10


 さほど大きくない円卓を取り囲むようにして、ハッセルバムの中枢たちが顔を突き合わせる。

 魔王クリセルダを中心に右から、第一軍の牛人マルバド。第二軍の森人ユアン。第三軍の夢魔族イリシャ。第四軍の狼族ウル。第五軍の神羽族シナリー。


 そして無所属。デュラハンのアーデルハイト。


 卓上に広がるのはこのハッセルバムの詳細な地図である。空を飛ぶ種族がいるだけあって、その精度は人族領より圧倒的に良質だ。

 けれど、見れば見るほど国とは思えない。これはもはや未開拓地とも言っていい。


「んなもん、突っ切ればいいだろうがよ。わざわざ必要ねぇ」

「ウル、その話は既に終わった」

「けどよ、魔王サマ。一応第四軍の長としちゃ、国の金が無駄になるところは見逃せねぇよ」


 机に足を乗せてこちらを睨む犬を、アーデルハイトは特に表情を変えずに見つめ返す。机に足を乗せてはいけません、と教わらなかったのだろうか。

 下品とも言えない。こういうのは品が『無い』と言うのだ。下にも満たない、無。この犬に下品と言っては、下品に失礼であろう。


「同じ話を何度も繰り返さねば理解もできないのですね。皆さまは既に了承してくださっているようですが、再度ご説明致しましょうか? それ故に会議の時間が伸び、陛下含む皆さまのお時間を無駄に頂くことになってしまいますが。あなたにはそのご迷惑を掛けるだけの価値ある意見がおありのようですし」

「青薔薇。ウルを挑発してやるな。馬鹿には理解できんだけだ」


「マルバド……テメェ調子に乗ってんなよ……」


 あえて側近を全員集めたのにはわけがある。それぞれの知識と経験を借りたかったのだ。

 魔族たちはこぞって馬鹿で脳筋だが、知識を貯めておけないわけではない。力で解決しようとするだけ。

 アーデルハイトにはハッセルバムの知識も、ハッセルバムでの経験も足りない。今からやろうとしていることは、ハッセルバムを知らねばできないこと。


「農耕地ではこれから多くの食料が生産されることでしょう。いずれは穀物の育成も手がけ、畜産も行いたいと思っております。現在の生産量であれば有翼種族の第三軍に運んで貰えば良いかもしれませんが、今後はそうもいきません。ハッセルバム内全てに、食糧を行き渡らせたいのです」


 お馬鹿なウルのためにもう一度丁寧に説明する。アーデルハイトにもわかっている。いくらウルがお馬鹿といえど、彼も理解できていないわけではないのだ。

 ただ納得できないだけ。アーデルハイトの言葉にホイホイと頷くクリセルダや側近たちの態度を認めたくないだけ。


「突っ切れば良い、とおっしゃいましたが、それはあなた方がお強いから。お強いからこそ軍人なのです。魔物の被害を抑えねばならないというのに、第四軍の皆さまで食糧の流通まで引き受けてくださるとは。よほどお仕事ができるのですね」


 ぐる、とウルが唸る。丁寧な説明を、と思ったのに油断するとつい突いてしまいたくなる。

 

「冗談はさておき……今後流通に携わるのは国内巡回の第二軍でも第三軍でもなく、もちろん第四軍でもなく、戦う力の足りない一般の方たちとなるでしょう。ノアを引き連れてレッドラインへと行きましたが、正直彼らに大量の食糧を引いて国内を周る力があるとは思えませんでした」


 ノアやイタチのヒューイなど、彼らは花形の軍人を目指したから落ちこぼれのレッテルを貼られただけで、魔族全体で見れば戦えない者たちのほうが多いくらいだ。


 弱いのが悪い。弱いのなら死ね。そう言うのであれば、なぜ大陸中の魔族を引き連れてハッセルバムを作ったのだ。クリセルダ本人も弱いやつが悪いとよく口にするが、本当にそう思っているのなら、戦う術のない種族は捨て置いたはずだろう。

 クリセルダがアーデルハイトを手元に置こうとしたのは、おそらくこの膨大な魔力故だった。しかし、言いはしないが今のクリセルダがアーデルハイトに求めるのは、武ではなく国を変えるだけの知だと、そう思う。


 あの日、あの時、大陸の地図を眺めているクリセルダはそういう目をしていた。


「だから、誰にでも通れる道が必要なのです」


 ハッセルバムの詳細な地図。そこには深い森や川、地形なども細かく書き込まれている。ぽつんぽつんと町村、集落はあるが、それらを繋ぐ街道はほとんど見受けられない。


 これで国と名乗っているのだから笑ってしまう。


 かろうじて国に見えるのは魔王城のお膝下にある首都と周辺の町村のみ。他はどれも魔王城の庇護を僅かばかり受ける少数部族。

 食料もなく、道もなく、国政も政とは呼べない始末。他国と喧嘩できるまでに、まだまだ道のりは長い。


 ……本当に、なぜ道をつくらないの。


「あとは、先程申しましたとおり、有り余る国庫から金貨銀貨をばら撒きます。無駄にするわけではございませんよ。金というのは貯めるものではなく、回すものです。金の回る土地には人が集まり、人が集まる地は成長します。貯め込んだだけの金貨など、ただ重たいだけで役に立たないガラクタでしかありませんから」


