なぜか「微推し」が家にいたので、とりあえず手料理振る舞ってみた⑤

「今から犬の散歩行くけど来る?」

「来る来るー! あ、でも時間」

「そんなに遅くならないから大丈夫だよ」

「じゃあ行く!」

「オッケー。玄関で待っててくれる?」

「はーい」


 藍果は手を上げて返事をすると、たたたと階段を降りていった。

 私はリードと餌その他諸々を持ってリビングに向かった。


「犬ー! 今から散歩だぞー! よかったなー!」

「ウ~……」


 藍果がリビングで犬のシンタに話しかけていた。

 藍果を初めて見た時、シンタは不審者だと思ったようで狂ったように吠えていたけど落ち着いてくれてよかった。

 とはいえまだ警戒はしているようだけど。


「夕飯までには帰ってくるから」

「はいはい。気を付けてくるのよ」

「アハハ、上松子供みたいだなー」

「うるせえ」


 母親に子供みたいな心配をされ、藍果にそれを茶化されつつ私はシンタにリードをつけるのだった。





「結構田舎だなあ」

「そういう時は趣があるって言うんだよ。まあ田舎なのに変わりはないけど」


 私の実家は山の麓にあり、町に降りるには三十分くらい歩かねばならない。

 周りは山ばっかりってわけではなく、普通に住宅街なのだが家を出て少しも歩いたら山が見えるし、町にはヤンキーが多いし、スーパーと言えば万代かイオンだし、これでもかと言うほど田舎の条件が揃っていて田舎だと言われたらぐうの音も出ない。

 『TEKITOKI』の事務所は東京にあるので、グループの活動ももちろん東京メインとなる。

 東京の街に慣れ親しんだ藍果からしたらかなりの田舎に映るのだろう。

 あれ、そう言えば藍果の出身ってどこだっけ。まあいいか。


「山まで行くから」

「ええ……」

「ほんの少し歩くだけだよ」

「藍果山きらーい」

「そうなの?」

「なんか地味だし……」

「地味とかそういう次元の話じゃないんだよ。シンタは山が一番嬉しいんだから」

「でもでもー、疲れそうだし」

「ああもううるさい。運動しろ運動」

「上松厳しいー」

「大体、いつもダンスしてるんだからこれくらいなんでもないでしょ」

「それとこれとは別だよぅ」

「じゃあほら、山登りしたらいいこといっぱいあるよ。健康になるし、気持ちもリフレッシュされてネガティブなこと考えなくて済むし」

「藍果ポジティブだもん! それにまだ健康とか考える歳じゃないよ」

「まあ確かにね。ていうかなんだかんだ言いつつついてくるよね。本当に嫌なら帰ってもいいんだよ」

「それもそれでめんどくさい」

「どういう理論なんだよ……」

「もうサクッとその辺歩いてすぐ帰ろ」

「あのねえ、うちらじゃなくてシンタの散歩なんだから」

「毎日散歩するの?」

「まあ、そうかな。時間と体力に余裕があれば」

「ええすごい。藍果は一回だけでいいや」

「さいでっか」


 まだ歩き始めて数分だというのに、どっと疲れが出た。

 やっぱり藍果と共同生活はできそうにない。




「そろそろ帰ろうか。時間的にちょうどいい感じなんじゃない」

「そだねー」

「楽しかった?」

「まあまあかな」

「まあまあでいいのよまあまあで」


 太陽が沈み、空が茜色に染まり出す。

 私たちは夕日を受けながら、坂を下った。

 いつもは一時間くらい歩くのでシンタは物足りなさそうだったけれど、ぐずらずお利口にしててくれたので助かった。


「あ、もう着いたって!」

「あら、ちょうどいいじゃん」

「やっと帰れるよー。帰ったらチョコパフェ食べたい」

「どうぞお好きに」

「むう」

「どうした?」

「なんでもなーい」

「ん?」


 なんか藍果がむくれている。

 何か気にさわるようなこと言ったっけ。

 私のその疑問は、すぐに次の話題によって打ち消された。


「上松って在宅オタク?」

「流石に在宅だよ。できれば現地に行きたいんだけどね」

「そうかあ」

「なに?」

「ライブの時の藍果が一番可愛いんだよ」

「はあ」

「だから一回くらい現地来ればいいのに」

「暁美ちゃんにそれ言われたら行くかな」

「ライブの暁美もいいぞ~」

「それは十二分に分かってる」

「もし来たら、特別にファンサしてあげる!」

「へえ、どんなの?」

「チェキで激レアポーズ撮ってやんよ!」

「おお……」

「だから来て!」

「バカみたいに交通費かかっちゃう」

「それは困るなあ」

「でしょ?」

「でも藍果が暁美だったら来るんでしょ?」

「もちろん」

「藍果も推せよ~」

「善処します」

「お、大人の対応だー!」

「そうなるね」

「アイドルと半日一緒に過ごして推さない選択とかあるのかよー」

「別に推してないわけじゃないよ。あんまり推してないだけで」


 藍果は納得いってなさそうだったけど、これが私の正直な気持ちなのだからしかたがない。

 藍果は嫌いじゃない。むしろ好きな方だ。でもそれは暁美ちゃんに向けるような感情とは絶対的に違うし、そうなることもおそらく……多分……ないだろう。

 でも、藍果も言ったように半日一緒に過ごして基本的にいい子だということは分かったし(ていうかYouTubeで観る木戸藍果そのまんま)、これを機にもう少し推してみてもいいかなと密かに思った。






 藍果が帰って数日後。あんなことがあっても何かが変わるわけではなく、あの出来事が嘘であったかのような代わり映えのない日々の中に私はいた。

 今日は友達と遊ぶ予定があるので電車を乗り継いで少し遠くの街まで来ている。


『着いたー』

『オッケー。もうすぐ着くから改札で待っててくれる?』

『はいよー』


 電車を降りて、改札で友達の姿を探すとすぐに見つかった。

 私の姿に気づいた友達が手を振ってくれたので、それに応える。

 改札を抜けて友達の前まで駆け寄る。


「久しぶりー! 元気だった?」

「え? うん。ていうか愛名……なにそのシャツ?」

「え? なにが?」


 友達に言われて自分のシャツを見た私は唖然とした。

 そこには、サインペンでデカデカと藍果のサインが書かれていたのだ。

 いつの間に書いた!?


「……なにこれ!?」

「それってアイドルのサインだよね? 愛名まながそういうのに興味あるのは知ってるけど、流石にそのシャツは……」

「あ、いやっ! こ、これは……」


 どうしよう、友達が明らかに引いている。

 そりゃそうだ。普通の人はこんなやつと並んで歩きたくないだろう。


「……木戸藍果ゆるさねー!!」


 人々が行き交う昼間の駅前に、私の雄叫びが木霊した。






 これにて完結です。

 後日談あり。

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