第2話


「席まじで最高なんだけど」

「今日カラオケいかね?」

「そしたら女子も誘っていこう」

「てか今日の吉村やばくなかった?」

「この後、自販行ってから部活行こうぜ」

「まじで疲れた」

「加藤早くこいよ」

教室に溢れかえるこの会話の雑音ですら、心臓の鼓動が早くなり動悸が激しくなって、落ち込む。

今日の席替えで、僕は前列になった。

窓際席はついに失い、一日中沢山の視覚を背中に浴びて、授業を受けた。

そして本日7月14日は、先週だが天気予報士が言っていた通り梅雨明けの晴れとなった。

かつての僕の窓際席の1つ後ろが三屋の席となり、周りの席はよく三屋と絡んでいる女子が囲むような形になっていた。

今日、3限の世界史が急に変更になって自習の時間になった時に、三屋らが僕に対して小言で何か言っているのが聞こえた。それでなんとなく、ニタニタしていたのがわかった。

昼休み、気にしないようにしてもやっぱり気にしてしまうから、聞こえてきたワードをネットで検索すると、それはどうやら醜い容姿をしたゴブリンの名前だった。

それを見てまた動悸が激しくなり、結局弁当を食べることなどできなかった。

「はい、すみません遅くなりました」

加藤が教室に入ってきた。

「じゃあ今日席替えだったけど、あんまり騒がないように。明日の授業変更とかの連絡事項は特になし。25日に終業式やって、それから夏休みだからな。勉強もそろそろ力入れてけよ。はいじゃあさようなら」

今日もやっと、学校が終わった。

毎度の事ながら、他クラスの生徒がまた一気に教室に入ってくる。

急いで持ち上げたナイキのバッグは、教科書の他に手をつけられなかった弁当の重みもあった。

一番に教室を出て階段を降り、外に出た。

でも、今日はこのままバイトをして家に帰ることはできない。

バイト後、椎木なつみの家に向かう。

先週のあの時、駅までの帰り道に、彼女から来週のバイトのことについて聞かれた。

嘘を言ってまた事態がめんどうくさくなるのは嫌だったから、正直にシフトについて教えた。

その後はあまり話すこともなく、駅に着いて普通に解散となった。

するとその日の深夜に、彼女からラインがきた。

「1週間後の木曜のバイト終わりに私んち来て!5階ね!」

これとともに、彼女のうちであろう場所にピンが刺されたGoogleマップがラインに送られてきた。

正直たじろいだ。人の家に上がった事は中学の時にクラスメイトの家にゲームをしに行ったぐらいだ。さらに一応女子の家に上がったことは生きてきて初めてだ。

というか今週の木曜日はまたバイト後であったため、「木曜日以外は?」と送った。3分後ぐらいに「できれば木曜がいい」ときた。

仕方がないからこれには妥協したが、場所の変更はするべきだと思ったから、「場所は前の公園とかにしない?」と返した。

女子の家、ましてや不登校の人の家に行くなんてなんというか色々抵抗がある。

だから緊張感と不安感で携帯をずっと眺めてた。

数分後に「公園寒いじゃん」ときた。

随分適当に返されたもんだ。夏の夜、寒いという事は絶対にない。何故か僕を自分の家に入れたい他の理由があるのかもしれないと思った。

あえてそこから5、6分置いて「終電があるから家はちょっと厳しいかも」と送った。そのまま既読がついたから少し驚いた。10秒くらいたって「終電までには、帰れるから大丈夫!」と、親指をグーサインした例のウサギのスタンプが返ってきた。

ということで、全ての条件を飲み込んだ僕は、彼女の家に行くこととなった。

母親には、今日はバイトで帰りは遅くなる、と嘘をついてきた。


今日でこの妙な関係性も終わりにする。流石にこれ以上彼女に振り回されるのは御免である。

そんなことを考えながら、高井駅についた。

電光掲示板横の時計は15時50分を指す。

Googleマップを見て彼女の家の位置を確認すれば、どうやら先週行った西谷駅の近くにそのピンが刺さっていた。

だからあの公園によく行くとかなんとか言っていたのか。

改札を抜けホームで電車を待った。

心なしか電車を待つ人々の顔はどこかいつもよりも晴れやかな気がした。

今日やっと、梅雨が明けたからだろうか。

彼らに反比例するように僕の気持ちは暗い。窓際席を失ったあげく、そこには三屋らが座っていて全く晴れやかではない。

「間もなく、2番線ホームに各駅停車…」

僕だけがホームにいる異物質みたいな、そんな気持ちだった。



スマホで時刻を確認すれば、20時50分だった。

今日のバイトはいつもより終わるのが遅かった。

というのも帰り際、私服に着替えタイムカードを切ろうとしたまさにその時、僕を嫌ってくるパートのおばさんに作業台の不始末を指摘され、それをやるためもう一度着替え、やり直したためである。

