」


みるみるジークフリードの顔が真っ赤になっている。

愛し合っていると思ってた麗しのシャルロッテに、実は迷惑がられていたなんて、しかも皆の前で言われるなんて……。

それでもジークフリードは、気を取り直したように最高の笑顔を作ってシャルに話しかけた。


「大丈夫だシャル、あとで僕が何とかするから無理をしないでいい、ここは……」

「無理なんてしていません! あなたはいつも的外れなことばかり、何言ってるんだろうと思っていました、顔に出そうになるのを必死で堪えるのが大変でした。お話しをすると御自分の良いほうにばかり取られるので、一緒に居るときは最低限の事しか言わないようにしていました。でもそれが間違いだったのだと今日気付きました。さっきも言ったように、付き合っていません! 愛し合っていません! ずっと迷惑だったんです!」


はっきりと言いきったシャルの息が上り、顏が紅潮している。


言葉数が少ないと思っていたけど、それはあの馬鹿王子の前だったからか……ていうか、すっごく喋る、さっきも思ったけどこんなに喋る子だったんだ。

いつも口に手を当ててヒロインっぽいなあと思っていたのも全然違ってたのね……先入観って怖いな……なんだか申し訳ない。


やっと言いたいことを言えた解放感なのか、王子に対して侮辱する発言をしてしまったという恐怖からなのか、シャルの小さな唇が小刻みに震えていた。


「この、嘘つき女め!」


突然、ジークフリードが聞いたことがない声で叫んだ。

続けて、憎悪に満ちた形相でマントを翻し、シャルの正面に体を向けると凄い勢いで腕を伸ばした。


危ない!!

そう思った瞬間、シャルの前にはロッティが飛びだしていた。

勢いが止まらないジークフリードの右腕は、ロッティの体に強く当たり、激しくよろめかせた。


「あんた、何しようとしてんのよ? 女の子に手を上げるの? この馬鹿王子!」

「お前には関係ない! それに手をあげようなんてしていない、その女は嘘つきだ。それを皆に知らせようとしたまでだ!」


シャルはロッティの後ろでへたり込み、真っ青な顔で細い肩を震わせている。

ジークフリードの暴言は止まらない。


「僕は騙されたんだ、君という婚約者がいるのに、その女は入学式の時から僕に好意があるそぶりを見せていたんだ。さっき話していたペンの天冠の話だって本当に知らない、この女はとんでもない嘘つきだよ!」

「……」


ロッティの全身が怒りに満ち溢れている、ここまで熱気を感じるくらい憤っている。

強く拳を握り、今にも殴り掛かりそうな雰囲気だ。

それを察したように、アインハード王子が動いた。


「アインハード、動かないで!」


吐き捨てるように言ったと思った瞬間、ロッティの手がジークフリードの胸倉を掴んでいた。

真っ白で華奢な腕、それでも渾身の力で引っ張り上げているのだろう、ジークフリードの顔が歪んでいる。

フリューリング侯爵夫妻は、一瞬驚いたような様子を見せたが止めようとはしなかった。


「シャルロッテ……苦し……離し……くれ」


苦しそうな声を出すジークフリードの襟元を、ロッティはグイっと引き寄せる。


「ねえあんた、さっきここにいたハムザって男を嘘つきだと言ったよね? そして今度は愛してるとまで言ってたシャルロッテのことも嘘つき呼ばわり。じゃあさ、なんで私を放火の犯人だと言ったの? 自分が言ってることめちゃくちゃなのわかってんの? この馬鹿王子!」


