閑話 元皇后と狼獣人-2


「何事か……ウル?」

「ま、おうサマ……」


「すごいな。これは青薔薇がやったのか?」


 開け放たれた扉から現れたのは、神羽族の少女と森人の青年を連れた魔王だった。

 残念。真意を聞き出したついでにトドメを刺す方法を考えていたのに。


「ウル! 大丈夫か!?」

「クソッ! 触んな耳長ッ!」

「治すからジッとして」


 森人ユアンの瞳から群青色の光が溢れ、犬の傷を癒していく。大きな力は使っていないというのに、大した治癒術だ。

 神羽族の少女は興味深そうにアーデルハイトを眺めるばかりで何も言わない。


「俺はいいから、カイを! カイを頼むッ!」

「彼は残念だけど、僕の力じゃ無理だ。蘇生はできない」

「クソ……クソが……テメェがカイを殺しやがったんだ!」


 本当にうるさい犬。魔王が飼い主ならば、その犬の暴走は魔王に責任がある。臣下の不始末は上の者が責任を負うものだろう。

 転がった椅子を拾い上げて座ろうとしたのだが、犬の長剣に当たったせいで脚が折れていた。仕方がないので、血の海に浸る棺に腰掛ける。


 体調が万全でないというのに大立ち回りをして疲れた。一連の流れで首を落とさなかったのは成長と言えよう。

 体内の魔力が神聖力のときと変わらずに使えることも確認できたし、試験的な実戦としては最適だった。相手が本物の暗殺者だったらこうもいかなかったはず。


「私はお前に武器の類は渡していなかったと思うが」

「水差しがあれば充分でございます」


「これか……はは! すごいな青薔薇は! ほとんど丸腰で獣人を殺し、しかもウルにまで怪我を負わせるとは!」


 クリセルダは近づいてくると、少年の体を持ち上げた。薄い布の上から捩じ込まれた大きい破片をまじまじと観察し、それを引き抜く。

 たとえ出血が少なかったとしても、生き物は痛みが一定の値を超えれば死ぬ。


「一撃か」

「獣人の急所が人間と同じで助かりました」

「ふはは! お前に怪我はないか、青薔薇」


 クリセルダの投げ捨てた体に、犬が縋り付く姿が見えた。それを気にした様子もなく、魔王は笑う。


「なんで……なんでカイを殺したァ!」

「そんなもの、彼がわたくしを殺そうとしたからに決まっているでしょう」


 ズカズカと大股で歩み寄る犬の首根っこをクリセルダが掴む。最初から捕まえておいてくれたら良かったものを。

 こちらを睨みつける犬に、軽く口角を上げる。


「先ほども申しました。殺そうとする者は、殺される覚悟を持つべきです。殺せと命じる者は、その者が死ぬ覚悟を持つべきです」

「黙れ」


「もう一度言って聞かせましょうか。彼を刺したのはわたくしですが、彼に死ねと命じたのはあなたです。あなたが、あなたこそが、彼を殺したのですよ」


 牙を剥いた犬の首に金色の魔力が絡みつく。まるで絞め殺そうとする蛇のように、まるで絞首刑を待つ囚人のように。

 その魔力に殺意は感じない。殺意はなくとも死を予感させるような重く苦しい力だった。


 そんな犬獣人に、アーデルハイトはさらに言葉を重ねていく。

 これも同じ。暴言を吐く者は暴言を吐かれる覚悟を持つべきで、誰かを傷つけようとする者は誰かに傷つけられる覚悟を持つべきなのだから。


「そんなに大事な存在ならば、なぜわたくしの殺害など命じたのですか。死ねと命じたのなら、その命の責任を負いなさい。あなたが命じる立場にあるのなら、彼の生も死も、あなたが受け止めなさい。責任を転嫁する程度ならば、上に立つことなど辞めて本物の犬にでもなりなさいな」

「黙れ……黙れ、黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れェ! 人間がッ……! 偉そうなことをほざくなァ!」


