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 ケイマンとハッセルバムは正式に友好国としての条約を結んだ。ヴァリ王国は友好とまではいかないまでも、不戦条約を結ぶにいたった。いずれは交易も開始される。

 残りは聖ツムシュテク教皇国とセンドアラ公国であるが、こちらに関しては一朝一夕にはいかないだろう。センドアラ公国は距離が離れていることもあり、あのせせこましい国はそこまで気にすることはない。問題なのは聖ツムシュテク教皇国である。撒いた種は芽吹く可能性が低いものしかない。

 聖ツムシュテク教皇国がツムシュテク教を根に持つ宗教国である限り、友好国になることはけしてあり得ないだろう。それ故に、ハッセルバムとしてはメルダース帝国を抑えておく必要があった。


 聖ツムシュテク教皇国が宗教国である限り、この大陸の中で孤立し続けてもらわねばならない。


 聖ツムシュテク教皇国は背後に海を持ち、その陸地はすべてメルダース帝国に接している。南の海はハッセルバムが、北の海はホロホロ諸島が抑えている。そのため他国の支援には必ずメルダース帝国を通すことになり、そのこともあって、長年メルダース帝国を攻められずにいた。

 いかにメルダース帝国が今回の敗戦で領土を減らしても、その状況に大きな動きはない。


 ハッセルバムが人間たちに国家樹立を宣言したことで、魔族の国という存在が公になった。今はまだハッセルバムの全貌が公になっていないことから、人間たちは攻め入ることができない。情報は武器であり、そして盾。ハッセルバム軍が四万しかいない、などと知れ渡ったらひとたまりもない。民兵をかき集めたところで、十万に満たないのだ。

 戦争による疲弊はセンドアラ公国を除くすべてにみられる。今後、各国が戦後処理と国力の回復につとめているあいだ、ハッセルバムは各国との関係発展と、さらに各国に『魔族討伐』という結束を結ばせない工作が必要になってくる。


 とはいえ、それはまだ先の話。アーデルハイトには故国の解体という最後の仕上げが待っている。



「我が名はクリストフ・ダン・バルデル! 先の通告にあったとおり、メルダース帝国を混乱に陥れた逆賊、マーティアス・ノルベルト・ラ・メルダースとソアラ・エマ・ラ・メルダース、両名の引き渡しと聖帝都の開城を求める! 応じぬ場合は武力をもって聖帝都を制圧す! これをもって宣戦布告とする!」



 バルデル伯爵の背後に並ぶのは反皇帝派の代表たる貴族数名と、それらがかき集めた二万の兵。長引く戦争のなかで民兵を含めない兵をこれだけ隠し持っていたとは、さすがのアーデルハイトも驚いた。

 掲げられた旗はバルデル家の旧旗と、ハッセルバム軍が混ざっている証拠の黒龍旗。バルデル家の旧旗は、まだバルデル一族が公爵位を持ち、宰相の職についていたときのもの。


 バルデル一族はノルベルトが変革を起こすまで、皇族傍系の公爵家として代々宰相の職を頂いてきた。クリストフ・ダン・バルデル伯爵の父、先代は初代バルデル伯爵でありながら最後のバルデル公爵だった。皇族の姫を母に持つクリストフ・ダン・バルデルは、変革を起こした皇族傍系のノルベルト二世より、皇族の血が濃いのである。しかし、ノルベルト二世の変革により当時の皇位継承権所持者はすべて弑され、それはクリストフ・バルデルの母も例外ではなかった。バルデル公爵とその息子、クリストフは公爵位を剥奪され、しばしのあいだ幽閉されていた。しかし、遷都前の荒れた領地を引き受けることで伯爵位を授かるとともに息子クリストフの命を救うにいたった。

 

 自国の歴史を学んできた貴族であれば誰しもが知っている事実であり、そして皇后だったアーデルハイトがもっとも恐れていた事実でもある。血の正当性でみれば、マーティアスはひどく不安定な皇帝であった。伯爵という低い家格であるにも関わらず、バルデル伯爵が反皇帝派を率いてきたのには、こういった理由があるのだ。 


