閑話 元皇后と牛獣人


 アーデルハイトには試す必要があった。


 先日、狼族ウルとカイ少年との一件で、生前の神聖力と変わらずに体内の力を扱えることがわかった。けれど、この体はすでに意図しないまま作り替えられている。アーデルハイトにも気づいていない差異があることだろう。

 いつまた同じようなことがあるかわからないのだ。


 一度死んでいるのだし、殺されるなら殺されるでとくに構いはしないが、生かされた命を無駄に捨てることもあるまい。

 生きろとあの人は言ったのだ。


 ならばこの体の使い勝手を試してみる必要がある。何ができ、何ができないのか。思わぬ急所がある可能性も捨てきれない。

 急所のひとつは心臓部。死体に近いので心臓は動いていないが、体を保つ魔力の根源であることが感覚的にわかっている。

 もうひとつは頭部。体が作り変わったと言っても、脳が胴体に移動したわけではない。思考は変わらず、頭で行なっている。視覚も聴力も頭だ。


 デュラハンとは首のない死霊をさす。頭をなくしたことで司令部を失い、彼らは感情なく彷徨うのだという。ゆえに、厳密に言えばアーデルハイトはデュラハンではない。


 アーデルハイトは無意識のうちに、首の切れ目を魔力で繋いでいる。簡単な衝撃でポロッと落ちるし、気を抜いてもポロッといく。

 起き抜けなど意識していないと首を置き去りにしてしまうことすらあった。鏡を使わずに自分の背中が見えるのは、いつも何とも言えない気持ちになる。



 アーデルハイトが向かったのは魔王城の裏庭である。

 裏庭と言っても、皇宮や皇后宮の庭園のように庭師に管理されているわけではない。美しい花々もなければ、それらを眺めて楽しむための東屋もない。

 ただ広いだけの更地。それが魔王城の裏庭だ。


 任務外の軍人が訓練をしていることもあれば、ただ喧嘩をしていることもある。


 ガコンガコンと木剣がぶつかり合う音が響く。あの頭の大きな角は鹿獣人か。

 彼らは体格も良く筋肉の動きもしなやかであるが、その実、肉体的な強さは狼や熊などの肉食獣人に大きく劣る。頭に生やすその立派な角が、骨の栄養を奪っているのだ。

 角を切り落とすことで骨の頑強さを取り戻すこともできるらしいが、彼らにとって立派な角というのは肉体的な不利を乗り越えた強さの証なのだそう。


 まったく意味がわからない。


 上半身裸で木剣をぶつけあう姿を横目に、アーデルハイトは軽く体内の魔力を巡らせてみる。

 根源の心臓から腕を通って指先へ、腹部、臀部、脚部、足先へ……

 神聖力とは何かが違うようにも思えるが、その感覚はアーデルハイト本人にも曖昧だ。


 質量を持たせて地面に溢すように垂れ流す。うっすらと空気に金色の粒子が漂うことで、これがもう神聖力でないことを改めて実感した。

 神聖力よりもどこか重たい気がする。


 皇后時代、他者を威圧するために神聖力を用いることはしょっちゅうであったが、魔力の方がそれは容易そうだ。

 垂れながした魔力の密度を少しずつあげていく。


 クリセルダがウルの首を絞めたとき、あれはもっと濃く粘度の高い魔力であった。少しずつ範囲を狭めて、密度を上げてみる。

 神聖力の使い方を根本的に間違えている人族領よりも、こちらのほうが手本が多くて助かる。


 クリセルダほどの質量を出すのは難しそうだ。まとめようと思っても空気中で霧散してしまい、消費する魔力の効率が悪い。

 指先から、鞭のように細く長く、しならせてみる。


 これで何かが切れたりしないだろうか。


「青薔薇と言ったか」


 集中が途切れて首が落ちた。


 どすっと落ちた衝撃で視界が揺れる。低い位置から見上げると、天を突き刺すような鋭く太い角が琥珀色に輝いていた。


「すまん」

「いえ、おかまいなく」


 首を拾って乗せる。

 首が落ちる体になってしまったというのに、嫌悪も忌避も感じないのはなぜだろうか。それも体が作り変わった影響なのか、それともアーデルハイトの心がどこか狂っているのか。


