19
「色々とありがとうございました」
「お大事にッス」
伊沢の言葉に、白石はまだ赤い目元を緩ませて応えた。
開けた窓から遠山も声をかける。
「君の証言を聞かせてもらったからには、すみやかに対処させてもらう。
また、何かあったら、すぐ教えてくれ」
「はい……。
本当に、本当に、ありがとうございました」
彼女が一軒の民家に入っていくのを見届けてから、遠山は深くため息をついた。
(お礼を言われることは、まだ何もしていないんだがな……)
いじめというものは、身近に起こり得る分、犯罪という意識が薄くなってしまうのかもしれない。
喧嘩とは明らかに違う、ただ一方的に相手の心と体も追い詰める行為は、決して見過ごして良いものではない。
思考につい耽ってしまい、注意が疎かになっていた遠山は、助手席のドアが開く音に、ビクッと肩を揺らした。
「隣、良いッスか?」
「……どうぞ。
すみません、すぐ出します」
「すげぇ眉間に皺よってたッスよ?」
「……少し、思うところがありまして」
「そうッスか」
まぁ、よくある話ッスよね、残念ながら。
と、伊沢は、ドアにもたれて頬杖をついていた。
「真咲みどりは、どうして怪異に巻き込まれたんでしょうか?」
「ん~?」
「……伊沢さんの言う様に、被害者達が、皆何かしらの犯罪に関わっていたとして。
それと、先ほどの話から真咲みどりの人物像とは、結びつき難いというか……」
「……どんな人間も、いつまでも折れないって言うのは、難しいッスよ。
苦しくて、辛いことに曝され続けたら、助かりたいと思うのは自然じゃないッスか?」
「……?」
「少なくとも、さっきの話を聞く限り、真咲みどりには、ひとつだけ動機があったッスよ」
少し走らせた先に、公共駐車場があるのが見える。
商店街が目的である人は、どうやらここに車を停めているようだ。
空いている場所を確保すると、遠山はエンジンを止めた。
「調査の前に、少し連絡してきてもよろしいでしょうか?」
「いいッスけど、さっきの話のことなら、もう少年課に連絡しておいたッスよ。
名前が出てた奴らの何人か、元々そっちで補導歴があったから、スムーズに対応できそうだって。
一応音声データも添付しといたッス」
「いつの間に……」
「ひよっこくん、これなんとかしないと、調査に集中できなさそうだったし」
(この人、本当にあの〝荒ぶる鷹〟の人?)
目の前のこの人が、今まで奇行を繰り広げてきた人と、本当に同一人物であるのか。
疑わしくなってしまった遠山は、窓の外を指差して、こう言った。
「伊沢さん。
あそこでカップルがいちゃついていますよ」
「キィエェエアアアアアア!!!!!」
「あ、よかった、本物ですね」
威嚇し始めた伊沢に、遠山は胸を撫で下ろした。
偽物じゃなくて、良かった。
ドッペルゲンガーであったら、遠山は対処しなくてはならなかったので……。
「伊沢くん相変わらず細いねぇ。
うちの肉買っていきなよ!!」
「お!
