第3話 母親

 私にとっての母親。

それは、人生を生きづらくした張本人だった。


もともと身体が弱く体調を崩しがちだった母は、私を妊娠して五か月後に倒れてしまった。それから、二か月間は入院生活に尽力していた。と遠い目の父が教えてくれた。

それでも、神様も奇跡も何もかもが嘘だったらしい。


健闘虚しく母体が弱りきってしまったのだ。

『私か母』という、命の選択は唐突に表れた。

 父は、無慈悲な二択にただ焦るしかなかった。


 いまも愛する妻か、これから愛す娘か。

父がどちらを選択したかはわからない。わかりたくもない。

けれど、母の「絶対に産みたい」という強い意志を尊重して、お前が生まれたんだぞ。そう教えてくれた。


 十八年間生きてきた。社会の冷たさもそれなりに理解した。

それでも、たまに思う。

母親の愛とはどういうものなのだろう、と。


 祖母曰く

「尊敬できるもの」らしい。

 親友曰く

「たまに鬱陶しいもの」らしい。

 先生曰く

「自立して初めて気づくもの」らしい。


尊敬出来て、たまに鬱陶しくて、自立しないと気づけないもの。

 わけがわからない。

 それでも。いや、だからこそ。今日、この目で確かめようと思う。



 ゴトンゴトン、と重い振動が身体を揺らす。

それは揺り篭のようにも思えて、途端に眠気に襲われた。きっと、気づかないうちに疲れていたのだろう。

 もういっそ、このまま眠ってしまおうか。

まどろみの誘いに身をゆだねかけた。その時だった。


「まもなく、平針、平針。お出口は左側です。運転免許試験場方面は、ここでお降りください」

 疲労が充満する車内に、淡々とした、女性の合成音声が控えめに響いたのだ。


 ああ、着いちゃった。

ため息をひとつ吐いて、立ち上がる準備をする。一度眠りかけた身体はあまりにも重い。

 それでも、ついに来た。フィルム屋があるとされる街まで来た。来てしまった。

これから未知との遭遇をする。そう思うだけで、肩の筋肉が強張るのがわかる。

けれど、どこかワクワクしている自分がいるのもまた事実だ。


 プシュゥゥ、と空気が抜けるような音を合図に扉が開く。

 ああ、待っててね。

少し震える右手を握りこむ。席を立つ。一歩を確かめるように、慎重に歩く。


 電車を降りて、平針の地を踏みしめた。

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