「お前が黙れ、ウル」


 首に絡みついていた魔力が密度を増し、犬の首を締め上げる。もがき苦しむように犬がジタバタと暴れた。


「お前はその子どもに青薔薇を殺せと命じたのか」

「にん、っ、げ、だろ……! 人間はッ、殺すべきだろッ! アンタだって人間を憎んでいるはずだ!」

「青薔薇は既に人間ではない。私が生かした、私の女だ。それをお前如きが殺そうと?」


 クリセルダの女になった覚えはないが、飼い主が躾けている場を邪魔することもあるまい。

 ズレかけていた首の座りを直して立ち上がり、ぴくりとも動かなくなった猫の少年に近づく。


 体を仰向けにし、心臓に触れる。


「あの……その子はもう助からないと思うが……」


 話しかけてきた森人ユアンの言葉を無視して、少年の心臓に魔力を流し込む。拍動はないが、先ほどまで生きていた名残はある。

 せめてもと思ったのか、アーデルハイトが下腹部にあけた穴はユアンが閉じていた。


 アーデルハイトは誰かの命を奪うばかりで、人の命を救ったことなどない。皇妃ソアラのように孤児院に出資したこともなければ、貧民街への炊き出しを計画したこともない。

 人を助けるのが嫌だとか、方法を知らなかっただとか、そういうわけではなく、ただ必要を感じなかったただけのこと。

 民への施しはたしかにマーティアスの評判を上げるだろう。もしソアラという存在がいなければ、おそらくアーデルハイトはマーティアスの名で民への慈悲をばら撒いたはずだ。


 アーデルハイトの目の前にはいつだって死んでも構わない人間か、死んで然るべき存在しかいなかった。マーティアスが重傷を負うような事態もなく、アーデルハイトの神聖力による治癒は、結局日の目を見ることはなかったのである。


 教会で行う神聖力の治癒。治癒とは名ばかりで、患部に神聖力の塊を流し込むだけの荒っぽい治療法だ。流し込まれた神聖力により出血が止まる程度。小さな切り傷くらいならすぐに治るが、肉が裂けるほどの大怪我ともなると、長い期間付きっきりで看病せねばならない。

 実際に神聖力を持つアーデルハイトにはその治療法がいかに杜撰なものかよくわかっていたし、病気の治癒もおまじない程度のものでしかないことを知っていた。神聖力による治癒が万能であるならば、医術を用いる医者は今ごろ存在していないだろう。


 過去に大聖女と呼ばれた女がいる。莫大な神聖力によって数多を救い、現在のツムシュテク教が発展する元になった。

 大聖女はその神聖力で千切れた手足を繋ぎ、疫病を完治させ、止まった心臓を動かしたそうだ。

 アーデルハイトはその記録や伝承を読んで、『神聖力の塊をぶつけただけで蘇生なんぞできるものか。なにか特殊な方法を用いたに違いない』と考えていた。今もそう思っている。


 体内の神聖力は身体中を血液のように巡る。意図して操作することで人体や周囲に影響を与えるのだ。体から漏れ出したそれは液体のように質量を持ち、周囲の人間に重くまとわりつく。


 先ほどユアンが犬の傷を治したところをみて、アーデルハイトもやってみたくなった。止血ではなくたしかに傷が塞がったそれは、大聖女の記録にあるものと同じだ。

 神聖力や魔力を操作し、それを補助的に使えば……力の操作によって傷が治る原理はわからないが、アーデルハイトの予想が正しければ、彼は息を吹き返すのではないだろうか。


「ね、ねぇ……あなたが持ってるの、もう神聖力じゃないんだよ……? 魔力じゃ治癒はできないよ」


 頭に羽を生やした神羽族のシナリーが言う。

 そうだろうか。聞いた話では、神聖力は促進、魔力は減衰。とはいえ、今やろうとしていることは促進でも減衰でもない。


 魔力を三本目の腕としてしまえば良い。


 彼の心臓が動いていないのなら、動かしてしまえば良い。

 魔力で包み込んだ心臓を、握って、離す。握って、離す。自身の心臓はもう動いていないため参考にはならないが、はて、生きているときはどれ程の速度で拍動を繰り返していただろう。

