第3話

高井駅の夜中のホーム、人は全くいなかった。

今から走れば、学校まで10分くらいでいけるだろうか。

さっきからずっとフワフワしている。

ただぼぅっと今日起きたことや、本気で死のうと思ったことや、そんなことがずっと頭の中を反芻していた。

あの後、ここまでどうきたのかあまり覚えていないし、ほぼ無意識的にここまできたのだ。

ただ、今やるべき事は確かにわかっていた。

何もしなければ、何も変わらない。

走った。

学校までの道をただ走った。

平凡な人生、何もない人生を終わらせるために。

僕一人じゃ無理だけど、どうやら親友もいるらしい。

この先の事を考えるのはもうやめた。

どっちにしろ最悪な結末なら、面白い方を選んだほうがいいと思えた。

良い事も悪い事もある人生なら、とびきり悪い事が起きた人生は、その方がいいとおもえた。

僕が今まで、青臭くて汚くて泥臭くていつも傍からバカにしていたものの正体は、なんだ。

どうしてもクラスに馴染む事はできなかった。

どうしても彼等と笑う事はできなかった。

でも本来はそうしたかった。


これから僕も共犯になる。

これが僕の青春と言うならまた笑われるけど、そんな事はどうでも良かった。

横切る人の視線を感じる。

もう関係ない。

酸素が足りなくて口を大きく開ける。汗が目に入って染みて痛い。

心臓がバクバクして倒れそうだ。

汚い。臭い。ダサい。クソ。キモイ。ふざけんな。死ね。うざい。めんどう。だるい。嫌い。馬鹿。殺すぞ。壊す。いらない。くれ。カス。くたばれ。殴る。

僕はただ走った。

そうしてやっと学校についた。

校門前の扉は重々しく閉まっている。

この先に彼女がいる事は、確信していた。

横のフェンスを飛び越えて、校内に入って校庭裏のテニスコートに急ぐ。

誰もいない静まり返った学校はどこか落ち着く。

2階の2年4組の教室を見た。

カーテンが閉まっていて中の様子が確認できないけど、彼女はきっとそこにいる。

校内裏のテニスコート。半開きになったドアはさっき誰かが入った証である。

土足のまま侵入して階段を駆け上る。そのまま4組の教室まで走った。


勢いのまま、乱暴にドアを開けた。

彼女は、いた。

今から始めようとしたのか、彼女の横のバケツに並々に入っている青色が見えた。

バケツ横には教室掃除用のモップがある。

カーテンから漏れる月光は、教室を薄明りに照らしていた。

彼女はさっきまでの制服姿だった。

僕を見て、驚いている。

僕はその顔が面白くて笑ってしまった。

「なんで」

「僕もしたくなった」

「立石君も共犯になっちゃう」

「それでもいいよ。このクラス嫌いだし」

「どうやって教室に入ったの?」

「椎木と同じ手段で入った」

「テニスコート?」

「正解」

彼女はまだ驚いていた。

「さっきの駅、椎木は何を感じた?」

「めちゃくちゃ怖かった」

「僕も」

「でも結果あいつらに勝てばいいと思ったから、私は逃げた」

「それは、正解だと思うよ」

「立石君は笑ってたけど本当にごめん。私のせいだ」

「いいよ。三屋ぶっ殺すチャンスになった」

「…仲良くないの?」

「実は、めちゃくちゃ陰でいじめられてた」

「そんな事言わなかったじゃん」

「言ったらダサいでしょ」

僕らはお互いを確認するように話した。

「本当に立石君もやるの?」

「やる」

「ほんとにいいの?」

「そっちが計画してたのに今更ビビってるの」

「私はもういいの。立石君は…」

「僕も戦うって決めたんだ」

椎木は僕をジッと見た。

僕も椎木をジッと見た。

数秒後、椎木の口元が緩んだ。

「じゃあ始めよっか」

やっと彼女は僕を受け入れてくれた。

「まず、お手本見してよ」

「…わかった。見てて、こうやってしてやるの!」

彼女はバケツの中にモップを突っ込み、その勢いのまま宙へ振り回した。

「ちょっと青ペンキ制服につくんだけど」

「この際ぐちゃぐちゃになっても良くない?」

「それもそうだ」

僕も掃除用具入れからモップを取り出し、勢いのままバケツに突っ込み宙を青で染める。

ベちゃっベちゃっと青色が机や椅子に飛び散る。

その様子で僕らは笑った。また壁や黒板を青で塗りつぶしていく。

「これペンキ足りるかな?」