ロッティはさらに胸元を引き寄せ、反対の手をジークフリードの肩に当て、引きはがすようにして向こう側へ突き飛ばした。

急に離されたジークフリードは、転倒しそうになりながらもぎりぎり持ちこたえ、芝に膝をついた。


「くっ……」


顏をあげる一瞬、ジークフリードは憎々しげな表情を見せたが、急に満面の笑顔に切り替えてロッティに話しかけた。


「シャルロッテ、何かの間違いだ、落ち着いた場所で話をすればきっと誤解が解けるよ」


え、この馬鹿王子、ここまで矛盾ばかりなのにまだ自己防衛できるの、凄い。

いったいどんな言い訳をして逃れようとしてるの? 頭が悪すぎてそんな深く考えてないのかな。

流石帝王学を学んだだけあってポジティブ思考の塊なのね、……いや、違うか、これは完全にこいつの性格だ。


ロッティはあまりのジークフリードの言い草に、軽蔑を通り越して、唖然とした表情になっていた。

眉間にぐっと皺を寄せたかと思うと、突然、水色の瞳が輝いた。

そして、何かを思い出しているのか、うんうんと頷いている。


わたし達はロッティの考えがわからず、ただ彼女のことを見つめていた。

これ以上ないと言うくらいに目を見開いたロッティの口の両端が、自然と上がっていく。

キラキラとした美しい瞳が、アインハードとフリューリング侯爵夫妻、そしてシャルを見渡し、わたしのところでぴたりと止まった。


ロッティは大きな瞳を瞬かせたあと、ぎゅっと目を細めると、ワンピースの裾を軽く捌いて姿勢を整えた。

そのまま、必死の形相でズボンと手についた芝をはらうジークフリードの真正面に立った。


「忘れていましたわ。先程言われた婚約破棄の件、いまここで返事をさせていただきますわね。私シャルロッテ・フリューリングは、ジークフリード・オルターからの婚約破棄の申し出をお受けいたします。あちらに私の両親もおりますので証人になりますわね……いままで楽しい思い出をありがとう王子様!」


大袈裟なほど深々と頭を下げたロッティは、いままでの中でも最高に優雅なお辞儀をしてみせた。

続けてこちらに見せた表情は、子供の頃から変わらない、眩しくて屈託のない笑顔だった。


え、ちょっと待って、婚約解消、お受けいたします……!!。

そうだ! さっき馬鹿王子が言い捨てたままだった、それを今、受けたの!?

どうしよう、やだ、嬉しすぎて落ち着かない、いますぐ叫びたい。


フリューリング侯爵夫妻は、顔を見合わせて何度も頷いてる。

アインハード王子はもちろん、警備団さえも笑顔だ。


婚約破棄成立っ!! くぅぅぅぅーーーー!!


「やったーーー! ロッティーーー!!」


居ても立っても居られず、両手を広げてロッティに駆け寄ると、絹のような金色の髪を靡かせたロッティが胸の中に飛び込んできた。


「ありがとエミリー」

「ロッティ……本当に良かった、わたし何もできなくて……」

「ううん、私エミリーがいたから毎日頑張れたんだよ」

「そんな……わたし……」


こんなに最高なことが起こっているのに、うまく言葉が出てこない。


「本当よありがとう」


ロッティはいつものように可愛い歯を見せ、わたしの目を見てにっこりと微笑んだ。

くぅー可愛いよー最高だーーーー!! ロッティはもう悪役令嬢なんかじゃない! 


わたしを見つめるまっすぐで美しい瞳を見ていると、愛おしさで胸が張り裂けそうになる。ロッティはそんなわたしを見ながらくすくす笑っている。

後ろでは、呆然と立ち尽くすジークフリードの前に、フリューリング侯爵が近づいていった。


「ジークフリード王子、あなたが私の娘に婚約破棄を宣言した時、実は人混みに紛れて聞いておりました。その後のことも、もちろん全て見ております。12歳から4年もの婚姻期間、こちらも至らない点があったかもしれませんが、ありがとうございました。これからはもう一切関係ございません。正式な手続きの書類はそちらの手を煩わせないようこちらで用意いたしますのでご安心ください。では、失礼いたします」

「いや、それは誤解で……」

「誤解? 娘は大勢の人前で濡れ衣を着せられ婚約破棄まで告げられた。今日の出来事を少しでも見た人の口を伝われば、シャルロッテが悪い事をしたらしいと、噂だけが独り歩きする可能性が高いでしょう、私はいくら王子といえどあなたのことが許せません。どうかもう一切関わり合いにならないでください、今はこれが精いっぱいです。では、失礼いたします」