 まあ。不都合がないならそれでいい。


「マルバドといったかしら。どのような御用向きで?」

「ああ。ハッセルバム第一軍軍団長、牛人族マルバドがお前に決闘を申し込む」


「…………お断りいたします」


 マルバドの表情がぴしりと固まった。


 なにをそんなに驚くことがある。突然わけもなく決闘を申し込まれ、それを断っただけのこと。

 アーデルハイトは軍人でもなければ騎士でもない。数多の人を殺したが、アーデルハイトの専門は安全な室内で指示を飛ばすことだ。


 正面きっての決闘など、アーデルハイトはやり方を知らない。


「お前は強いと聞いた。なによりその魔力量。魔王様には遠く及ばないが、側近たちの中では軍を抜く。先ほど少し見させてもらったが、魔力の扱いも器用だ」

「お褒めいただき嬉しく思いますが、決闘はお断りいたします」


「なぜだ! それだけの強さがあれば己の力を試してみたくなるだろう! ウルとは闘ったというのに、なぜ俺とは闘ってくれない!」


 嫌だからだ。


 アーデルハイトが身につけた戦闘法は、室内に侵入にした暗殺者を返り討ちにするためのもの。マルバドが持つような大剣も、ウルが持っていた長剣も扱ったことがない。

 頭のおかしい戦闘狂とやりあったところでアーデルハイトがあっけなく死ぬ末路しか見えなかった。


「あれは犬を返り討ちにしただけのこと。決闘でもなければ、好きで闘ったわけではございません」

「それでもお前はウルに勝てるほど強い!」

「狭い室内でなく、このように開けた場所でしたらわたくしが死んでおりました」


 それはそれで嘘だが、嘘も方便。下手なことを言ってこの戦闘狂をさらに狂わせたくはない。

 あと、あそこにいる鹿もそうだが、なぜ皆して半裸なのだ。服を着て欲しい。


「それにわたくしはまだ目覚めたばかり。この体の扱いにも慣れておりません。今もわざわざこうして体の確認をしているところです」

「うぅ、む……わかった。それならば今日のところは諦めよう」


 今日のところは、というのが気になるところだが、諦めてくれたのならそれで良い。

 決闘は諦めたが観察はしていくつもりらしく、アーデルハイトが魔力の扱いを確かめる様子を、壁に寄りかかってじっと眺めていた。


 あの頭のなかでアーデルハイトは何度も殺されていることだろう。こうして貫き、こうして切り飛ばし、こうして叩き潰す。殺気ともまた違うが、居心地の悪い視線であることには変わりなかった。


 結局マルバドはその後、裏庭にいた獣人たちと組み手をして遊んでいた。

 全員服を着て欲しい。



 あれから数日、神羽族のシナリーにハッセルバムや魔族について教えを乞いつつ、有り余る時間で魔力の扱い方を練習していた。

 広い庭に出てこういったことをするなんて、皇后時代には考えられなかった話だ。神聖力に恐ろしいまでの可能性があることも知らなければ、女が兵士に混じって体を動かすのもはしたないこととされていた。


 アーデルハイトととて半裸で組み手をしていたわけではない。


 兵士の練習用に置かれた丸太を切る練習をしたり、動き回るマルバドに魔力の鞭を飛ばしたり。アーデルハイト自身はほとんど動いていない。

 その結果、太い丸太を爆砕できるまでになってしまった。


「青薔薇! 決闘だ!」

「お断りいたします。今日もお暇ですね、マルバド」

「暇ではないが、お前とは闘いたい。そのために速攻で魔獣を狩ってきた!」


 あの日以来、アーデルハイトを見かけるたびにマルバドが寄ってくるようになった。正直とても迷惑しているのだが、周囲には当たり前のことのように流されている。

 ウルともしょっちゅうやりあっているようだし、アーデルハイトでなくそちらを相手にしてほしい。


 あまりにもしつこいもので、何回目かの決闘の誘いのときに、決闘はしないが的になってくれと冗談で言ったところ、なぜかそれが冗談では終わらなくなった。デュラハンの体を確認するためのものが、丸太を爆砕できるまでになった所以でもある。