「そこのトートバッグにまだペンキ入ってるよ」

「やるね」

僕らはどんどん教室を青色に塗っていく。

「おらおらおら」

彼女はふざけた声を出して、モップについた青を振り回しながら教室を駆け回る。

「立石君もほら」

彼女の顔は沢山の青色の点々がついていた。

思い切って僕もふざけた声を出しながら、教室を駆け回って青色を宙に散らした。

「おらおらおらあ」

「ハハハ、最高」

教室はどんどん青色に染まっていく。

楽しい。

なんだか気持ちいい。

今、確実に自分の人生では起きなかった青春をしている。

彼女は僕が手を留めてる間にも、どんどんモップで教室を青色に塗っていっている。


そういえば、ふと気になったことを彼女に質問した。

「そういえばさ」

「何?」

「なんで青色なの?」

「逆になんでだと思う?」

「…綺麗な色だから」

「半分正解、半分不正解!」

「どういうこと?」

「青色って色々な色でしょ」

「うん」

「空とか水とか、立石君のバッグも青色だったでしょ」

「それも関係あるの?」

「関係あるよ。あと他にさ、涙だって青じゃん」

「うん」

「つまり私が泣いた分、思い知れってことだよ」

「あんまり意味がわからないけど」

「ハハハ。綺麗だけど、残酷でしょ?」


「天井も青にしちゃおうよ」

「どうやって?」

「机に登っちゃえ」

彼女は靴を脱いで裸足になって、誰かもわからない机に乗って天井を青色に塗り始めた。

僕も面白くなって、カーテンを開けて窓を青色に塗る。

「これでもう後戻りはできないね」

彼女は天井を塗りながら笑ってそう言った。

「僕さ、最近窓際席じゃなくなったんだ」

「うっわ。それは最悪」

「今日の席替えで三屋たちが窓際席になったんだ」

「もっと最悪じゃん」

「だからあいつらがいつでも空を見れるもっと最高な特等席にしてやるために、窓を青色で塗ろうと思って」

「ナイスアイデア!」

「梅雨終わりで窓際席になったラッキーな三屋への、僕からのプレゼントだ」

「何それ、ハハハ。気合入ってるね」

ただこの教室を青色で染めることだけを目的にして僕らは動き続けた。

とても気持ちいい。

この瞬間がとても楽しい。

遠くの道を走る車に見せつけてやるように、僕は窓を青色に塗る。

「掲示板も明日の予定も全部塗っちゃえ」

彼女はタッと机から駆け降りて、掲示板を塗り始めた。

「さぁ、どんどん行くぞ!」


今は一体何時なのだろうか。

教室の時計はもう青色になって見えなくなっていた。

スマホを出すのもなんだか億劫だ。

僕は息を荒くして、満足したように教室を眺めた。

教室は床から壁や窓や天井や黒板まで、ほぼ青色になった。

僕も彼女の制服も青色になってぐちゃぐちゃだ。

彼女の頬や髪も、初めよりだいぶ増して青色になっていた。

「立石君、顔に青色ついてるよ」

「君だって」

「私の可愛い顔が…どこについてる?」

「鏡ないから教えられない」

「いじわる」

「はは」

「ずいぶんやったよね」

「僕達の勝ちだ」

「そうだね」

彼女と僕は顔を見合わせる。

彼女とは、本当に友達を超え親友になれた気がした。

「明日、どうなるんだろうね」

「私はどうなってもいいよ」

「僕も」

「あーあスッキリした」

彼女は満足そうに教室全体を見渡した。

「じゃあ最後ね」

窓際席に駆けていく彼女。3つの青色まみれになった机を指さして言った。

「駅で三屋と一緒にいた女子の席ってこの3つだったりする?」

「うん、そうだけど」


急に、ガンっと音がして彼女が3つの机を蹴り転がし始めた。

「え?ちょっと、どうしたの」

言葉に詰まった僕の横で、彼女は泣いていた。

「ふざけるな!お前らのせいで!バーカ!死ね!なんで私がいじめられなくちゃいけないんだ!お前らが学校来るなよ!」

ガシャン!ガシャン!と教室に響く机と椅子のけたたましい音。

僕はただ黙ってその様子を見ることしかできなかった。

「ほら!なんか言えよ!お前らが私を壊したんだ!でもお前らの負けだ!どんな気持ちだよ!なぁ!」

「くそ!バーカ!もう本当にさ!もう本当に!もうやめてよ…。もうなんなんだよ!ああ!あああああああ」

「ああああああああああああああああああ」

暴言は学校中に響き、彼女はその場で泣き崩れた。

