火事?放火?



息を切らしながら走ってきた少年は、教会の裏を指さしながらそう告げると、シャルの元へと駆けて行った。


「おねえちゃん!」

「どうしたのライアン、怪我はしてない? 火事ってどういう事?」


両手でライアンを受け止めたシャルは、優しく頭を撫でながら訊ねる。

ライアンと呼ばれた少年は、参道でロッティに風船を渡した天使の男の子だった。


「あっちで火事なんだ、王子様が来てくれたんだよ」


先程と同じように、教会の裏手を指さすライアン。

王子様? どうも答えが的を射ない感じで、周りの皆が首を傾げている。

ライアンが示す方向を見ていると、また誰かが飛び出してきた。


「やあ皆さんご安心ください、ボヤで済みました、そして犯人も捕らえました」


この声……逆光のせいで顔が見えないけど、間違いない。

ヒーローのようにマントをなびかせ、くるりと回ってお辞儀をした男は、紛れもなくジークフリード王子だった。


あまりの急展開に頭がついていかない。

周囲にいる人たちも、王子の話を聞きながら首を傾げ、あたりをきょろきょろと見まわしている。


犯人を捕らえたってどういうこと? これはわたしが観たあの特典ムービーとは無関係の火事? 犯人がいるってことは放火なの? 


王子の顔を見ると、やけに自信満々な表情でいやらしいくらいに口角をあげている。

周りにいる女性たちは、真相もはっきりしない中、さすが王子と言わんばかりに黄色い声をあげていた。 


「あいつなんであんなに嬉しそうなの? 相変わらずマントださっ」


横で吐き捨てるようにロッティが呟いた。

本当だ、なんだか全てがおかしい。

放火犯を捕まえたからなんて関係なく、ただ上機嫌なだけにしか見えない。

そう、教会の門で会った時……あの時と同じ気持ち悪い印象を受ける。

何にしてもここにいちゃいけない。気づかれる前に、早くこの場から離れなきゃ。


ロッティに声をかけようとしたとき、教会の裏へ続く道から、二人の自警団が現れた。

自警団は、ひどく項垂れた男を連れている。

男は、長いフード付きのポンチョのようなものを着ていて、顏はほとんどわからない。


このあたりでは見かけない格好、でも不自然だわ。

やけに着慣れていない、おろしたての着衣という感じがする。


皆の注目が、男に集まっていた。

そのタイミングで、ジークフリードは、男に近づいていく。

フードの男は慌てたように跪き、自警団は一歩後ろに下がった。


「お前はなぜこの教会に火を放ったのだ!?」


あたりが一斉にざわつく。

え、誰? 全然知らないわ。 この男が放火しようとしてたの? 


「も……申し訳ございませ……ん、お許しください」


かすかに聞こえてくる男の声は、とても震えていた。

フードを被ったままで、頭をべったりと地面に付けている。

周囲にいた人達は、男とジークフリード王子を中心に丸く広がり、他の場所にいた人もこの騒ぎに集まり始めていた。


教会を囲む売店の前、広場がまるでステージみたい……。


売店の中にいたシャルは、ライアンと手を繋いでその様子を眺めている。

ロッティは険しい顔で、頭を下げたまま男をじっと見つめていた。


やっぱり嫌な予感がする……全てが不自然で、展開も急すぎる。

ジークフリード王子と男、そしてシャルとロッティ。

この場所にスポットライトが当たっているようにさえ感じる。

これ、イベントなの? 


ジークフリードは、まるで人の集まり具合を確認するかのように辺りを見渡した。

途中でわたしとロッティを見つけると、傲慢で冷たい視線を向けてきた。


瞬間、全身が泡立つ感覚に襲われる。

思わずロッティを自分の横に引き寄せた。

ロッティはわたしと一緒にいた、それにあの怪しい男が放火したと言っている……。

それでも駄目だ、ここに居てはいけない!


「ロッティ、ここから離れよう」


小声で告げるのと同じタイミングで、またジークフリードの声が響いた。


「この教会、いやこの生誕祭の日に放火とは、何か意味があるのではないか? 皆が知りたがっている、私がお前の話を聞いてやろう!」


なにこの大げさなセリフ、まるで台本みたいじゃない!