なんとなくバイトをいい加減にやっていたフシは、正直ある。

多分あのおばさんは僕みたいな人を許せない人なのだと思う。でも僕は学生だしそもそもバイトにクオリティを求めるのもおかしい話だ。

ただ、所詮バイトでもお金を貰っているから当然責任があるわけだし、そこを指摘されれば何も言い返せなかった。

…とりあえず疲れたが、行くしかない。

例の高揚感と足取りの重さだけがずっと反比例しながら、階段を登り外に出た。

西谷駅は相変らず閑散としていた。

昨日の雨が、どことなくしみ込んだアスファルトの匂いがした。

今日はバスを待つサラリーマンの列は見えない。

マップで彼女の家を確認する。

ここをまっすぐ行って、どうやら少しだけ歩くみたいだ。

地図をチラチラ見ながら、先週見た、ツタが好き放題伸びている家を抜ける。

この家、本当に人は住んでいるのだろうか。もう一回ちらっと見ても、人の気配はなかった。車もないみたいだし、空き家なのかもしれない。

地図と睨めっこをしながら歩き進めると、どうやら向かいの信号機を右に抜けたところが彼女の家みたいだった。


向かいの信号機を右に抜け、灰色や薄赤色のアパートがポツンポツンと広がる場所にきた。

各アパートの駐車場と駐輪所を横目に、1号と描かれたアパートについた。

ピンはまさに僕の目の前を指している。

マップには502と書かれて、側から見れば、それは最上階であることがわかった。

エレベーターはないから、階段で行く。

息が切れる、苦しい。

だいぶ体力が落ちている。

…中学の時は陸上部に所属していたためそれなりに体力はあった。部活だって自分なりに頑張った。しかし、代表選手には1度も選ばれることはなく、3年の最後の陸上大会では結局補欠として、後輩の代表選手のサポートに回った。2年近くまともにスポーツをやっていないと、階段を登る事さえキツくなる。

そうして、やっと5階についた。

向かい合うドアが2つあり、一方の表札には502、三上と書かれていた。

おかしい。逆側を見ても、表札は鳥谷と書かれて、椎木の文字が見つからない。

どういうことだ、間違ったのかもしれない。

しかしマップを確認しても確かにこの場所であっていた。

仕方がないから、三上と書かれた表札のインターフォンを鳴らした。

少し緊張する。

…応答がない。

いきなりガチャっという音がした。

「あれ、遅くない?」

ドアノブを掴んだ姿勢で彼女はこっちを見ながら笑っている。

ここで、合っていたようだ。

二重瞼の大きな目が吸い込むように僕を見た。

「一応バイトが長引いて」

「そっか、お疲れ様。ようこそ我が家へ」

「…お邪魔します」

「ちょっとリビングは散らかってて恥ずかしいから見ないでね」

「曲がって右!私の部屋にいて。適当に座ってて。お茶とお菓子持ってくる」

まさにアパートといった、こじんまりした閉塞感。

中学の時、クラスメイトの家に行って感じたその家独特の匂いを久しぶりに思い出した。彼女の家もまた、独特の匂いがする。若干香水の匂いが強いような、そんな感じ。

横の茶色の靴箱の上には、大きな鍵輪や、スマホの充電器や柔軟剤が乱雑に置いてあり、スノードームの置物か何かが飾ってあったりする。

「入っていいんだよね?」

近所に配慮しながらも、少し大きな声を出して、向こうにいる彼女に確認した。

リビングは、一応見るなと言われたから目線は伏して聞いた。

奥の方から、いいよー、と聞こえた。

失礼します、と一人でに呟きドアを空けた。

6畳ぐらいの彼女の部屋は、思ったよりも広かった。

木材の小さな丸テーブルを中心に、右には、おそらく小学生の時から使っているであろう勉強机があり、その上には、サボテンの観葉植物が置いてある。左のベッドは部屋の割合を大きく占めていて、横の戸棚には教科書やら本がそれなりに置いてあった。

