第7話 ようこそ、フィルム屋へ

 開け放たれた先を見た私は、めまいがした。

こんなことなら、ドラゴンが空を飛んでいて、魔法が飛び交うような別世界のほうがまだ納得できる。

 私を歓迎してくれたのは、ゆとりをもって配置されたアンティーク調の机と椅子。そして、珈琲の香りだったのだ。


 入るところ間違えたぁぁ……。

羞恥と落胆で顔を覆う。


 私の決意はなんだったのだろうか。

そうぼやきながら店内を見回す。

すると、人がいることに気が付く。


 ここの店主だろうか。

カウンターに立って、本を片手に私を見ている初老の女性と目が合ったのだ。その、ずいぶんと不思議そうな目と。


 完全にカフェじゃん……。どうしよう。

そう思っていると、店主の口が開いた。


「いらっしゃいませ。ようこそ、フィルム屋へ。お好きな席へどうぞ」

老いた女性らしい、少ししわがれた柔らかい声だ。


 それを聞いて、心臓が跳ね上がった。

もちろん、急に話しかけられたことにも驚いたけれど、そうじゃない。

それ以上に、店主の言葉に驚いたのだ。

彼女はたしかに言った。ここが『フィルム屋だ』と。


 それでも、そう簡単には信じられなかった。

真実は、ここはフィルム屋という名前なだけのカフェで、高畑先輩もコレを見て「フィルム屋を見た」と舞い上がっているのだろう。

 さっさと帰ろう。そう思ったけれど、もう誤魔化しがきかないほどに疲れた足がじわじわと痛む。

 足が悲鳴を上げてるみたい。

なんてのんきに考えながら、どうせならちょっとでも休んでから帰ろうと思った。


 敷居を超えて、窓際の席に着く。すると、メニューらしき冊子を抱きかかえた店主が近づいてきた。


「いらっしゃいませ。こんな若いお客さんは久しぶりです。ゆっくりしていってください」

「ありがとうございます」


 メニューを流し見て、ホットのカフェラテを注文する。

それを聞いて、店主はひとつ頷くと、またカウンターへと戻っていった。

 小さな背中を眺めながら、ため息を吐く。


 なんでこんなことになってしまったんだろう。

変なうわさ話に淡い期待を抱いて、放課後に歩き疲れてカフェでお金を使って……。

 いつか聞いた、父の「若いころの一時間は、大人にとっての数年と同じ」というありがたいお言葉がいまさら響く。

スマホを見ると十九時と表示されていて、もうひとつため息を吐いた。


「こちら、ホットのカフェラテです。よろしければお砂糖もどうぞ」

 そう言って置かれたカフェラテが、カチャンと音を立てて机に置かれた。

「ありがとうございます……」

「どうしたんですか? 先ほどからよくため息をつかれてますけど……」


 心配です、と眉をハの字に曲げる店主は、ガラス玉のようにきれいな瞳で私を見つめた。

 どうしよう……。

 迷いながら、薄茶色の水を張るカップに角砂糖をふたつ入れる。

もう十七歳になるというのに、都市伝説を探していたら迷子になって困っているんです。なんて、言えるわけがないのだ。

恥はかきたくない。そして、少し考えたあとに名案を思い付いた。


「平針駅に行きたいんですけど、道に迷っちゃって。どう行けば駅に出れますか?」


 素直に、すべてを話す必要はないのだ。

店主は付近に住んでいるだろうし、帰るにもこれが一番確実だ。

 安心して、カフェラテに口をつける。

すると、温かいカフェラテと少し遅れてやってきた砂糖の甘さが全身に染み渡るようだった。不思議と、活力も湧いてくる。


 けれど、店主の答えは道を示すものではなかった。


「あらぁ……? どうしてここへ迷い込んでしまったのでしょう!」


 何故か明るく楽し気な声で両手を合わせる店主に、一滴の怒りが心をはねる。

 もしかして、フィルム屋を探していたことがバレたのだろうか。たしかに、同じ名前のお店をだしているのならば、間違えて入ってくる人間はそれなりにいるだろう。

だからこそ私が迷った理由がわかっていて、馬鹿にしているのだ。


 ああ、もういいや。もう二度とここには来ないだろうし、この店主に何を思われてもいいや。

 そう、いままでの鬱憤を晴らすように、語気を強めて言葉を紡ぐ。


「……都市伝説のフィルム屋を探していたんです! まあ、そんなものないなんてわかっていたんですけどね。友達が乗り気だったから来ただけで!」

 店主はさらに楽しそうな笑顔で答える。

「ここ、フィルム屋ですよ?」

「いや違くて、記憶をフィルムにできる『フィルム屋』っていう都市伝説があるんですよ。そんなことより、早く帰りたいので道を教えてもらえませんか?」


 自分で思っていた以上に、もう限界だったらしい。ここまで刺々しい自分に驚きつつも、今日一日を振り返って納得する。

何時間も歩き続けて、道に迷い、挙句ニセモノのフィルム屋でその店主におちょくられているのだ。仕方ない。


 黙っている店主が気になって、顔を見る。

彼女は、ニコォっと一番の笑顔を浮かべて立っているだけだった。

目が合うと、三日月のようにゆがめた口を静かに開いた。


「ですから、ここがフィルム屋なんですよ」

 顔が茹で上がりそうなほどの怒りが胸の中を暴れまわる。

「っ! いい加減にしてもらえますか!? もう帰ります!」


 財布から千円を一枚取り出して机に叩きつけるように置く。

その勢いのまま、鞄を握りしめて勢いよく立ち上がった。

 カップのなかに注がれたそれが波紋をつくる。同時に、カチャンと子気味のいい音が店内に響いた。


「おつりはいりません!」

そう言い放ち、立ち去ろうと体を翻した。

 その時だった。

「ですから、ここがそのフィルム屋です」


 途端に、足が石像のように固まった。

全ての音がなくなる。呼吸も、鼓動も、何もかも。

まるで、全てが死んでしまったみたいだった。


 呆然と立ち止まって振り返る。

そして、店主は微笑みながら姿勢を正した。


「記憶をフィルムにできるフィルム屋。それがこのお店です。

ふふっ。すみません、おふざけが過ぎましたね。


 改めて。

ようこそ、フィルム屋へ」

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