呆れていると、横でロッティも大きな溜息をついている。

売り場の中に居るシャルは、ライアンの手を右手で握ったまま、左手で口を覆っていた。


まわりに集まった人達は芝居でも観ている気分なのか、わが国の美しい第二王子の言葉に目をキラキラさせ、男の言葉を待ち構えていた。


「言えません……」


観客たちはまるでブーイングをするように声を上げ、不満そうな態度をあらわにした。

その状況に、ロッティは「ばっからしー」と口に出し、わたしの手を引っ張った。


「行きましょエミリー」


ロッティは絹のような金色の髪を後ろにはらい、しっかりとわたしの手を握ったまま入り口の方向に向きを変えた。


「やだ、いつの間にこんなことになってんのよ」


ロッティの言葉に辺りを見渡すと、広場から出る道は大勢の人だかりで埋め尽くされていた。

この場所から離れるには、売店の内側を通るのが一番早い。

しかし、そこにはシャルがいる……絶対に選びたくない選択だ。

今の状況で、ふたりが近づくことはどうやっても避けたい。

考えているうちに、ロッティも同じ選択をしたのだろう。くるりと売店の方へ向きを変えた。


「待って、違う方向から行きましょう!」


売店を通り抜けようとするロッティに声をかけた瞬間、しっかりと握っていたはずの手がするりと離れてしまう。

慌てて手を伸ばしたとき、ロッティの足元に何かが駆け寄り、勢いよく飛びつくのが見えた。


「聖女のおねえちゃんっ!」

「あら坊や」

「こら、ライアン!」


売り場の中から駆け出してきたのは、耳を真っ赤にしたライアンで、ロッティの足元に抱き着いている。

続けて、シャルが売店から飛び出し、ライアンの背中をぐいっと掴んだ。


最悪だ……。

目の前でシャルとロッティが並ぶという、一番起こってほしくない状況が出来上がってしまった。

甘える猫のように、ロッティのワンピースに顔をこすり続けているライアンを、必死でシャルは離そうとしている。


はぁ、天使のようだと思ってたライアンが憎たらしくなってきた。

シャルったら、そんな優しくしてちゃ無理でしょ、ようし!


わたしはのライアンの姿勢に合わせてしゃがみ込み、後ろからグイっと脇の下に手を入れて動けないようにホールドした。

ライアンが驚いた顔で振り返ったその隙に、よいしょっと立ち上がりながら抱え上げる。

足をバタバタさせているライアンを、あっという間にロッティから引きはがした。


「おおーエミリーすごいわね」

「エミリー様ありがとうございます! シャルロッテ様、申し訳ございません」

「ぜーんぜん、いいのよ」


気付けば二人が並んで話している。

あーーーおしゃべりしちゃ駄目だってーもうぅぅ……。


腕の中でジタバタする少年を抱きなおし、無理矢理二人の間に割り込んだ。

少しだけ気まずい空気が流れる。

周りから見ても変な構図になっているのはわかってる、でも気にしない。

全然それでいい。なんなら記念写真撮ってほしいくらい!


背後では、ジークフリードと男の話が続いていた。


「どうしたのだ男よ! 意味もなく放火するなんてことがあるのか? 謝っているだけではわからない、私はそなたから理由を聞きたいのだ!」

「申しわ……ございま……うっ」


顔を伏せた男は言葉を詰まらせている。泣いているようにも見える。

ジークフリードの言葉に感化されたのか、集まる人たちの中から野次を飛ばす者まで出てきた。


「皆さん、お静かに」


ジークフリードはマントをふわっと翻し、唇に指をあてて優しく微笑んだ。

また嬌声があちこちで湧き上がる。


うげぇ本当に嫌だ、この顔だけ王子! もう全力で受け付けない。

顔の良さを以てしても全ての事がマイナスだわ。


周りに微笑みを振りまいたジークフリード王子は、顔を伏せたままの男に今度は優しい声で問いかけた。


「男よ、何かを怖がっているのか? 安心しろ私はこの国の第二王子だ、君が恐れている者がいたとして、そいつはわたしのことを恐れるだろう、さあ教えてくれ、なぜ放火したのかを」


ジークフリードの言葉を聞いて全身から血の気が引く感覚がした。


横を見ると、シャルは遠くを見るような目で王子を見つめている。

ロッティはわたしが抱っこしているライアンのほっぺをつついていた。

あたりまえだけど、二人とも他人事だ。


いままで地面に頭を付けていた男が、ゆっくりと体を起こした。

それでも、フードに包まれた顔は見えないままだ。


「王子……実は、ある方に頼まれて……」


異常に声が震えている、野次馬たちが一斉に息をのんだ。


「頼まれただと? 噓を言っているのなら、そなたはさらに罪を増やすことになるが証拠はあるのか?」

「はい……こちらを」


フード付きの長いポンチョの中から、揃えられた両腕が出てきた、筋肉質で働いている男性の腕。

小刻みに震えているのがこちらからでもわかる。

その手には、なにか細い棒のようなものが握られていた。


あれは何? 棒にしては短いし煙草でもない、なにか模様があるようにも見える……。


身を乗り出そうとしたとき、ライアンの頬をつついていたロッティの手が止まった。

美しい水色の瞳は、男が持っているものをしっかりと見つめている。


「あれ、私のペンかしら?」

「えっ……」


横に居たシャルが、目をまん丸にして小さな声を上げた。

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