 何度も握っては離し、握っては離し、それを繰り返す。


 少年は動かない。


「あなた、ユアンだったかしら。彼の口から息を吹き込んでくださいませ」

「えぇ!?」

「生物には呼吸も必要でしょう?」


 見た目にそぐわず素直な男であるらしく、戸惑いながら少年の口に自身の唇を寄せた。


「ち、ちゅーしてしまった……」

「ユアン、もう一度。良いというまで繰り返しなさい」


「テメェら! カイになにしてんだ! はな、離してください魔王サマ! やめろ! カイから離れろ! カイの体を弄ぶなァッ」


 犬は放っておいてもクリセルダが抑えていてくれるだろう。

 息が吹き込まれ、心臓が疑似的に動かされる。血が足りないのなら、魔力を血液の代わりにしてしまおうか。

 心臓を動かす第三の手とは別に、彼の体に魔力を巡らせる。大きい血管はここと、ここと、ここと……


「ふふ、面白そうなことをしているな」

「面白くねぇ! お前らぜってェ殺してやるッ!」


 第三の手にひくり、と動く感覚があった。


「ユアン、もう大丈夫です」

「え、あ、あぁ、うん。うん!?」


「か、っ、は……ぁ、かひゅ」


 どくん、どくん、と心臓が強く伸縮を繰り返し、少年の体内に血液を送り込む。

 まだ目を覚ましたわけではないが、彼自身が心臓を動かし、自身の力で呼吸していることは間違いない。


「す、す、す、すごぉーい! なにそれなにそれ! 治癒じゃないよね!? 人間の医術って蘇生までできるの!?」

「治癒術じゃないよな!? 僕、神聖力は使ってないし、ただちゅーしてただけだし!」


「魔力で包み込んで心臓を動かし、さらに魔力を血の代わりにする……簡単に出来ることではないが、ふむ……器用だな」


 神羽族のシナリーが玩具にはしゃぐ子どものようにアーデルハイトの腕にしがみつき、耳元できゃんきゃんと騒ぐ。先ほど犬が吠えていたときも煩かったが、また違う種類の喧しさである。


「カイ……? カイ、生きてんのか……? カイ、うぁぁ、カイ! すまねぇ……良かった……カイ」

「青薔薇、助けるのならなぜ殺した?」


「助けるつもりなどありませんでしたので。少し実験してみたくなっただけのこと」


 魔力でここまでのことができるのならば、神聖力を用いればもっと簡単に少年の心臓を動かせたのではないか。

 治癒法には力の操作と人体への理解が必要なのだとしたら。


 百年以上も前の時代を生きていた大聖女とはいったい何者であったのだろう。

 千切れた手足を繋ぐことだけであれば、アーデルハイトにもできたかもしれない。けれど、それを再び動くようにするなど、想像もつかない域のことだ。骨は、筋肉は、細かな血管は……

 それとも、ユアンの用いていた神聖力の治癒法とやらをうまく組み合わせたら、できるようになるだろうか。


 大きな病気や怪我を治せる国。先ほどのような治療法を行える者が多くいれば、人を呼び込める国になることは違いない。この世にはどんな手を使ってでも生きたい人間が、どんな手を使ってでも誰かを生かそうとする人間が、数え切れないほどいるのだから。


