第6話 フィルム屋?

 魔が差した。

少し見て、すぐに帰るのなら大丈夫ではないか、と。

 及び腰になりながらも、木製扉の隣に置かれた『フィルム屋』の看板へ着々と近づく。

薄汚れた扉とは対照的に、まるで新品のような姿をした看板は圧倒的な存在感を放っていた。


 どうしてだろう、目が離せない。

困惑がふつふつと沸き上がり、思考を埋め尽くしていく。

それでもなお、目が離せない。

ただ怖かった。


 けれど、私にとって幻想でしかなかった『母』が目の前で待っているような気がする。そう思うと、やはり居ても立っても居られない。


 汗の滲んだ手のひらを丸めて拳を作る。

ごく、と生唾を呑んで、一歩を踏み出す。

 ドアノブに手をかける。

一度大きく深呼吸をして、いやに重苦しい扉を開けた。


 ギギィィィ……。

鈍い音が、静寂を極める住宅街へと響き渡る。ドキッと心臓が跳ね上がったけれど、もう後には引けない、とフィルム屋の中を覗き込んだ。

そしてまた、困惑した。


 薄汚れてどこか古臭い扉の先は、異常なほど清潔な廊下だったのだ。

隙間から夕陽が差し込んで、床に敷かれた赤いカーペットに私の影が大きくしみついている。

 洋風な廊下の先には、二枚開きの大きな扉がひとつあることがあるようだ。

それは上部に、フィルムを模したステンドグラスがはめ込まれており、値が付くのであれば数十万はくだらないと思えるオーラを持っている。


 雰囲気が一気に変わったからか、緊張しているからか。

この空間にとって、自分という存在が異物なことがよくわかる。

 足を踏み入れるのにはかなり躊躇した。けれど、私の足は止まらなかった。

十七年間、ずっと願っていたのだ。「まだ見ぬ母を知りたい」と。


 カーペットに足が沈む。二枚扉のドアノブを握りこむ。

そして、腕を引いた。

 もうどうにでもなれ。そう思って。

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