第21話 ひと
「ちょ、みんなやばい! 本当にあったよ。あったんだよフィルム屋が! ほらぁ!!」
緊迫感を演出しながら、フィルム屋の看板へ顔を向ける。
予定通りなら、眼鏡型の隠しカメラが活躍してくれているはずだ。
「ね? ていうか見て。さっきレンズ割れたんだけど、最悪……。まあこれは後で泣くとして、いまはフィルム屋でしょ! さっそく潜入していきたいと、思いまーす! うわこえ~……」
フリのせいで本当に緊張してしまったのか、いやに汗ばんだ手をドアノブにかける。すると、それは音もなくすんなりと開いた。
扉の先。それは神経質な人間が掃除したような異常に清潔な廊下と、その奥に鎮座する物々しい大きな扉があるだけらしい。
「うわ、めっちゃ掃除されてる……なにここ。ていうか、え! めっちゃ綺麗じゃん、あれ。俺場違い? 帰ろうかな」
声だけはおどけながら、大きな二枚扉を凝視する。
それの上部には教会に置いてあるような、大きなステンドグラスがはめ込まれている。この作品のモチーフはフィルムだろうか……。
「え、フィルム屋だからフィルムの絵なの? 安直かよ……」
そうぶつぶつと呟きながら、及び腰でゆっくりと赤いカーペットを踏みしめる。
腰を曲げて、そろりそろりと。
じじいになった気分だ。全身は映っていないのが唯一の救いだろうか。
こんな姿、ブランディング的にありえないのだ。
「この先がフィルム屋かな? それでは、侵入しまーす……」
二枚扉を慎重に押し開ける。
都市伝説へと繋がるそれは、ギィ……と軋みながら、しかし確実に開いていく。
俺の心拍数は最高潮だ。手のひらと額がじわりと湿るのがわかる。
……身体を入れる前に、中を覗き見よう。そうおもって、重心を傾けた。
その刹那、脳裏にあの少女が霞んで過ぎた。
『死にたくないなら、いますぐ帰ったほうがいいですよ。死にたいならご勝手に』
そう、冷たく言い放つ彼女の悲痛な涙が、頬を伝って闇に滴る。
それと同時に、俺はフィルム屋へと足を踏み入れていた。
「ん。いらっしゃいませ、ようこそフィルム屋へ。お好きな席へどうぞ」
俺が入店したのを見て、マスターらしき老いた女性が声をかけてきた。
その顔は、年齢に沿った深みのある微笑みに染まっている。
だとしても、『死ぬぞ』なんて脅されたばかりだから安心なんてできっこない。
がちがちに固まった筋肉に命令しながら、店内を見回す。
処刑台とか、斬馬刀とか、電気椅子とか、なにかインパクトがあるものはないかな。なんて、淡い期待を微かに持ちながら。
けれど、ここはただのカフェのようだった。
緊張と一緒に、拍子も抜ける。
『都市伝説』なんて仰々しい名前を冠するなら、もっと動画映えするような何かが欲しかった。せめて、占い師がひっそりと座り込む妖しい内装とか。
なのに実際はただのカフェ、か。
肩を落としながらマスターにぺこりと挨拶をして、店内がすべて映りこみそうな、端っこの席に荷物を下して座った。
するとすかさず店主が近寄って、「こちらメニューです」と冊子を渡してくれる。
記憶を現像する料金とかが……?
なんて、もうすでに諦めながらも超常に縋りメニューを開く。
コーヒー、紅茶、ソフトドリンクや軽食。
その中身は案の定、ただのカフェと遜色がない品々だった。
むりやり違いを見つけるとすれば、『フィルム屋スペシャル』という名前のサンドイッチだろうか。説明文を読む限り、具材たっぷりのスペシャルサンドらしい。
もうすでに腹の虫も死にかけて、言うなればお腹と背中が引っ付きそうだ。
そんな中で具材を想像させられて、腹が鳴りそうになる。けれど、空腹を実感するのはつらいから、腹筋を力ませて必死に耐えた。
残り二千円であと一週間以上生きなければならないのだから、むやみやたらに金を使うわけにはいかないのだ。
「すみませーん。……じゃあ、アイスコーヒーで」
声を発するタイミングで力が抜けた。抜けてしまった。
解放された胃は、最後の力を振り絞るように大きくないた。
マスターもこの音に気づいたのか、俺を見つめて口を開く。
「お腹、空いていらっしゃるのですか?」
やはり聞かれていたらしい。顔に熱がのぼるのがわかる。
顔、赤くなってなければいいな。と思いつつ、ぽりぽりと首をかいた。
「あっはは、お恥ずかしい……。でもまあ、コーヒーだけで大丈夫です」
「……そうですか」
マスターはそう言い残して、カウンターのなかへと戻っていく。
その背中をぼんやりと眺めた。
俺、一生このままなのかな。
『普通に就職して、社会に縛られて、それで一生を終えるなんて。死んでるのとなにが違ぇんだよ!?』
心配する父親に大口叩いて、結局は何者にもなれずに終わるのかな。
……俺、いつ間違えたんだろうな。