統一感があってなんというか、普通に綺麗だった。

行ったこともないけど、なんとなく割と女子の部屋っぽい。

うさぎのキャラクターがデザインされたカーペットに腰を下ろす。

「お待たせー」

彼女は丸い木のトレイにジュース2つと、ポテトチップスやチョコなどが盛り付けられている大きな皿を持ちやってきた。

好きに食べていいよ、と言い、テーブルを挟んで僕の前に座る。

「どう、案外女子の部屋って思ったでしょ?」

「うん、まぁ」

「ククク、掃除した甲斐があった」

彼女はいたずらに笑っていてどこか嬉しそうだった。

ポテトチップスを何枚かとって、全然遠慮しないで、と言ってパリパリ食べている。

「これコーラだけど、炭酸いける?」

「一応大丈夫」

「良かった。じゃあ学校のことなんだけど」

さっそく本題に入った。

「私がさ、不登校になった時期っていつら辺か覚えてる?」

「大体…去年の10月あたりとか」

「惜しい。文化祭の時にはいないから9月の中旬」

「あぁそっか」

「でさ、去年の文化祭はずばりどんな感じだった?出し物とか何やった?」

「…出し物はお化け屋敷をやった」

「ほー!結局お化け屋敷になったんだ!色々何やるか9月あたりからクラスで話していたからさ!」

そっかぁ、いいなぁと、彼女は呟くように言った。

「あ、これは関係ないけどさ。表札見て私の家、迷わなかった?」

「少し迷ったけど」

「だよね。もうなんとなくわかったと思うけど、うちの親離婚してるの」

彼女は軽い感じでそう言った。何となく重い雰囲気にしないように努めている気はした。

「ああ、そうなんだ」

僕も一応、可にも不可にもつかない答え方をした。

「そう。だからさ、今はお母さんと二人暮らしなの。お父さんは今どこにいるかわからないんだよね」

淡々と話す彼女に悲しさや憂いみたいなものは一切感じなかった。

「だから今は、お母さんの方の名前を使ってるの。名前が二つあるって何か変な感じなんだよね」

彼女は笑って、コーラを飲んだ。今度はチョコを取って包み紙を空けている。

「ほら全然食べてよ!私一人でこの量は無理だって」

ほれほれ、と言ってポテトチップスを1枚取って手渡ししてきた。

無言で彼女の手からポテトチップスを受け取り口に運んだ。

「あの、お母さんは今リビングにいるの?」

さっきから気になっていた質問をした。いるとなれば、僕が帰る時間やこれ以降の対応などに支障が出るからだ。

「今は家にいないよ。どうせ帰り遅いだろうし」

「なんだ、良かった」

「ん?良かったってどういう意味?」

彼女はにやにや笑いながら、ふざけた調子できゃーと言って、身体を手で隠すようなポーズをしてきた。

「いやそういうのじゃないから」

「ふーん、本当かな」

こうやって前回も、彼女のペースに持っていかれたのを思い出して、冷静を装った。

「というか、ここまで来る途中でツタの生えまくった家あったでしょ?」

「うん」

「あの家の人とさ、うちのお母さん付き合ってるの」

「え、そうなの」

さっきから彼女は僕が反応に困るようなことを言う。

「あの人さ。うちの母さんね。昔から自分の機嫌がいい時だけいっちょ前に母親してきて、私が可愛い時だけ可愛がるの。」

少し重い雰囲気に気づいたのか、彼女は少し笑みも交えながら話した。

「で、自分が機嫌が悪い時は私のことなんて知らずにどっか行って。まぁもう別に寂しくもないし今はどうでもいいけど」

「そうなんだ」

「誕生日だって、私8月31日なんだけど前からもうずっと祝ってもらってないよ。」

「それは…嫌だね」

「だから私夏嫌いなの。嫌な季節。色々」

「うん」

「あ!全然重くならないでよ。今は本当になんとも思ってないし。」

もはや学校の話ではなくっていたがそれを言うことはやめた。

「でもさ、それでも私は母親を大っ嫌いってならないんだよね。なんでだろうね」

ふとポテトチップスを見ると、彼女がほとんど食べたせいでもう少なくなっていた。

「立石君はさ、クラスのこと嫌いって言ったけどどんなとこが嫌いなの?」

「え」

「先週言ってなかったっけ?」

「まぁ…言ったけど」

少し考えた。彼女は僕の言葉を待っていた。

「…なんというか、みんな上辺っ面で変に笑いばっかり作って。それで窮屈で」

本当に思っていることを言った。理由はわからないが、彼女が自分の母親について打ち明けたことは、僕の彼女に対する壁を少しだけ壊した。

「僕がクラスになじめないだけってのも、あると思うけど」

「そんなことないよ」

彼女は間を破って入ってきた。

「私もおんなじこと不登校になる前は思ってた」

「あ…そう」

「うん。私は色々耐えきれなくなって不登校になってそれで学校という場所から逃げたよ。私はそれを正解だと思ってる。でもその分、立石君はその思い抱えて学校行ってるいるのも正解だと思う。」