フリューリング侯爵はしっかりと頭を下げ、後ろで待っていた夫人の手をとり、こちらに向かって手を振った。


「お父様、すっごく怒ってる」

「そりゃあね……」

「はぁ……私も家に戻ったら怒られるわ……」


ロッティは溜息をついてはいるが、嬉しさが抑えられず笑顔のままだ。

頬を薔薇色に染めた夫人は、こちらに向かってウインクをすると、美しい扇子を振りながら、フリューリング侯爵と腕を組み去って行ってしまった。


二人の背中を見送ったあと、ロッティはくるりと振り返りシャルに近づいていく。

祈るように両手を合わせていたシャルは、魂が抜けたようにボーっと立っていた。


「ありがとうシャルロッテ」


シャルは突然声をかけられ、言葉のとおり飛び上がるほど驚き、慌てたように頭を下げた。


「んもう、そんなしなくてもいいって言ったじゃん。それにあなたがずっとあの天冠を持っていていくれたから、私が犯人ではないって証明になったの。本当にありがとう」

「シャルロッテ様……」

「それ! 同じ名前で面倒だから私もシャルって呼んでいいかしら?」


ロッティの言葉を聞いたシャルは、ペリドットの瞳をキラりと輝かせて何度も頷いた。


「じゃあ、シャルも私のことロッティって呼んで」

「え……それは……」

「嫌なの? やっぱ私の事嫌いなんだ?」


わざと悲しそうな表情を作り、呆然と立ち尽くす馬鹿王子を横目でチラッと見ながら、ロッティはシャルに向かって唇を尖らせる。

うわぁ、演技とはいえ破壊力強い! 可愛いなんて通り越してるよーもう意味が分からない。ロッティにこんな顔されて、お願い断れる人なんている?


そんなロッティを正面で見ているシャルは、耳まで真っ赤にして口をパクパクしている。シャルも可愛いすぎる、わたしの心臓が持たない……。

ロッティが悪役令嬢じゃなくなった今、二人が仲良くなることは何の問題もない。

わたしは眉を下げっぱなしのシャルに対して、首がもげるくらい何度も頷いた。

それに応えるように、シャルも同じように何度も頷き、ようやくロッティに口を開いた。


「で、では……ロッティ……様」

「様は余計だけど、まあいいわー やっと普通にお話しできたわね、よろしくねシャル」


言い終わる前にロッティはシャルに思い切り抱き着いた。

シャルの顔がますます真っ赤になり、いまにものぼせて倒れてしまいそうな表情をしている。あー二人とも可愛い、眼福です、最高!


さっきまでの修羅場が嘘だったかのように、三人の間に穏やかな空気が流れていた。

ふと、馬鹿王子が棒立ちのままこちらを睨みつけていることに気づいた。なんて粘っこい男なんだろ。

その後ろで、アインハード王子が警備団の男たちに手で合図をしている。

駆け寄った警備団の一人が、ジークフリードに敬礼をする。


「ジークフリード様、放火の現場を見られた時の状況をお伺いしたいのですが」

「は? 僕はやってないぞ!」

「はい、そういうお話ではございません。ジークフリード様が第一発見者でいらっしゃるのでお話をお伺いしたいだけです」


声の抑揚をまったく変えずに返答する警備団の男に対して、ジークフリードは舌打ちをした。

横に居たアインハードが眉を顰める。

そんな様子を眺めていたふたりのシャルロッテは同時にため息をついた。


あんな馬鹿王子に二人とも振り回されてたんだもんね、そりゃため息も出る。

それに婚約解消はできたけどこの件は解決したわけじゃない。

この後シャルもロッティもいろいろと聴取されるだろう。


フードの男、ハムザだっけ……彼がアインハード王子と話したように嘘の証言をせず、シャルの話もしっかり聞いてくれれば、ロッティが罪に問われることは絶対にない。

ただ相手は第二王子、どんな手を使ってくるかがわからない……。


先のことをあれこれ考えていると、無意識にため息が漏れた。

ロッティとシャルがわたしを見て笑っている。

こんなに可愛い二人の笑顔を見ていると、あんな馬鹿王子のことで悩むのが馬鹿らしくなって、一緒にふふふと笑ってしまった。

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