第14話 契約

 どれだけの時間が過ぎただろうか。

やっと呼吸も落ち着いて、疲労がヴェールのように付きまとっているのがわかる。

ガンガンと頭を打つ痛みと気だるさを感じながら、辺りを見回した。

 すると、いつの間にかすぐ隣にいた店主が「落ち着きました?」と声をかけてくれた。

 ヒリつく目元を擦りながら、状況を整理する。

記憶を見て、真実を知って、狂ったように泣き叫んで……。

あまり記憶がないけれど、私に握りしめられた店主の袖がしわくちゃによれているのが何よりの証拠だろう。


 もう、何もかもがどうでもよかった。

慟哭の末に泣きはらした爽快感の中で、どこまでも絶望している心に気づく。

 自分の命がここにあるだけで、周りの人間が不幸になった。

それならば、私がここにいていい理由はない。

 重苦しい身体を持ち上げて、店主を眼前に一礼する。


「ありがとう、ございました。

私がどういう存在なのか……どんな忌物なのか。理解できました。

私は、産まれてはいけなかった。

それでも、この命は母の命。いつか『母の愛』を本当の意味で理解出来たら、また来ます……」


 死にたい。けれど死ねない。

その想いは無視できないけれど、生きるしかない。

この命は、本来は母のものだから。もらってしまったから。

もう、帰ろう。

それでお父さんに謝って、不可抗力ではやく死ねることを願いながら、息をしよう。


 出口を目指して、ふらふらと歩き出す。


「待ってください。まだお代を頂いておりません」

 いままで飄々としていた店主からは想像もできない冷たく鋭い声。

それは、私の足をこの場に括り付けた。


「最後の質問です。いま、貴女が見たお母さまの愛。それはどんなものでしたか?」

「どんな……」


 最初に見た走馬灯のような、朝日のように温かい記憶を思い出そうとした。

しかし、どうだろう。

記憶を掴もうとすると、パズルのように崩れ去ってしまったのだ。


「あれ、なんで……」


 なにか、かけがえのないものがそこにあったはず、だった。

なにか、優しくて、柔らかい、陽だまりのような何か。


「ああ、ああ……」


 頭を殴りつけて、乱れる髪を気にも留めずに掻きむしる。


「なんで、なんで! お母さんが! だって、そこにいたのにぃ!!」


 『あの時』を思い出そうとしても、床に散らばったパズルのように記憶が定まらない。私が。私が生きてていい理由が、そこにあったのに。

今はそれが、どこにもない。


「ぁあっ、ああ! なんで? なんでぇ!!」


 床に身を投げ出してはうずくまり、自分の頭を地面に打ち付ける。


ゴン、ゴン、ゴン

なんで! なんで!!



 酷く醜い光景のさなか、フィルム屋は何を思っただろうか。


 それは静かにニタニタと口を歪め、ただ眺めていた。

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