 清貧を良しとするのは教会だけで十分だ。金があるから物を買い、物が金になるから物を作る。物を買うために働き、働くから娯楽を求める。

 道ができれば人が動く。人が動けば金を落とす。


 人の流れは国の血液。


 小さく寄り集まって、食料が足りなければ人を襲う。そんなこと、もうこの五十年で飽きたでしょう。


 まずは自給自足、地産地消。きちんと税収を得て、それを民に還元する。足りないモノのために他国と交易し、それでも足りなければ戦争を仕掛ければ良い。


「国家事業として人を雇い街道整備を行いますが、そのためにはどこに道を作るべきか、その設計が必要です。専門的なところは岩窟人に委託しますが、その前に大まかな指針を詰めねばなりません」


 樹海とまではいかないが、ハッセルバムには森林地帯が多く存在する。沼地も多い。中にはどうやっても道を作れない土地もあるだろう。

 どこをどう繋ぎ、どこから作るべきか。


「わたくしは未だハッセルバムを知りません。どうか皆さまのお力を貸してくださいませ」



 やいのやいのと出る意見を、ノアがせっせと書き留めていく。

 メルダースは大陸東部の国々から製紙を輸入していたが、ハッセルバムには上質な紙など存在しない。あるのは薄く切られた白っぽい木の板か皮、獣の皮を用いた獣皮紙だ。

 ヴァリ王国の属国ケイマンでも紙を作っていたので、できることならケイマンが丸ごと欲しい。


 ハッセルバムには字の読み書きが出来ない者も多い。けれどそれはメルダース帝国の庶民にも言えること。

 帝都では庶民でも字を書ける者が多くいたが、それでも識字できるというのは育ちの良い証であった。


 ノアに字を教えたのは彼の祖父だそうで、百六十前の大噴火を経験していると言う高齢のためか、ノアが扱うのは旧字体であった。ノアに限らず、ハッセルバムで字を書ける者の殆どが旧字体まじりだ。

 旧字体がわかっていれば、現在主流となっている大陸共通語の習得はそこまで苦では無いはず。人間にとって旧字を扱えるのは教養の証とも言われるため、覚えていて損はない。


 ノアは大陸共通語の勉強をしながら、イタチどもに字の読み書きも教えている。

 シナリーにノアを働かせすぎだと叱られたけれど、本人は喜んでやっているのだ。なにも問題ない。


「だからさぁ、そっちは山を越えなきゃいけないだろ。余裕があるならまだしも、今! この瞬間も! 食料は足りないんだぞ!」

「芋についてはまずは近場から運び込めばいいじゃない。沿岸部はスラ・ダリナのせいで完全に孤立してるのよ! それにここが首都と繋がれば海産物も運べるわ!」

「魚はすぐに腐るだろう!」


 道作りにもっとも積極的なのはユアンとイリシャであった。ふたりとも国内の巡回を担当しているだけあって、道の重要性にはすぐ理解を示してくれた。

 今にも神聖力と魔力がぶつかり合って地図が焦げてしまいそうになっている。


 首都近郊の農耕地を先に繋げてしまいたいユアンと、沿岸地帯に道を通したいイリシャ。どちらもそれぞれの担当区域だ。

 シナリーとウルは農耕地までまっすぐ切り拓けば良いという意見。


 アーデルハイトととしては食糧を運べば良いというだけでなく人の流れを作りたかったので、どの町村を繋ぐかの意見が欲しかったのだが。


「ならば、ここと……ここを繋いで、山を迂回するのはどうだ」


 マルバドが指さしたのは首都から少し南下したところにあるユアンの担当する街。主に獣人が多く暮らし、豆を栽培している。そこで作られた油や酒を、ユアンたち第二軍が細々と首都に運んでいるそうだ。

 そこからするすると西部の沿岸部に太い人差し指が向かう。


「ついでにバフォメットの集落、コボルトの集落、ラミアの集落を繋いでしまえばいい」


 バフォメットとコボルトはそれぞれに山羊の特徴、犬の特徴を持つ種族である。動物の特徴を有するが、厳密には獣人とも違うという。

 どちらも人より獣に近い見た目であり、人族からは悪魔の一種とされてきた。外見は醜悪だが、彼らは魔族の中でも比較的温厚な種族である。ハッセルバム建国当初、クリセルダの庇護を求めて自らこの地へ移り住んだと聞いている。


 ラミアは上半身が人間、下半身が蛇の種族だ。好戦的であり、かなり排他的な種族でもある。

 夢魔族と同じく外見が女性のみで構成されているために男性を狙って襲うとされてきたが、外見が女性的であるだけで、彼らは両性を兼ね備えている。他種族の男性と勾配する必要などない。