 樹脂で磨かれた琥珀色の角は、今日も艶々と輝いている。相変わらず上半身は丸出しだし、今日に至っては血みどろであるが。


「仕方あるまい。今日も的で我慢してやろう」

「今後も的で我慢なさいませ。それとマルバド、的は結構ですが、せめて魔獣の血は落としてからお越しください」

「これは勲章だ! さあ、来い! あれをやってくれ、あれを! あの丸太を大破させる魔法を!」


 マルバドに向かって魔力の鞭を飛ばす。最小限の動きでマルバドがそれを避けるが、予想していたためにそこにもすでに飛んでいる。と見せかけてそれもフェイクだ。本命は地面スレスレに伸ばした魔力の蔦。


「うぉっと! ウハハハハ!」


 マルバドのバランスを崩しかけたが、魔力の蔦はマルバドの魔力で相殺されてしまった。


「いいぞ、青薔薇様ー!」

「ノセノセ! マルバド様を下せェー!」


 第一軍の面々が闘技場観戦のようにワーワーと盛り上がる。いつの頃からか、気づいたら兵たちの娯楽扱いだ。

 まるで闘技奴隷にでもなった気分である。彼らは常に命をかけて闘っていたので、一緒にするのは違うかもしれないが。


 彼らは喧嘩の観戦に「ノセノセ!」と声を上げる。単に、相手を伸せ、という意味である。


 帝国には奴隷闘技場というものがあり、それは違法賭博の代表でもあった。奴隷たちを死ぬまで闘わせ、誰が勝つかを予想する。取り締まっても取り締まっても地下に湧く、内務省の悩みの種だった。

 賭場は多くの民を狂わせるが、そのぶん金も動く。


 国営として主導することで賭博の金額を抑えれば、税収として上手く機能するのではないか。血の気の多い魔族にとっても良い娯楽となりそうだ。


「まだまだァ! 青薔薇、お前の力はそんなものではないだろう! さあ! もっと、もっとだ!」

「……うるさい牛だこと」


「青薔薇様ー! 足だ、足を狙えぇ!」


 楽しそうに避け続けるマルバドの、その筋肉の動きと重心を観察する。

 人間の強い騎士は皆こぞって真っ直ぐに芯の通った立ち姿をしていた。剣を振るうときも。盾で受け止めるときも、地に根を張ったかのような安定した重心移動をみせる。


 やはり、獣人は人間とは違う。


 ウルは体にバネを仕込んだかのように、しなやかで、それでいで低い重心を保っていた。

 マルバドはひどく荒々しい。前傾の重心で、土を抉るように大地を蹴る。


 力比べをしたらマルバドが圧倒するだろうが、武器を用いての戦闘となると結果はわからない。

 共通しているのは、どちらも個人としての能力には長けている、ということ。


 魔物相手であれば、魔族は負け知らずだろう。けれど、人相手ならどうだ。個人対個人で、彼らが負けを喫することはほぼあるまい。

 相手が騎士団であれば? 相手が千の部隊、万の部隊であれば? 個人の力に頼りきった数の少ない彼らに勝ち目はない。


 やらなければならないことが、またひとつ。やりたいことが、またひとつ。できそうなことが、またひとつ。



 アーデルハイトはその日、マルバドが飽きるまで思考する片手間に相手を続けた。いつの間にやら青薔薇という呼称が定着してしまったな、と思いながら。

 そしてまた明日も、マルバドはアーデルハイトの元にやってくるのだろう。命のやり取りがない、お遊びのような闘いのために。それを観戦して、きっと第一軍の彼らも騒ぐのだ。


 ほら、来た。琥珀色の角を天に鋭く突き立てて。


「青薔薇! 決闘だ!」


 やっぱりまずは、服を着せるところから始めよう。



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