かける言葉なんて見つからなかった。

僕はただずっと彼女が収まるのを待っていた。


何分か立って、彼女はやっと泣き終わったのか僕に顔を向ける。

とても悔しそうで満足した顔だった。

一応、良かった。

彼女はそのままトートバッグを漁りだした。

着替えでも持ってきているのだろうか。

「自分だけ着替え持ってきているのはずるいよ」

「ハハハ」

「僕はこのまま電車に乗らなくちゃいけないんだけど」

「ハハハ」

彼女はただ声だけを出して笑っているようにしていた。

彼女がバッグから取り出したものはロープだった。

「立石君、ありがとね」

彼女は笑ってそう言うと、急にロープを掲示板にかかるハンガーラックにかけた。

「ちょっと何してるの?」

「死ぬの」

「は?」

ちょっと待て。意味がわからない

「冗談でしょ?」

「冗談に見える?」

「おかしいよ。今まで楽しかったじゃん」

「楽しかったね」

「じゃあなんで」

「これが終わったら死ぬって決めてたの」

「ちょっと待ってよ。急すぎるって」

「見たくなかったら出て行っていいよ」

「ちょっと待ってって」

「見る?絶対グロいしお勧めしないよ」

「ちょっと待って」

「痛くなければいいな」

「ちょっと待ってよ!」

「じゃあね」

「ちょっと待ってってば!!」

自分でもびっくりすような大きな声が出た。

「何、やめてよ急に大声出すの!」

「ごめん」

彼女は、ロープの輪っかを手に取って持ち上げた。

「そんなの、負けじゃん」

「何が?」

「死んだら負けだよ」

「立石君はいいよね、こんな思いしたことないでしょ」

「あるよ」

「嘘つけ」

「あるって」

「嘘だよ」

「ある」

「嘘つくな!!君はあいつらが来た時だって、へらへら笑ってたじゃん!」

「うん」

彼女の声に、一層怒りを増したのがわかった。

「ほら、いい加減にしてよ。いい加減にして!!」

「…」

「もういいの私は。最後まで悲しくなって終わりたくないんだよ」

「…」

「こんなはずじゃなかったのに。最悪…君ならわかってくれるって思ってたのに」

大粒の涙が彼女の目から溢れては、こぼれ落ちていた。

「僕は、さっき電車に飛び込もうとした」

「だから何?」

「情けなくて死のうと思った」

「死ねば良かったじゃん」

笑いながら、目にいっぱいの涙を浮かべて彼女は言った。

「でもそれだと負けだから。君の言葉を見てやめたんだ」

「もういいから、そういうの」

「とりあえず生きてみようよ」

「まだ言うの?」

「僕は生きることにしたから」

「君と私は違う」

「苦しみなら僕だって知ってる」

「知ってるなら尚更その苦しみに耐えられない私の気持ち、わかるよね?」

「でも今は耐えるしかない。嫌なら逃げ出してもいいって君から教えてもらったし」

「逃げ出したとして、この先の苦しみはどうなるの?」

「耐えるしかない」

「それが嫌なんだよ」

「僕も嫌だ」

「君はさっきから何を言ってるの?」

「でもそれに耐えて耐えて、逃げて逃げまくって、たまにくる楽しい事のために生きる事って不正解なのかな」

「私はそんなの耐えられない」

「なら親友に話してよ」

「話せないから苦しいんだよ」

「でも話して」

「君の知らない私の家のことでも?」

「好きなだけ聞かせて」

「解決なんてしないいじめの記憶のことも?」

「全部だよ」

「私がこれから誰にも言えないくらいの、本当にやばいことやっても?」

「全部全部、いくらだって聞いてやる」

「…なにそれ」

「…あ、でも本当にやばいことだったらちょっと考える」

一瞬、ふふって彼女が吹き出しのがわかった。

「あぁもう最悪。死ぬ気失せた」

彼女はロープをゴミ箱に投げ捨てた。

「泣いていい?」

「いいよ」

次の瞬間、ワッと声を出して彼女は泣いた。

泣き声は学校中に響き続けた。

僕はまた、それが収まるのを待った。



「最悪だよ君」

「お互い様でしょ」

「私本当は、全然いい人じゃないから。演技してたの。今まで」

「やるね」

「ハハハ」

泣きはらした顔で笑いながら、彼女は言った。

「帰ろうか」


お互いペンキまみれになった制服で高井駅に向かった。

「モップとかバケツとか、掃除用具入れに片付けないで良かったの?」