勿論、オマケしてくれるんッスよね?」
「伊沢さん、仕事中ですよ」
「お兄さん、カタイこと言うなよなぁ。
ほら、コロッケやるよ、食ってけ」
「あの、仕事……」
「てか、よく見たらお兄さんイケメンだねぇ。
俳優さん?」
「はぁ……」
「いやん、正直者ッスね」
「アンタじゃないよ」
「にゃんじゃとーー!!!?」
如月ラーメンの常連である伊沢は、その延長線で、この商店街でも顔が知れているらしい。
アイドルなのかという程、さっきから声をかけられる。
いや、聞き込みのつもりだから良いのかも知れないが……。
主に商店街マダム達の勢いに押され、遠山はコロッケ片手にオロオロしてしまっていた。
「そうだ。
ねぇ、この人に見覚えないッスか?」
伊沢の発言を受けて、遠山が写真を八百屋のマダムに見せる。
「あー、この人ねぇ。
最近来てないけど、ちょくちょく来てたわよ」
「常連だったんですね」
「常連っていうか……。
結局何も買っていかないんだけど」
急に、八百屋のマダムは、内緒話でもするように、声を小さく潜めた。
「この人が、来るとね。
商品がなくなっちゃうことが多いのよ。
確かなことは言えないんだけど、もしかしたら……」
「持っていっちゃってるかも知れないってことッスか?」
「まぁ、実際見たわけじゃないんだけどね。
この人以外にも何人かそういう怪しい人がいるの。
うちの商店街、監視カメラつけてる店が少ないから、狙われちゃうのね。
やっぱりつけてもらわないと、ダメかしら」
「……怪しい人って、もしかして」
と遠山が追加で写真を見せる。
「あぁ、そうそう。
この人たち、他の人に聞いても多分皆似たようなことを言うと思うわよ。
もしかしたら、ここは、【泥棒の楽園】なのかもしれないわねぇ」
と、マダムはやれやれと肩を落とした。
「……如月商店街では、万引きが多発していたんですね」
「許せないッス。
もし、売上がどうたらでここが潰れたらどうするんスか!
オレ、ここで貰えるおまけで生き延びていると言っても、過言ではないのに!!」
「……(オマケ云々は兎も角)そうですね」
そして、この辺りの人たちはみな、如月商店街の周辺に住んでいた被害者数名を、万引き犯として怪しんでいた。
「もしかして、この事件の被害者の共通点は……」
「ひよっこくん、あそこの本屋の中見えるッスか?」
「本屋?」
目線の先に、小さな文房具店も兼ねた本屋がある。
ここからでは入り口しか見えず、その付近にいる人間しか、遠山には見えないが……。
「入り口に居る、マフラーつけてる灰色のコートの男性、マーク」
「え?」
「多分、やるから」
男性は、しばらく、入り口に並んだ文庫本のコーナーのあたりをうろうろしていた。
……本を選んでいるにしては、目線が高い。
周囲を神経質に気にしているようで、しきりにキョロキョロと見渡している。
遠山は、気配を悟られないように、こっそりと近づいた。
男は気づいていないようで、文庫本を一冊取ると、そのままポケットに手を入れた。
外に出たのを確認してから、遠山が、男性の前に出る。
「……すみません。
ちょっとお話し、よろしいでしょうか」
途端に、状況を把握した男性が選んだのは逃走だった。
「待ちなさい!!」
と、遠山が後を追いかける。
幸い、男性の足はさほど早くもなく、商店街もさほど混んでいない。
障害なくこのまま追いかければ、すぐに遠山が追いつくだろう。
男性は、商店街を抜けた先にある、建物と建物の間に細道を見つけると、そこに逃げ込んだ。
しかし、遠山も見逃さず、男性を追いかける。
目を細めると、道の先は行き止まりであることに気がついた。
(……いた!!)
奥に男性の姿をみつけた。
……その近くに、もう一人誰かがいる。
(万引きに、協力者か?)
その時、
「うぎゃあああああああああああああ!!!!!」
と男が悲鳴をあげて、うずくまった。
尋常でない様子に、遠山は走るスピードを早める。
近くにいた着物姿の女は、遠山を見て薄く布越しに笑うと、視線を外した次にはいなくなってしまっていた。
(……やられた!)
「大丈夫か?!」
と、遠山は男性に声をかける。
「あぁ、痛い、痛い、痒い、痒い痒い痒い痒い!!!!」
男性はその場で、体を掻きむしり、のたうちまわっていた。
満足いかず、コートを脱ぎ、袖を捲り上げて、直接肌をかき始める。
はずみで、盗んだ文庫本が、コートから落ちた。
傷ついた肌から血が流れる。
皮膚からするはずない、柔らかなものを潰す音と共に、血が吹き出た。
「眩しい、眩しい、まぶしぃぃい……」
息も絶え絶えに啜り泣くような声がする。
……真っ赤な液体越しに、遠山は、ギョロリと【目】があった。
「……ビンゴッスね」
息を切らして、遅れて到着した伊沢が呟く。
それは、まさしく、今までの被害者達と、同じ症状だった。
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