婚約破棄宣言 1
わたしはライアンを下におろし、男が震えながら差し出しているものに全力で目を凝らした。
本当だ、あれは慈善パーティの日にロッティが持っていた万年筆に似ている。
艶やかな紺色の軸、そこには金細工が施してあるように見えた。
たしかフリューリング家の職人に作らせたと言ってたっけ……。
でも、パーティの後、ロッティの手元にはなかったんだわ。
なぜそのペンをあの男が?
というより『ある方に頼まれて……』と言った後にペンを出したよね、どういうこと?
広場の中央では、皆の注目を浴びたジークフリードが、満足そうな顔で男に手を差し出していた。
男は持っていたペンを押し付けるように渡し、ポンチョに腕を入れると、また俯いてしまう。
ジークフリードは、目線より上の高さにペンを掲げ、わざと周囲に見せるようにくるくるとまわしている。
その時、背中にスッと氷の棒を差し込まれたような感じがした。
全身がぶるっと震える。
わかった……。
この『ふたりのシャルロッテ』の世界が、ロッティを犯人にしようとしている。
ここはジークフリード王子とシャルロッテのストーリーの中。
どうやっても抗えないんだ……。
ううん、違う! もしそうだとしても、今はわたしがいるじゃない!
全然頼りないのは自分でもわかっている。
ロッティに降りかかってくる何かを、うまく避けられないかもしれない。
それでも、わたしはロッティを守り続ける! どんな未来が来ても絶対に離れない!
さあ、ジークフリード王子。あなたは今から何をする気なの……。
ペンを観衆達に見せ終わったジークフリードは、項垂れている男の肩に手を置いた。そして、大きく息を吸い込み、満を持した様子で口を開いた。
「君の勇気ある行動に感謝するよ、このペンの持ち主に放火の依頼を受けたんだな?」
「……そうでございます」
「理由は後で聞こうではないか。君は善人に見える、この神聖なる教会に火をつけるなんて、余程の理由……ん? これは!」
ジークフリードは男に話しかけながら、手に持ったペンをわざとらしいくらい二度見をして、大きな声をあげた。
さらに、大きな手ぶりで頭を抱えた後、観衆達に向けて悲し気な表情を作って見せた。
周囲からは不安や心配の声が上がり始め、その声はみるみるうちに広場に拡がり、あたりはざわめきに包まれる。
「皆さん静粛に!」
バサッとマントを払い、ジークフリードはその場を一斉に黙らせた。
は? 静粛にって、あなたが変な表情で動かなくなるからでしょ。
ずっと思ってたけど制服にマントって何よ、ロッティの言うとおり本当に格好悪い。それに、さっきから正視できないほど大袈裟でわざとらしすぎる。
ジークフリードは天を仰ぎ、悲痛な表情のまま目を閉じた。
「残念ながら、僕はこのペンの持ち主を知っている……」
「それ、私のよ」
横に居たロッティが、ジークフリードの一人舞台に乱入するかのように、ペンを指さしながら歩み出た。
周りからは小さな悲鳴や、驚愕の声があがる。
勿体ぶった様子で一人悦に入っていたジークフリート王子は、驚いた顔をこちらに向けた。
もちろんわたしも心臓がとまるほど驚いた。
まさかここでロッティが声をあげるとは思っていなかったからだ。
しかし、ロッティは周りの様子などまったく気にせず、まっすぐジークフリードの元へと向かっていく。わたしもロッティの横にぴったりとくっついた。
足を止めずに近づいてくるわたし達を、困惑したような表情で見つめていたジークフリードは、突然両手を前に出して、これ以上近づくなと言わんばかりに制止した。
「や、やあ婚約者どの、僕は……君の名前を出すつもりはなかった……」
「そんなの知らないわよ」
二人が話し始めると、周りは水を打ったように静まり返った。
今ならコデマリの小さな花弁が地面に落ちる音さえも聞こえそうだ。
フードの男は、額を地面に付けてうずくまっている。全身が震えている。
そもそも、放火犯だと言われて連れて来られた男が、顔を隠したままというのはおかしい。
普通なら先に「顔を見せろ!」って言うはずでしょ。
話をシナリオ通りに進めるために、ジークフリードが用意したと考えれば、このすべての不自然さの辻褄が合う。
ジークフリードはわざとらしく咳ばらいをした。
「では、シャルロッテ・フリューリング。君の持ち物であるなら、この男に放火を依頼したのは君ということか?」
「は? ペルペトゥア教会は、この国、そしてここで育った人達にとって大切な場所よ。なんでそんなわけわかんないことすんのよ、馬鹿なの?」
「ばっ……白を切るのか、この男がペンの持ち主に依頼されたと言っているのだぞ」
「だから……」
「だからとはなんだ? これが何よりの証拠だろ!」
高圧的な態度で、ジークフリードはこちらに踏み出し、手を伸ばしてきた。
あーもう! この馬鹿王子!
あまりのことに我慢できず、わたしがロッティの前に立ちはだかると、ジークフリードの手は、体に触れるぎりぎりのところで止まった。
「待ってください、ジークフリード王子!」
「ど、どうしたのだ、エミリー・ランハート……君には関係ない話だ!」
まさかわたしが出てくると思っていなかったのか、ジークフリードは狼狽えるような表情で後退る。
「先程王子は『男が依頼されたと言っている』とおっしゃっていましたが、そこの男性からはそのような言葉を聞いておりません。王子がおっしゃったことに返事をしたまでです」
「それは認めたという事だろ!」
わたしの振舞いに苛立ちを抑えられなかったのか、ジークフリードは言葉を荒げた。
観衆が息を呑む。
そんな周りの様子に気づき、取り繕うようにわたしに向かって笑顔を見せた。
「すまないエミリー」
「いいえ構いませんわ、それよりそこの男性! 顔は上げられないのでしょうか? そのペンの持ち主に、いつ、どこで、どのような理由で、何を条件に、この教会に火を放つよう頼まれたのです? なぜそのペンをあなたが持っているのです?」
わたしはさっきのジークフリードに負けないくらいの大声を出した。
続けて、男に近づこうと足を踏み出すと、ジークフリードが男に駆け寄って両手を広げた。
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