27


 ラニーユの提案でセレイナの花を漬け込んだ酒。半分は失敗で、半分は成功と言える。


「どちらも美しいですね」

「そうね。光に当てると神秘的だわ」

「魔王陛下と主人さまが並んでいらっしゃるようです」


 その例えはいかがなものか。しかし、美しいのは事実だろう。


 青いセレイナを漬け込んだ酒は爽やかな薄青に、黄色のセレイナを漬け込んだ酒は甘い黄色に。どちらも神聖力と魔力が軽く溶け込んだようで、独特の輝きを放つ。


 薄青の酒はいかにも神聖力とわかる輝きだが、魔力の酒にはそれとない美しさがある。


「味はいまいちね」

「はい。漬ける前とほとんどかわりありません。青臭さもないので、ただ色が抽出されただけのようですね」


 美味しくはないが、これはこれで商品価値が高そうだ。

 腕を組んで考え込むアーデルハイトの前に、ラニーユが別の瓶を置く。茶色く濁ったそれは、まるで泥水のようにも思える。


「これは……」

「乾燥させたセレイナを漬け込んだものです。味は見た目通りです」


 見た目通りの味ということは、泥水のような味なのだろうか。美味しくないことは確実だろうけど。


「ホロホロ諸島では花を乾燥させたお茶が飲まれているそうで、試してみたのですが……まず乾燥させる段階で虫が湧いてしまい、その時点で一苦労でした」

「ああ、ホロホロの花茶ね。湯を注ぐと乾燥させた花が開くのよ。見た目も華やかながら、繊細で美味しいお茶だったわ」

「話をお聞きするだけでも美しいですね」


 そういうものがある、と知っていても作り方や花の種類までは調べなかった。

 何度も言うようであるが、アーデルハイトは元皇后だ。令嬢の中には茶のブレンディングを趣味とする者もいたが、アーデルハイトは手ずから茶を淹れるようなことはなかった。


 今から情報収集するにも手段が限られる。急ぎではないと言いつつも、刻限は着々とせまっているのだ。

 情勢は待ってくれない。動き出すタイミングを誤れば、利を得るどころかこちらが被害を被りかねない。


「あの、主人さま。青い草類は失敗続きでしたのでどうかと思ったのですが……これは、いかがでしょう」


 先ほどの泥水紛いは報告だけのつもりであったらしい。アーデルハイトが手を伸ばすまでもなく、そそくさと片付けられた。

 代わりに置かれたのは、束にされた青い草。清涼な香りが鼻をつく。


「この匂い……メンツェ、かしら」

「はい、その通りです、主人さま。どうやら随分強い植物らしく、ハッセルバムの地でも自生していました。魔族の皆さまには『獣人よけ』と呼ばれています」

「そういえば、メンツェの香油はゴルダイムの特産だったわね」


 メンツェは食材の虫除けとして使用される香草である。強い香りは虫を寄せ付けず、良質な油も絞れる。たしかに、この匂いの強さは獣人も避けるだろう。

 メンツェの香油を浴槽に垂らすのが、メルダースの貴族内で流行したこともある。この香りが汗臭さを誤魔化すのに最適で、夏の間に大流行した。ただ、この清涼感は香りだけでなく、触れた肌にも齎される。夏は涼しくて良いのだが、冬になった途端、寒くて風邪を引くとして流行は収束した。

