婚約破棄宣言 2
「どうしたのだエミリー、そんな大声を出して君らしくないではないか」
ジークフリード王子は、吸い込まれそうなくらい青く美しい瞳をわたしに向けた。
笑顔を作っているつもりなのかもしれないが、頬が全く上がっていない。
内心そうとう頭にきているのだろう。
目の周りが紅潮し、少しだけ唇が震えている。
こっちだってそれ以上に腹が立っている。
大好きな親友であるロッティが、濡れ衣を着せられそうになっている。
しかもその婚約者は、庇うどころか放火を依頼されたと戯言を言い、顔も見せない男のことを擁護しているのだ。
「王子、君らしくないとはなんでしょうか? わたしの大切な友が罪人として疑われているのですよ? それにその男性はなぜ顔を見せないのです? 百歩譲って誰かに依頼されたのだとしましょう、それでも実行したのはその男じゃないですか!!」
自分でも驚くくらい一気に喋ることができた。
広場中にわたしの声が響き渡るのを、身体で感じる。
周りにどう思われてもかまわない!
でも、お父様とお母様にはあとで謝らなくては……。
ジークフリート王子はわたしの言葉に身動き一つしない。
この状況に、観衆がざわつき始めていた。
「ランハート嬢の言うように、あの男が顔を隠したままなのは……」
「王子はいったい何をしたいのかしら……」
「生意気な小娘だ、王子に何という口の利き方……」
「俯いている男の顔が見たいわ……」
聞こえてくる声は、否定的な意見ばかりではない気がする。
この男の顔を見たからってどうなるかはわからない。でもずっと顔を伏せたままなのは何か理由があるはず……。
突然、ジークフリード王子が大きくマントを振り払った。
辺りが一瞬で静かになる。
広がるマントの隙間から、鈍いくすんだ目をわたしだけに向けた。
睨みつけるような、それでいて恐ろしく感情のない目だ。
視線はわたしを通り越し、背後にいる誰かを見つけてぴたりと止まった。
「友人に頼んで話を攪乱させるとは、本当にがっかりだよ
止まった視線の先に居たのはロッティだった。
ジークフリード王子は、わたしを無視してロッティに話しかけている。
不機嫌な感情を隠そうともせず、顔面をゆがませて笑っているのか怒っているのかわからない表情。
私は我慢できなくなり、ジークフリート王子の前へと一歩踏み出した。
「ジークフリード様、わたしは頼まれてなどいま……」
「黙れ!」
「ちょっと、私の大事な友達にそんな言い方しないでくれる?
立ちすくむわたしの前にロッティが駆け寄ってきた。
それに合わせるかのように、ジークフリードもロッティへと近づく。
先程の不機嫌な表情とは一転して、口の端をあげてとても嫌な笑みを浮かべていた。
どんな綺麗な顔でも興ざめする表情だ。
「さては、放火を頼んだ証拠が出て焦っているのだろう?」
「だーかーらー、そんな人知らないし」
「でもこれは君のペンだ。フリューリング家の職人に作ってもらったと自慢していたではないか、この世の中に一本しかないんだろう?」
ジークフリードが、ちらちらとペンを揺らしている。
そう、この世界に万年筆はなく、これは大変珍しいものだ。
しかも、天冠にはロッティを示すマグノリアの文様が描かれている。証拠にするには十分すぎる。だからこそ自信満々に出してきたのだろう。
「ええ、それは私のだけど、なんでその人が持ってるのかがわからない。だって無くしたものだし」
顔色一つ変えず、いつもどおりに答えるロッティに対して、ジークフリードは大げさな動作で吹き出してみせた。
マントがバサバサと顔にかかっている。
それを振り払っても尚、我慢できないというような表情で笑い続けている。
その様子に、周囲の雰囲気が一気に活気づくのがわかった。
わが国の第二王子と、その婚約者の一挙一動に皆が前のめりになっている。
「ハハハハハ、無くした? そんなわかりやすい嘘をつくとは、ハハハハ、すまない、笑いが止まらない」
ロッティは、目の前で大げさなパフォーマンスを続けるジークフリードを冷めた目で見ていた。
ただ、拳は強く握りられている。細くて白い指が一段と真っ白に見えた。
今日はペルペトゥア生誕祭、聖なる祭りの日だ。
もうすぐフリューリング侯爵夫妻も到着するだろう。
それまで、
「何を笑ってんの? 私は嘘は言ってないわ、本当になくしたのよ」