「もういいよ。立つ鳥後を濁しまくるってやつ」

「そんなことわざないよ」

僕らは互いに笑った。

「私さ、これ終わったら本気で死ぬつもりだったんだよね。だからノート開くたびにあいつらのこと思い出しちゃったり、あぁこれで死ぬんだって思ったりして怖かったんだ」

「いっつも椎木の言動は急展開だよね」

「ハハハ。ごめんね」


「けどさ、悟と出会って色々話して、クラスの中でも私と同じ思い抱えていた人いたんだなってわかって。それに死んじゃったら戦いに負けたことになるしね」

「当たり前だよ。というか悟って呼んだ?」

「あ、気づいた?」

「せめて悟君呼びからじゃない?」

「ハハハ」

駅が見えてきた。

「明日なんだけどさ」

「絶対騒ぎになるだろうね」

「うん。だけど全部私がやったってことにするから」

「え、なんでよ」

「朝、学校に電話をかける。私が全部やりましたって」

彼女は僕にはにかんだ。

「悟はこれからの学校生活があるでしょ。私はもう何もないし。だから君は今回の件何にも関係なかったってこと」

「でも…」

「私からの最後のお願い。バイトの件は学校には言わないからさ」

「まだそれ使ってるじゃん」

駅の電光掲示板横の時計は23時10分。

10分後に終電だった。

「次の電車で終電?」

「うん」

「悟が私に、何があっても話してって言ってくれたこと、めちゃくちゃ嬉しかった。ありがとう」

「あれ本心だからね」

「うん。だから本当に辛い時、また死にたいって思った時は、その時は悟にまたラインするけどいい?」

「わかった。…ウサギのスタンプはもうやめてね」

「なんでよ、あれかわいいじゃん!」

「さすがに使いすぎだよ」

「そうかなぁ」

もう、行かなければ。

「…ねぇ、悟」

「なに」

「明日からまた学校、頑張れそう?」

「そりゃ頑張るしかないよ」

「だよね」

「…椎木だってもう学校来ちゃえばいいよ。こんな事したんだから怖いものなんてないよ」

僕は冗談めかして言った。

「ハハハ。私はこんな事してもやっぱりまだ学校行ける気持ちじゃないや」

彼女は寂しげな目をしていた。

少しむかついた。

「そうやってほら。また気取ってない?」

「はぁ?だから演技って言ってよ」

彼女と僕は笑った。

「じゃあ、これで」

「短い間だったけど今日の事は一生忘れない。ありがとう」

彼女は思いっきり手を降ってきた。

僕は階段を降りながら、思いっきり手を振りかえしてやった。


下駄箱から靴を取って階段を登る。

深呼吸をして、一回息を整える。

制服は親にバレないよう、昨日帰った後急いで風呂で洗って、ドライヤーで乾かした。

完全には落としきれなかったが、目立つ程度にはついていない。

学校の騒ぎは門をくぐった後からひしひし感じた。

2年4組の教室付近は、多くの生徒で賑わってた。

スマホで時刻を確認する。8時20分。人々の雑音を振り切り、人の網をくぐりぬけ4組の教室に向かう。

「なにこれ」

「誰がやったんだよ」

「窓際の席が転がってるらしいけど、事件か?」

人々の狭間から窓越しに教室を見れば、昨日のまま青色ペンキではちゃめちゃになっていた。

それだけ確認して僕は職員室に走った。

昨日のことを思い出す。

僕らの戦いを思い出した。

職員室は、沢山の教師があたふたして忙しそうだった。

「すみません」

誰も聞いてくれない。スルーされる。

「お伝えしたいことがあるんですけど」

すぐそこにいた吉村が気づいて、こっちを見た。

「なんだよ。今先生たちみんな忙しいんだけど。要件は?」

「2年4組の教室の件についてです」

教師たちの視線が一斉に僕に集まった。

一瞬職員室が静寂となる。

「何か知っているのか?」

「僕もやりました」

「も、とは?」

「椎木なつみと、です」

職員室が一斉にざわざわし始めた。

「椎木なつみから今朝、電話かかってきましたか?」

「立石、お前何か関係しているのか?」

奥の方で加藤の大きな声がした。見ればくたびれた表情をしている。怒りが込められた声色だった。

「関係してます」

「詳しく聞かせてもらう」

早急に職員室に通された。

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