第13話 理由

 よかった。心底そう思う。

ただ、安心したらそれはそれで、この暗闇がひどくもどかしいと思う自分がいた。

 やっぱり、母の姿を見ていたいのだ。


「あの、ここ飛ばせませんか……? はやく次が見たいんですけど……」


 はたから見たら、子供のおねだりのように聞こえるだろうか。

そんな自覚はありながらも、催促を続ける。

すると店主は、宥めるような口ぶりで言葉を連ねた。


「まあまあ、ゆっくり見ようじゃありませんか。こういう時間も楽しいものですよ?」


 のんきな言葉に、そわそわと身体が揺れ動く。

それから、待った。言われた通り大人しく待った。

けれど、待てども待てども暗闇が晴れることはなかった。


 集中力が切れてから、五分は経っただろうか。

静寂と暗闇だけの、いじらしい時間に終わりが訪れた。

突然、ドッドッと一定のリズムで何かが重く響き始めたのだ。

 私より幾分かはやいけれど、それは鼓動のようだった。

 いまさらの脈動に、困惑が精神を満たしていく。


「あの、わたし少し前に産まれましたよね? 今まで心臓が動いてなかったんでしょうか……」

「動いていたはずですよ。心臓を止めて生きるなんて、人間にはできないでしょう?」


 まったくもってその通りだ。それでも、未だ鳴り響く鼓動に納得はできない。

店主は、顎に手をあてて思慮を続ける。そして数秒の後に一度目を大きく開くと、ぽつぽつと結論を降らし始めた。


「おそらく、夢を見ている? のだと思います……。いやでもこれは、記憶の再生に近い……?」


 記憶の再生。ソレについてはよくわからないけれど、ひとつ思い当たる節はあった。

思い当たるというより、ほぼ直感なのだけれど。


「お母さんの、お腹の中でしょうか……」

 口に出すと、朧げな推測がやたらと存在感を増していく。

きっと私は、産まれる前の夢を見ているのだ。

 ということはつまり、お腹の中が恋しくて縋っているということなのだろうか。

赤ん坊なのだから当然なのかもしれない。けれど、これを見ているいまは高校生なわけで……。

 何故だか、身をよじりたくなるほどに恥ずかしくなった。

 つい顔を両手で覆ってうずくまる。

隣から「なるほどぉ!」と手を叩く店主の声が耳に届いた。

 はずかしいぃぃ……。

羞恥心は、顔をどんどん茹で上がらせる。


 たまらず目を閉じた。だからだろうか。

無意識に音に集中してしまった。


ドッ、ドッ、ドッ

 母の鼓動に紛れる、なにかの音。

それに気づいて、耳をより澄ました。


「……も……ないか! つむ……なんて……。……れよ!」


 遠く、くぐもった男性の声。

これは父の声だ。今より少し若い気がするけれど、間違いなく父の声だ。

 断片的にしか聞き取れない……。もっと、もっと集中して。

音をかき集めて。……ああ、もう!


「これ! 音量上げれませんか!?」


 じれったいのは我慢の限界だったのか、自分が思った以上に大きい声でそう急かしてしまった。

店主は少し驚いた顔をしながら射影機のつまみをいじる。

すると、ドックン、ドックンと大太鼓のように響く鼓動が前髪を震わせた。


「だめだよ、たか君。私たちはこの子の親なの」


 風鈴のように透き通った、どこか水色を思わせる綺麗な声が聞こえる。

その次に聞こえたのは、どこまでも悲痛な叫びだ。


「でも! この子を産んだら君が……!」


 妻か子か。

その選択はあまりにも残酷で、無慈悲に冷たいものだった。


「それでも、私はこの子に生きててほしいの。この子の名前さ、ずっと悩んでたよね。わたし決めたの。

この子の名前は、冬香。柊 冬香」

「冬香……。ああ、いい名前だよ……」


 父の声が揺れる。まだ若い、けれど毅然として頼りになる父の声が、悲しみに揺れている。この揺らぎは、私の心にも伝播している気がした。


「私はこの子になにも贈れないから、名前が最初で最後になっちゃうね。

冬香はたぶん、一人でいろいろ苦労するのでしょうね……。ごめんね、冬香。ちゃんとお母さんになってあげたかったな……」


 お母さんに「冬香」と呼ばれるたびに、ぐちゃぐちゃに混ざり合った気持ちが頬を流れる。慌てて目元を抑えるけれど、それでも雫が闇に溶けていく。

足掻きは無駄だと納得してからは、私を隠す暗い会場に感謝した。


「冬香はどっちに似てるのかなぁ。貴方に似ていたら、頭が良くて冷静な子になるのかな? わたしに似ていたらお転婆になっちゃうかも」


 母は静かに、凛とした声でころころと笑う。

その裏で、父は声を殺して泣いているのがわかる。大きく鼻をすする音が時たま響くのだ。


「でも、でもさ。どっちに似ててもさ、冬香には元気でいてほしいな。

学校にいけなくても、仕事がうまくいかなくてもさ。ただ元気でいてくれたらそれでいいなあ。

もちろん、恋もするんだろうね。笑って、幸せになって、たまに泣いて。それでね、いつか冬香にとっていい人が現れたら、家にあいさつに来るんだ。

たぶん貴方は厳格な父! って感じで顔を合わせて。もしかしたら一回突っぱねちゃうかなあ? ふふ。それでも貴方はいい人だから、ちゃんと認めて、結婚式で大泣きするでしょうね」


 母は、いつか見た夢を語り続ける。

ひどく明るい、きれいな声で。


「ずっと隣にいてくれよ……。僕は、君がいないと……これからも、となりに……」

「たか君。この子のこと、お願いね」


 誰かが息をのんだ。

 ガラガラと扉が開く音がする。


「柊さん。手術の準備ができましたので、移動しましょう」

 看護師だろうか。やたらと無機質な、感情を殺したような声だ。


「かならず帰ってきてくれ、待ってるから……!」

「うん! いってくるね。愛してるよ」


 カチャカチャと硬い音が鳴る。

そして、「いきます」という掛け声の後、父のすすり泣く声が遠ざかっていった。


 しかしまた、誰かが静かに泣く声がする。


「ごめんね、たか君……。ごめんね、冬香……。私、わたし、死んじゃう……!」


 悲しみ、後悔、恐怖。

 胸が張り裂けそうになって、行き場のない衝動が全身を包む。

いますぐ思いゆくままに泣き叫びたい。胸を掻きむしって、この熱をどこかへ捨ておきたい。


 母の命か、私の命か。

父は最後まで、お母さんと生きたかった。

それでも、私が産まれて、私が生きている。

私がお母さんの命を使って、犠牲にして、糧にして、生贄にして。

望まれず産まれて、わたしは……。


 どうしようもないほどに涙が溢れる。

動悸がして、心臓が暴れまわって、過呼吸のようにゼェゼェと喉が鳴る。

口から押し出される吐息が熱い。

どうにかしたくて、想いを言葉で消費した。


「あ”ぁ”! 私が! 私がうまれなければ! みんな幸せに生きていけたじゃんか!!」


 泣いた。みっともないほどに。

ただ叫んだ。喉が裂けて、血が舌を踊ろうとも叫んだ。

なにかに包まれた感覚がしたけれど、それを気にする余裕はない。

ただ、自身を包む何かに縋った。

じゃないと、もう壊れてしまいそうだったから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る