 遷都前の『荒れた領地』を荒らしたのは、歴史上では大災害とされている。しかし、いわずもがな、であるが、それを荒らしたのはアーデルハイトの伴侶、クリセルダである。


「ねぇ、まだ始まらないの?」

「イリシャ、重たいから離れてもらって良いかしら……」


 先ほどから続くバルデル伯爵率いる反乱軍と皇帝軍のやりとりに飽きたのか、アーデルハイトにじゃれつくのはイリシャである。

 クリセルダが連れていた二千のお供に追いつく形で、イリシャの第三軍が合流した。


 反乱軍に対するのは親皇帝軍四万。もともと帝都を固めていた一万に、周辺からかき集めた一万、ゴルダイム領と対面していた軍が合流している。しかし、国内で相次ぐ反乱と、先のゴルダイム戦に耐えかねた民兵の一部が霧散し、北上するまでの間に三万いたはずの兵は二万まで数を減らしていた。

 親皇帝軍四万と、反乱軍二万。攻撃三倍の法則を当てはめれば不利もいいところであるが、その内訳で見ればそうとも言えない。親皇帝軍の多くは民兵で構成され、さらに物資の不足から目に見えるほどの飢えに蝕まれていた。


 反乱軍の二万は貴族たちの私兵で、戦争による疲弊は親皇帝軍ほどではない。さらに、人間の恐れる魔族の兵七千がいる。メルダースでもっとも屈強といわれたゴルダイムの兵を全滅に追い込んだ、魔族の兵。職業軍人でもない農民兵ごときに敵う相手ではなく、開戦と共に逃げ出す者がいてもおかしくはない状況だった。

 アーデルハイトがわざわざ工作するまでもなく。


 親皇帝軍を威圧する、というだけでも十分な功績だろう。

 ただ、魔族を恐れるのは親皇帝軍だけではない。いかに味方であると言い募ったところで、潜在的な恐怖は覆い隠せない。背後にいれば後ろから襲われるのはないかと怯え、前方にいれば視界に入るせいでまた怯える。


 そこにいるだけで怯えられるハッセルバム兵も不快だろうが、暫くの間は我慢してほしい。


「ハイジと陛下を連れて飛ぶのはかまわないけど、あの虫まで連れて行くのはねぇ……?」

「……戻ったらシナリーと三人で遊びに行きましょう。それで我慢して」

「ホントに!? 約束よ! あ、陛下は連れてこないでね」


 前々から発展した城下で遊びまわろうとシナリーやイリシャに誘われていたのだが、忙しいことを理由に拒否していた。たとえ王妃となろうとも、命令ひとつで動いてくれない側近たちを面倒に思いながら、それもまた『悪くない』と思ってしまう。

 ハッセルバムに身を寄せてから、アーデルハイト自身も考え方や在り方が変わってしまったことに気づいていた。


 クリストフ・ダン・バルデルはそんなアーデルハイトに驚きが隠せないようだったが、五年もあれば人はかわるのだ。まあ、厳密には人ではないが。


「なぁ、私だけ仲間はずれなのはどういう了見なのだ……」

「だって、陛下がついてきたらハイジを独り占めするじゃない」

「私の妻なのだから当たり前だろう」


 アーデルハイトにしなだれかかっていたイリシャを、クリセルダがぐいと引きはがす。そのまま流れるようにクリセルダのマントの中に引きずり込まれたかと思いきや、今度は腕を引っ張られてイリシャの腕の中に舞い戻った。


「ハイジはみんなのものよ!」

「ただの友人と伴侶では格が違う!」


 クリセルダとイリシャのあいだを行ったり来たりしながら、バルデル伯爵や他の貴族たちの視線を受け流す。たしかに、皇后時代にこのような扱いをアーデルハイトにすることは許されないものだった。鞭を打たれ、殺されてもおかしくない。

 そういえば、『皇后時代であれば鞭を打っていた』と考えることも、随分と久しい。良いことなのか、悪いことなのか、それは定かではないものの、アーデルハイトはたしかにハッセルバムに毒されている。

 クリセルダから漏れだす魔力はごくごくわずかに抑えられているため、これはただふたりでじゃれているだけ。けれど、あまりがくがくと揺さぶられると首が落ちかねない。


 兵士たちの前でぽろっと首を落とそうものなら、開戦前に大事故が起こるだろう。


「わたくしは、わたくしのものです……」


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