自責と後悔が渦を巻く俺を取り残して、店内にはトントンと子気味いい音が響き渡る。まるで音楽のようなそれをBGMに、ただうなだれた。
この企画、どうしよう。
フィルム屋はあった、けれど実態はただのカフェだった。
つまり、『都市伝説のフィルム屋』ではないのだ。
企画倒れ。
俺が歩く先に、立ちふさがった大きすぎる壁。
大人気YouTuberなら、どう面白く終えるだろうか。
今日撮った映像を、断片的だが頭の中で編集する。
ラストに欲しい画は……そうだな。
マスターに直接聞いて、『フィルム屋の正体はただのカフェでした~!』で締めよう。この結果なら、バズりはしないだろうけれど、一本の動画には成りあがる。
そうと決まれば、俺がやれることはひとつだけ。丁寧に、頭の中で編集することだ。
あの場面は使って、あれはいらない。ここにはマヌケな効果音をいれよう。
ああ、ワクワクする。
興奮に、心の底から身震いする。
いつからだろうか。最初は憧れて、しかし途中で『成功の道具』としか見れなくなった動画配信。それがいつからか趣味となって、いまやなくてはならないものとなった。
もちろん編集は面倒だし、極たまにくるアンチコメントに腹を立てることもある。けれど、『面白い』とか『頑張ってくれ』という声が、それ以上に嬉しかったのだ。
過去の応援コメントを思い出して、つい口が緩む。
そこで、いつのまにか包丁の音が消えていることに気が付いた。
マスターを目だけで見ると、おぼんをもってこちらに向かってきているようだ。
「お待たせいたしました。アイスコーヒーと、フィルム屋スペシャルです」
出された物を見て、ぎょっとする。
おかしい、俺が頼んだのはアイスコーヒーだけなはずなのだ。腹が減りすぎて、無意識に注文してしまったのだろうか。
必死に、メニュー表を思い出す。
アイスコーヒーは三百五十円、フィルム屋スペシャルはたしか七百五十円。のべ千百円……。
残り九百円で一週間以上の生活。
なかなかに厳しい闘いを強制された瞬間だった。
けれど、いくら思い返しても、注文した記憶がないのだ。
まさか、注文した記憶がないのに注文を強制される。というのが廻りまわって『記憶をフィルムにする、フィルム屋』という都市伝説が生まれたのか……?
「あの、すみません。サンドイッチは頼んでないんですけど……」
声が震える。コーヒーに三百五十円を使っているのすら辛いのに。
「あらぁ、そうでした? それはすみませんでした」
するとマスターはおどけるように、芝居がかった抑揚で話し始めた。
「でも、捨てるのももったいないですね。私はこんなに食べれないですし、どこかにお腹の空いた方は……あら! よろしかったら召し上がっていただけませんか? いらなかったら残してもらっても構いませんので」
マスターはいたずらが成功した子供のように、楽しそうに笑った。
これは……。
鈍感と言われる俺でも途中で察してしまった。
これはマスターの優しさなのだ、と。
「あの、ありがとうございます。わざわざこんないいものを……」
けれど店主は、「ただ間違えただけですよ」と言い残してそそくさとカウンターへ歩いて行ってしまった。
久しぶりに、ひとの優しさに触れた。
ただ、強張る目頭を耐えるしかなかった。
約二年ぶりにいただきます、と手を合わせてサンドイッチを持ち上げる。
するとそれはずっしりと腕を刺激して、自重からボリュームの多さを教えてくれた。
よだれが止まらない。ちゃんとした生野菜なんていつぶりだろうか。
たまらず、一思いにかぶりつく。
芳醇なパンの香りと、新鮮なレタスの食感。そこにトマトの酸味が広がり、遅れてわさび醤油の風味が合わさった。
歯形の断面からは、ローストビーフがこれでもかと覗いている。
肉の誘惑に負けて、一口目がまだ入っているのにもう一度かぶりついた。
先ほどの味が広がって、今度はローストビーフが「俺が主役だ」と口の中を暴れまわる。それはしっとりと舌の上で溶け、優しい、けれど暴力的な肉のうまみを爆発させた。
久しぶりのちゃんとした食事。
一食を二回に分けた牛丼でも。そこらで採ってきた食べられる雑草でも。廃棄寸前で一個数十円のおにぎりでもない。
いま作ってくれて、いま食べていい食事。
「うまぁ……」
ガツガツとサンドイッチを頬張る。
きっと、わさびがきついんだ。
だから鼻の奥がツンと痛んで、視界が滲んで揺れるんだ。
一度瞬きをすると、生暖かいそれが頬を伝う。
「はあ……うめえなぁ……」
美味い飯、人の優しさ。
冷たい現実にもまれて、いつしか俺は冷えきってしまった。
そう思っていた。
けれどじんわりと温められて、『俺』がむず痒くて仕方がなかった。
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