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 満足げなクリセルダの横顔を見て、アーデルハイトはため息を隠した。


 これができるのなら、どうして初めからやろうとしなかったのか。あれだけの城、あれだけの街を作れて、なぜこれを為さなかったのか。

 未だ知識が追いつかない魔族であるが、五十年間の停滞は最大の謎である。軍を作る頭があるならば、農地を改革して道をつくり、法を整備してほしかった。


「二十年はかからないのではないか?」

「予想外の速度ですが、街道整備には何があるかわかりませんから」

「そうか。青薔薇が言うのなら、そうなのだろうな」


 そう。予想外の速度だ。


 今も続々と木々がなぎ倒され、土をならし、砂利を敷き詰め、形を揃えた石が並べられている。

 人間たちは森を切り開くにも大いに知恵を絞ってきた。力が足りなければ道具を作り、工夫し、また道具を改良し、一歩一歩進めてきたのだ。


 それがどうだ。


 まさか両手で木を抱え、そのまま根っこまで引き抜くとは思いもしなかった。邪魔になる岩が埋まっていれば粉砕してしまうし……

 こんなにも容易く『工事』ができるのに、なぜやらない。つくづく力の使い道が非効率的で、無駄で、雑だ。もったいない。


 食料がなければ動物を狩れば良い。

 動物の数が減り餌を奪われた魔物が降りてきたら、それらも狩れば良い。

 まだ足りないのなら人里から奪えば良い。


 道がなければどうするか。人間であれば道を作るだろう。

 魔族は飛んだ。道がないのなら、道なき道を行ける者が行けばいい。


 再三言うが、道を作るために余った労力を割いて欲しかった。人間よりも少ない労力で道を作れるのだし、せめて森を切り開くくらいはしても良かったというのに。

 街や城を作り上げた巌窟人がいて、この五十年なにをしていたというのだ。


 現在、街道整備の視察中である。


 アーデルハイトは当初、要となる街道がいくつか完成するまでにおよそ二十年を要するものとして計画を立てさせた。土地の開拓や街道整備に事故はつきものであるし、この国のほとんどは危険な未開拓地域と言える。全ての街道が完成するまでには人の一生が終わるのではないか、なんてことも考えていたくらいだ。

 そもそも今切り開いているこの道も、もともとはユアンたち第二軍が行き来する獣道程度のものでしかない。一ヶ月から三ヶ月に一度と、高頻度で行き来していたくせに、なぜ獣道程度なのか。


 道を作りなさいよ、道を。


「最初の街に繋がるまで一週間だそうだ。おっと、はは! 首が落ちたぞ」

「失礼いたしました」


「見ていて気持ちの良い仕事っぷりだな」


 驚きで落とした首を戻して、みるみるうちに開かれていく様子を眺める。

 指示を出すのは岩窟人であるが、木々を引き抜くのはトロールという大きな種族。小柄なドワーフと大きなトロールの対比はとても目を引く。

 ドワーフはアーデルハイトよりも小さいし、トロールは成人男性二人分ほどもある。冗談でなく、ドワーフはトロールの膝ほどまでしかない。


 他にも様々な獣人やバフォメット、コボルトなどなど。大勢の者たちがせっせと体を動かす。


 工事速度が予想から爆発的に短縮されたのには、集まった労働力が国家事業として大々的に雇用を募集した人数の数倍を上回ったことも理由のひとつだろう。

 職にあぶれていた魔族は想像していた以上にいるということだ。


 首都の民ばかりでなく、これから街道で繋いでいく町村や集落からも多くの働き手が集まった。

 クリセルダが街道整備の件を説明するために直接赴いたところ、わらわらとそのまま着いてきたらしい。なんとまあ、慕われた王様だ。


 指示役のドワーフは多くない。別働隊として兵に護衛されながらここから先の工事予定地に赴いている。

 普通は実地調査を終えてから計画と設計を練り、そこから天候や季節などに合わせて着工するはず。なのだが、力でごり押すのが魔族。


 ため息をつきたくなるほど行き当たりばったりなのはどう改善すれば良いのだろう。


「あれも青薔薇の指示だろう?」

「ええ。折角ですので、お金が動くとどうなるかを直接見ていただこうと思いまして」


 クリセルダが指差した先には屋台と調理器具が並び、今まさにそこで食事が作られている。炊き出しではない。安価ではあるが、すべて有料だ。

 食材は肥料の実験で育てられた芋や豆、野菜。そして、工事中にやむなく狩った動物の肉。今も何体かぶら下げて血抜きが行われている。


 これらの食材を、屋台を営んでいた者たちに安価で卸し、料理人たちはそれを調理して工事現場の者たちに売る。ちなみに食材の代金もまた雇用した者たちへの給金の足しになっている。