「ラミアは排他的であると聞いていますが、その辺りは大丈夫でしょうか」

「それに関しては私が説得すれば良かろう。魔王本人が出向いて否とは言えまい」


 戦え、戦えと煩いマルバドから建設的な意見が出るとは思わなかった。琥珀色の立派な角を撫でながら、マルバドがふむと唸る。


「イリシャ。ここの川はどうなっている」

「橋を架けられるかってこと? ここより上流は難しいかもしれないけど、この辺りだったらドワーフがなんとかするんじゃないかしら」


 霊峰の半分ほどの高さしかないが、西部にはそれなりに険しいスラ・ダリナという名の山が聳えている。そこから海に向かう川は急流で、しょっちゅう大雨による水害や土砂崩れに見舞われていると聞いた。

 身体的に優位な種族も、その山中には住み着かない。


「芋は運ばないのか!? せっかくあんなにたくさん作れるようになったのに!」

「この獣人街を要にして、こちらの村に繋げば良い」

「でもさぁ、こっちの方面に行くとドナ・ピクシーの花畑だよ」


 こっちが良い、あっちが良い。右往左往する意見に少しずつ肉付けがされていく中、アーデルハイトとクリセルダは静かに聞く。


「だったら、ここからこっちに繋げりゃいいんじゃねぇの。それなら花畑も荒さねぇし」

「なるほど、たしかにそうね。リザードマンって変な芋みたいなやつ作ってなかった? 沼の畑みたいなので」

「あの穴の空いたやつでしょ! あれってあたしたちも食べられるのかな!」


 形だけ反発していたウルの意見に、イリシャの言葉。シナリーの発言の中には、アーデルハイトの知らない情報が潜む。

 彼らの発言を邪魔しないよう、クリセルダが小さく呟いた。


「悪くないな、青薔薇」

「本来あるべき姿とも言えましょう」


 隣に座る魔王の種族を、アーデルハイトは知らない。一見すると人間のようにも見えるが、その身から溢れる空気は明らかに人のそれではない。

 捕食者特有の空気はクリセルダ個人の強さもあるが、種族的なものもあるのだろう。直接聞いて良いものかもわからず、勝手に『魔王』という種族なのだと思うことにしている。


 本来、国の主に必要な強さとは個人の武力ではないとアーデルハイトは考える。

 臣下を導く力。状況を多角的に捉え、情勢を見極める力。命を数とし、必要に応じて切り捨てる力。


「ハッセルバムの王として、私に必要なものはなんだろうか」

「そうですね……あなたは脳であるべきです。国とは巨大なひとつの生物であり、臣民はその手足。時には自ら鼓舞することも必要でしょうが、まずやるべきは強く健康な体を作り上げること。そのために考え、栄養を取り、運動をし、他者と交流するのです」

「私にできるだろうか」


 隣に座るクリセルダに目を向け、アーデルハイトは笑ってみせた。


「あなたがやらず、誰がやるのですか」

「はは! そうだな。そのとおりだ。私は五十年ものあいだ、やるべきことをやらずにいたのだな。いくら力を誇示しようとも、できることは限られている、か」


「そのためにわたくしがいるのです、陛下」


 アーデルハイトに目を合わせて、クリセルダが笑う。その瞳から、金色の魔力がとろりと流れ出た。

 どこまでも美しい存在だ。その金色は、どれだけ血を流そうとも、けして曇ることはないのだろう。


 魔族たちの英雄。ハッセルバムの女王、クリセルダ・ハッセルバム。


「結婚してくれ、青薔薇」

「お断りします、陛下」


「だぁぁ! めんっどくせぇな! 山ごときブチ抜けばいいだろうがッ!」


 吠えた犬にシナリーとイリシャが笑い、マルバドとユアンが反論する。それを見て、魔王様が楽しげに目を細めた。


 メルダース帝国を愛したように、アーデルハイトはハッセルバムを愛していく。アーデルハイトはそうして生きていく。

 それならば、マーティアスを愛したように、クリセルダを愛せるだろうか。


 繁栄という言葉でもって、メルダース帝国はアーデルハイトに愛を返してくれた。

 ノイラート侯爵家を愛した父は家のために娘を捧げ、ノイラート家は地位の確立でその愛に応えた。


 けれどマーティアスは愛を返してはくれなかった。


 愛と幸福とは結びつくものなのだろうか。本当にそれは正しいのだろうか。アーデルハイトはたしかにマーティアスを愛したはずだ。

 だって、アーデルハイトは帝国とマーティアスのために生きてきたのだから。それはたしかに、アーデルハイトの愛であったはずだ。


 ハッセルバムもきっと応えてくれるだろう。


 でも、わからない。わからないのだ。こんなことは考えたことがなかった。

 人の愛とは、どうやって感じれば良いの。マーティアスのように、クリセルダが愛を返してくれなかったら。


 否。否。やるべきことは変わらない。アーデルハイトはただ、国のために生きるだけだ。それが結果として、クリセルダを愛することになるはずなのだ。

 なのに。それなのにどうして。


 クリセルダがアーデルハイトのプラチナブロンドをひと房掬う。



 アーデルハイトはなにをそんなに。



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