「もういい、どれだけ話しても埒が明かない! 君が嫉妬にかられて、シャルが育ったこの教会に火をつけようとしたのだろう? いままでどれだけシャルに嫌がらせをしてきたのか、僕は全てわかっているんだ!」
「ハァ?」
ロッティが今までに見たことがないくらい呆れた顔をした。
ジークフリードはそんなことなど全く気にせず、効果音が聞こえそうな動作でこちらを指さし、決め顔をしている。
そして、まわりをぐるりと見渡したかと思うと、売店の隅にいるシャルに向かってわかりやすぎるくらいのアイコンタクトをとった。
ヒロインであるシャルは、顔を隠すように俯いてしまう。
顔を伏せるシャルを見て、ジークフリードは満足そうに微笑んだ。
周囲の人達は、ふたりのシャルロッテとこの国の第二王子に釘付けだ。
それを感じ取ったのか、ジークフリードは再度ロッティに向けて大きく指をさした。
「シャルロッテ! 嫉妬のあまり教会に火をつけるとはなんと最低な女だ。このジークフリード・オルター、ここに貴様との婚約破棄を告げる!」
「え?」
あまりに突然の婚約破棄宣言だった。
ロッティも驚きのあまり固まっている。
ちょっと待って……シチュエーションは違うけど、いまの言葉は、特典ムービーでみた婚約破棄のシーンと同じセリフだ……!
周囲は一瞬時が止まったのかと思うほどの静寂が広がり、その後一気にどよめきへと変化した。
その声の圧力で、ロッティはハッと我に返り、ゆっくりとわたしの顔を見た。
「ねえ、いま……」
透き通るような水色の瞳が、悲しみとは全く違う、驚きと不安、そして疑問、すべてが入り混じったような複雑な感情で揺れている。
いきなり濡れ衣着せられ、反論をしている途中に婚約破棄を言い渡されるなんて、混乱してしまうのは当たり前だ。
そうか……。
ジークフリードの目的は、ロッティを貶めることではなく、皆の前で婚約破棄を宣言することだったんだ。
しかも証人がたくさんいる前でやりたかった、だから今日を選んだ……。
可憐で美しいヒロイン、もう一人のシャルロッテ。
彼女への想いがここまでのことをやらせてしまった……。
それにしても、こんな強引な方法はありえない。
ロッティを犯人呼ばわりしておいて、証拠はペンのみだなんて!
目の前には相変わらず顔を見せないうずくまる男。
当然、周囲のざわめきも止まらないどころか大きくなっていた。
広場には、新緑の若葉とコデマリの花びらが舞っている。
わたしはロッティの手をそうっと握った。
虚空を見つめる湖の底のように沈んだ水色の瞳。
長い睫毛がぱちりと瞬き、ロッティはいつものまっすぐな瞳でわたしの顔を見た。
さっきまで強く握りしめていた手が、微かに震えている。
どうやっても避けられない強制イベント。
そんなことを知らないロッティは、なぜ身に覚えのない悪意を向けられ、周囲に晒されるのか意味が分からないはずだ。どれだけ辛く悔しいだろう……。
わたしは、少し風で乱れてしまったロッティの美しい金色の巻き毛をととのえ、華奢な肩を思いっきり抱きしめた。
「ロッティ、あなたが何も悪いことはしてないのはわたしが良く知ってる。あなたを傷つける人は全員わたしの敵よ! わたし……」
なにもできなかった自分が悔しくて泣きそうになる。
でも、絶対に泣いたら駄目。だって苦しいのはわたしじゃない。
腕の中のロッティが「ありがとう」と小さな声で呟き、ゆっくりと腕を外した。
そして、いつもの笑顔を見せながら、今度はロッティがわたしの体を抱きしめた。
広場の中央では、ジークフリードが瞳を潤ませて、なぜか薄ら笑いを浮かべている。
達成感に満ちた表情で、周囲を見渡すように両手を広げ、集まっている人たちにお辞儀をしていた。
すると、まるでそれが合図だったかのように、少し離れた場所に居た警備団の男たちがこちらに向かって駆けてきた。観衆たちは一斉に警備団に注目する。
「お待ちくださいませ!」
雑然とした雰囲気の中、広場の隅からとても良く通る美しい声が聞こえた。
警備団に目を向けていた人たちが、今度は声の方向へと目を移す。
皆の注目を浴びながら、恐る恐る中央に出てきたのは、もう一人のシャルロッテ、そうシャルだった。
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