 現場の者たちはその日給で安価な簡易宿泊所に泊まり、食事を買う。


 金額の設定はもちろん日給から差し引いても痛くない程度だ。残りの金でさらに食べる者もいれば、夜間に売り出している酒を飲む者もいる。

 夜間の酒売りに関しては、実はアーデルハイトは関与していない。商機と見て売りにきた者がいるのだ。

 屋台を出していた者たちも夜は稼いだ金で酒を飲み、また新たな食材を仕入れ、そして売る。


 種族の垣根なく協力しながら労働し晩餐を楽しむ。これを活気というのだ。特需景気で終わらせてはならない。

 今はまだ首都にほど近いが、これからどんどん田舎へ向けて降りていく。この活気を連れて行く。


 過去も細々とした経済活動は行われてきたからかろうじて国の体を成している。けれど、これからは国の介入によって促進させていかねばならない。

 クリセルダには随時、法の見直しをさせ、側近たちにも軍規の制定や軍運営に関する事務作業をさせている。改定されたいくつかの法はすでに公布され、施行を待っている状態だ。


 農地改革への兆しという功績のおかげでアーデルハイトの発言力は高まった。国中に道を通すという一大事業の案がすぐさま実行されたのも、クリセルダを政務に就かせられたのも、すべてその功績のおかげと言って良い。


 この五十年、一切の政務が行われていなかったわけではない。ただ、全てがなあなあであっただけのこと。いたるところが杜撰で、軽く失神しかけた。


 突然降り注いできた仕事量に彼らが根を上げたのは随分と早く、それを理由に事務官、文官、補佐官の役割を担えるものを大量に雇わせた。

 全員見事に文句を垂れ流しているが、魔王まで執務に追われているとなれば、側近たちも動かざるを得ない。


 いずれは内務省のような部を設立し、トップにシナリーを押し込むつもりでいる。城に常駐しているのがシナリーしかいないのだから、たとえ嫌だとごねても諦めてもらう他ない。

 総務省としての位置はイリシャかユアンで考えている。仕事が回るのならどちらでも構わない。ただ、ふたりそろって今は農耕地へと赴いているので、まだまだ先の話であろう。


 農耕地改革と肥料の研究も同時に進行していた。老婆から種を譲り受けた野菜に関してはあらかた成功し、現在は穀物に挑戦中らしい。実験規模も広がり、各地にばら撒くための苗も量産されている。イリシャとユアンは肥料の作り方を伝えると同時に、それらも運んでいる。


「ところで陛下、執務の方は」

「……これも仕事だ….…それに青薔薇ものんびりしているではないか……」


「わたくしがなんのためにあの二十名を育てたと思っているのですか」


 あれらはアーデルハイトの手足だ。未熟ではあるものの、すでにそこら辺の魔族より断然使える駒になっている。ただ、まだ数が足りない。

 イタチどもの後輩となる人材もすでに見繕い始め、新たな者もノアに指導を任せるつもりだった。


 とは言っても、彼らはもともと文官にするために育てているわけではない。あれらには本来の使い道が待っている。


「そうだ。これと同じ素材の服が欲しいと言っていただろう?」

「はい。明らかにツムシュテクの布よりも質が良いので、気になっておりました」

「近いうちにもらいに行こう。あと沿岸部が見たいとも言っていたな。それも連れて行ってやろう」


 執務が落ち着いてからお願いします。そう返そうとして、アーデルハイトは口をつぐんだ。笑うクリセルダの瞳から、とろりと魔力が溶け出していたから。

 重くのしかかる圧とも違う。暖かな湯のようなこれはいったいなんなのだろう。


 アーデルハイトの髪をひと房手に取ったクリセルダの銀と金入り混じる瞳から、金色がたえずとろりとろりと流れ出す。胸に感じた何かが居心地悪く、それなのにアーデルハイトは、なぜ目を逸らせない。


 突如、暖かかった魔力がぶわりと圧を持って広がった。


「アーデルハイト!」


 ぐっと腕を引き、抱き寄せられたことでたたらを踏む。額がクリセルダの胸にぶつかった。何かから庇われたことは間違いない。

 漆黒のマントの中、アーデルハイトは愕然としていた。


 あれほど。あれほど警戒していたと言うのに。


 クリセルダの雰囲気にあてられて、頭の中からすっかりと抜け落ちていた。今まで、生まれてこの方、そんな失態は一度としてない。

 首を切られたときだってアーデルハイトはただ諦めただけで、死刑回避のやりようなどいくらでもあったのだ。


 それなのになぜ。なぜ、あの警戒していたはずの視線を忘れていた。


「……名と目的を言え」

「あ……る、じ……さま」


 クリセルダに首根っこを掴まれていたのは痩せ身の女だった。肩口で切り揃えられた赤茶けた特徴のない髪に鳶色の瞳。

 アーデルハイトを主と呼ぶ者はいない。主人と仰がれることは立場上珍しくはないが、皇后陛下、皇后様と呼ばれる他は、父とマーティアスから名前を呼ばれる以外になかった。

 雇っていた影の者たちは、雇い主の名前や役職をけして口にしない。彼らが主の名を口にするのは、忠誠を誓った主が死に、その後を追うときだけだ。


「ある、じさま……主人さま、本当に……本当に生きていらしたのですね……!」

「……青薔薇の知り合いか?」


 記憶にない人物だと答えるより先に、ぼんやりと忘れていたはずの記憶が蘇ってくる。たしかにいた。アーデルハイトを主人と呼ぶ犬が、一匹。


 あれもそう。この女のように赤茶けた髪に鳶色の目をして、見窄らしいボロを纏っていた。



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