「青薔薇……青薔薇?」

「失礼いたしました。少々考え事を」

「大丈夫か? 魔力が揺らいでいる」


 おそらく疲れたのだろう。ただでさえ万全でない体調に、様々な出来事が重なったストレス、犬との大立ち回り、少年の蘇生。気を抜いたら今にも首がぽろっといきそうだ。


「陛下。申し訳ないのですが、別の部屋をお貸しいただけますか? 血みどろの惨状の中で眠れるほど無神経な女ではありませんので、わたくし」

「はは! 慈悲もなく子どもの急所をひと突きできる女がなにを言う。いいだろう。悪いのはウルだしな」

「棺も運び入れてくださいませ」


 魔王づかいが荒いな! と笑う。

 顔には出さないが、すでに眠気が限界だった。


「おい、人間。礼は言わないからな」

「ワンちゃん、あなたが言うべきは礼ではなく謝罪ですよ。後日、正式な詫びをお待ちしております」


 カイという猫獣人の少年を抱いたまま、ウルは部屋を出て行った。



 ウルがアーデルハイトを狙ったのは人間に対する恨みがあったからだと、後日魔王から聞かされた。しかし、アーデルハイトにはどうにも別の意図があったに思えてならない。

 あれは人間という種族への恨みではなく、ウルがアーデルハイトという個人に向けた恨みであったように思う。


 ヴァリ王国との戦後、捕虜として帝国におくられてきた姫は、帝国人の全てを恨んでいた。バルデル伯爵はコルネルスを陥れたアーデルハイト個人に恨みを向けた。

 両者の瞳は似て非なるものであり、ウルはバルデル伯爵と似たような目をしていたのだ。


 カイという少年のことで、ウルがアーデルハイトに向ける嫌悪感はさらに増したことだろう。

 もともとウルは正面きってアーデルハイトを殺すつもりだったという。それをカイ少年が自分にやらせてくれと申し出た。

 とは言え、それに許可を出したのは上司であるウルだ。


 カイ少年は一命を取り留めた。けれど、目覚めたあとの彼は下半身を動かせず、さらに言葉すら覚束なくなっていたそうだ。表情をうまく作れず、手先の器用さも失われた。

 彼は今でも一日の大半をベッドで過ごし、ときおりウルに抱えられて城の外を散歩しているという。


 彼はあのまま死んでいた方が幸せだったのではないかとアーデルハイトは思う。

 動くこともままならず、言葉も不自由。食事も排泄も、誰かの世話にならねば生きていけない。想像しただけでアーデルハイトには耐え難い苦痛だった。


 しかし、彼の幸福を決めるのも、彼の不幸を決めるのもアーデルハイトではない。彼自身であろう。

 そして、まだ年若いカイ少年の一生に重たい楔を打ち込んだウルもまた、その責を負って生きていく。


 あの事件以来、アーデルハイトの周囲も大きく様相を変えた。

 いずれアーデルハイトはこの国の益となることを為さねばならず、そのためには知識が必要だった。この国について、魔族という種族について、そして魔力や神聖力について。


 教師役が欲しいと魔王に訴えたところ、神羽族のシナリーが自ら手を挙げてくれた。カイの蘇生を間近でみた森人のユアンも協力的であるし、同性の仲間ができて嬉しいと夢魔族のイリシャも好意的である。

 アーデルハイトがまともな武器もなくウルを下したという話を聞きつけて、牛人のマルバドにいたっては毎日決闘を申し入れてくる始末。


 力を重んじるハッセルバムの中枢で、アーデルハイトに好意的でないのはウルと、彼が率いる第四軍の面々だけであろう。


 ウルとアーデルハイトの事件がそこまでの騒ぎにならなかったのは、ハッセルバム魔王城でこの程度の騒ぎは日常茶飯事だからだ。

 第四軍ウル第一軍マルバドはいつでも喧嘩して両軍そろって満身創痍だし、耳長と言われてキレたユアンは今日も城の壁をぶち抜いている。

 イリシャは躾と称して部下下僕を痛めつけているし、シナリーは街での喧嘩を諌めるついでに、やり過ぎて建物を壊す。


 たとえ死んでも、弱いやつが悪いのだ。クリセルダはそう言った。おそらくウルとカイによる暗殺がもし成功してしまっても、クリセルダは「残念だ」と言った翌日に、アーデルハイトのことを忘れてしまうのだろう。


 野蛮だとは思うけれど、考えてみたら皇宮にいたときも水面下では血みどろであった。あまり変わりはないのかもしれない。

 ほら、今もどこからか爆発音が聞こえる。ウルが吹き飛ばされたのか、マルバドが地面を砕いたのか。ユアンがキレたのか。イリシャが調教しているのか、シナリーの大捕物か。


「今日も平和だな、青薔薇」

「陛下。お耳と目の医者をお呼びいたしましょうか?」


 はは! とクリセルダが笑う。

 ハッセルバムは今日も平和だ。



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