 貴族内では一時期のブームであったが、騎士や兵士たちには季節問わず愛用されている。訓練の際に汗をかく彼らにとって、臭いの問題というのは深刻だったらしい。


「生の葉はこうなっていたのね」

「はい。こちらが抽出した油です」


 瓶の蓋を取るまでもない。メンツェの香油は使用量を誤ると人間でさえ鼻を壊しかねない。ウルあたりが直接嗅いだら悶絶するのではなかろうか。


 生の葉を軽く揉むと、香油ほどではないが清涼な香りが立ち込めた。


「ラニーユ」

「こちらに」


 差し出されたグラスに無味の酒を注ぎ、香油を一滴だけ垂らす。浴槽に垂らすときでさえ数滴だったのだ。グラスに一滴では多かったかもしれない。


 香りは良い。非常に爽やかだ。軽くひと舐めしてみる。


「駄目ね。一滴では多すぎる……」

「いつものように漬けてみますか?」


 どうだろうか。また青臭くなりそうな気もするが。

 試しに先ほど揉んでみた葉を空のグラスに入れ、そこに酒を注ぐ。ラニーユがすかさずかき混ぜた。


 明らかに草が沈んだだけの液体であるが、こちらも香りは悪くない。香油を垂らしたものと変わりないほどの清涼感がある。


「ん……悪くない、のかしら」

「失礼します……あ、はい、美味しいです!」


 アーデルハイトと同じように揉んだ葉を入れた酒を舐めたラニーユが目を輝かせた。


 香りだけで比べると香油を垂らしたものと変わりないが、舌に触れる強い清涼感は段違いにまろやかであった。

 香油を垂らしたものは清涼感とも呼べないほどの刺激になってしまうが、こちらであればほんのりと感じられる程度。


 ツンとしたアルコール臭も誤魔化され、格段に飲みやすくなっている。


「青薔薇、いるか」

「陛下。ノックというお言葉をご存知ですか」


「怒るな。朗報だ」


 カンヘルの補佐官を従えたクリセルダが扉の位置に立っていた。背の高さもあって、狭い部屋にいると威圧感がある。


「メンツェか? 良い香りだな」

「陛下も召し上がってくださいませ」


 ズカズカと遠慮を知らぬ足取りでアーデルハイトの前に立つと、飲み掛けだったグラスに気にもせずに口をつけた。

 一口、二口。たしかにハッセルバムで出回るものほど強くはないが、それでもれっきとした酒だ。水のようにぐびぐびと飲み干すものではない。


「旨いな、これ。メンツェの香油か」

「いえ。香油では強すぎましたので、生の葉をそのまま入れました」

「なるほど。ラッコルでもできそうだな」


 たしかにラッコルも無味無臭に近い酒である。アーデルハイトが実験しているものと度数が違うだけで、味としてはあまり変わりはない。


 ラニーユが用意した椅子に座ると、実験途中の酒を茶か何かのように飲み始めた。


「ところで、朗報というのは?」

「ああ、喜べ。おねだりされていたものが完成した」


 昨日聞いた話では、船はまだしばらくかかりそうだった。ということは。


「闘技場ですか?」

「嬉しいか?」


「いえ、ぜんぜん」


 この時が来てしまったな、というくらいだ。喜ぶとしたらウルの方だろう。


 そう。たしかにアーデルハイトはクリセルダにおねだりをした。けれどそれは、アーデルハイト自身が闘いたかったわけでも、闘っている者どもを観戦したかったわけでもない。


 国営の闘技賭博だ。


 マルバド相手に魔力操作の練習をしていた際、多くの第一軍兵士たちがそれを観戦をしていた。それだけでなく、彼らの間でも誰が強いというような話は常にされており、喧嘩というのは魔族の娯楽でもあった。

 着想して以来、アーデルハイトの脳内で長いこと温められてきた計画だ。


 賭博は大いに金が動く。賭けに負けた者は次で取り戻そうとし、勝った者は次もいけると強気になる。賭場では財布の口が緩くなるものだ。

 さらに闘技場に人が集まれば、そこは商売の場にもなる。


 賭博は多くの者を狂わせる。賭けに魅せられ散財するだけでなく、時には家族すら捨て去る。

 だからこそ、国営で管理すべきなのだ。


 闘技場の解禁と共に、私闘を違法とする。喧嘩を禁じられて鬱憤を溜め込む者こそ、闘技に参加してほしい。


「本当にウルとやり合うつもりか」

「殺し合いではございません。単なる試合、ようは皆様にお見せするための模範演技エキシヴィジョンです」


 アーデルハイトとしてはウルとマルバドの模範演技でも良かったのだが。

 彼のなかでどうしても決着をつけたい何かがあるらしく、一々反発されるのもいい加減面倒になってきたのだ。

 側近同士という立場もあり、面倒だから殺してしまえというわけにもいかない。貴族は家を潰しても替えがきいたが、建国当時からクリセルダの犬を務めるウルの穴はそう簡単には埋まらないだろう。


「すまんが二人とも、席をはず……」

「もう居りませんよ」

「お前のペットは察しが良すぎないか?」


 クリセルダが席について落ち着いた時点で、ラニーユは視線の合図を残して部屋を出ている。その際、クリセルダの補佐官を連れて行くことも忘れていない。


 ラニーユは優秀だ。詳しく聞くことはしていないけれど、浮浪孤児でありながら大商家の使用人として雇われるだけのことはある。

 よくよく考えてみれば、走って噂話を集めるだけの頃から、ラニーユは優秀だった。字を覚えなさいというアーデルハイトの一言で、教師役もないままにあの子は読み書きを習得してきた。貴族宅に忍び込まねば得られぬような情報も、彼女は当たり前のように持ってきた。


 ちっぽけなパンで買収したにしては、お釣りだけで豪邸が立つ。


 まあ、良いか。とひとりでに納得したクリセルダが姿勢を正した。闘技場の完成報告だけではなく、なにか本題があるらしい。


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