彼女は平然と言う。

「まぁ僕もさ」

彼女は結局僕が食べなかったのこり1つのチョコをとった。

「僕も、椎木の判断は凄いと思うし、それで行かないって選択肢はなんというか、自立できてるって事だと思う」

普段の僕なら思っても言わないことを彼女に打ち明けた。

「そうかな」

彼女は呟くように、そして嬉しそうに笑った。

「やっぱり君になら打ち明けてもいいかな」

そう言って、彼女は急に立ち上がったと思えば、ベッド横の戸棚からピンク色のcampusノートを取り出してテーブルにおいた。

黄ばんだピンク色のcampusノート。

そのノートの表題の部分には、黒のマジックペンで大きく「青色計画」と書かれていた。

「なにこれ」

「私の極秘ノート」

「極秘ノート?」

「私さ、あのクラス嫌いって言ったじゃん?」

「うん」

「なんでか言ったっけ?」

「言ってない」

彼女の目は、どこか血走るように感じた。

「ちょっとごめんね」

彼女はフッーと深呼吸をする。

どこか具合が悪そうに見えた。

「大丈夫?」

「ん?何が」

次の瞬間には、またいつもの彼女の調子に戻っていた。

「今日は特別に君に私の計画を話してあげよう」

そう言ってノートを開き、僕に見せてきた。

「私が不登校になったのは他でもないあのクラスが原因だって、前には言ったよね」

「聞いてないけど」

「じゃ、そういう事なんだよ」

僕のいう事はサラッと受け流された。

「だからさ、ほらこうしてやるの」

彼女はノートを指さして言った。

指さす方向を見ると、ひときわ大きな字で「教室を青色で染める」と書いてあった。

「どういうこと?」

彼女は相変わらずにやけている。

「来週の19日の火曜日、教室を青色ペンキでぐちゃぐちゃにしてやるの」

意味がわからない。

「そんなことしちゃダメでしょ」

「まあダメだね。普通は」

「そうだよ」

「でもさ、これは戦いなの。私とあのクラスの」

彼女はふざけているのか真面目に言っているのかわからない口調でそう言う。

「これは19日にするつもり。夏休みが始まるのが25日だよね。19日にやったら25日まで、丁度1週間ぐらいあるから教室の掃除も大変でしょ」

彼女はそう言って笑った。

「それに教室がぐちゃぐちゃになった上に、クラスの人達にとっては最悪な気持ちで夏休みが始まるかもしれないし」

「どういうこと?」

「どういうことだろうね」

気になったが特段追求するのもやめた。

「とりあえずさ、必要なものはもういくつも買ってあるの」

「本気で言ってる?」

「本気だよ。」

「なんでそんなこと僕に言ったの?」

「君が私の気持ちを理解できそうな唯一のクラスメイトだったから」

彼女は最後の1枚のポテトチップスをパリパリと食べた。

「僕はあのクラスを嫌だと思っていても、教室を青色ペンキでぐちゃぐちゃにするようなことはしないよ」

「私は過激派なんだ」

「…そのさ、なんでっていうかあのクラスのどこが嫌なの?」

やっと、聞いてみた。

「全部かな」

「例えば?」

「窮屈でいじわるくて、汚いとことか」

これには完全に同意だった。

「ていうかさ、今のクラスのムードメーカーもやっぱり晴樹君?」

「まぁうん」

「やっぱ晴樹君なんだ。へえ、凄い」

「…あいつそんな面白くないよ」

「あれ、仲良かったっけ?」

「一応それなりにつるんでる」

「なんだよ。案外うまくやってるじゃん」

嘘をついた。

「よし、君は色々教えてくれたことだし、ご褒美といこうか」

「ご褒美?」

「ご褒美には時間を要するのだ」

彼女は急に立ち上がって部屋を出た。

「ちょっと待ってて」

奥の方で彼女がそう叫ぶ声が聞こえた。

スマホを見る。

終電がそろそろ迫っていた。

彼女のノートをもう一度見たら、なにやら色々書いてあった。

汚い字であまり読むことはできなかったが、持ち物らしきものなどが書いてあった。

バケツ、青色ペンキ、モップ、懐中電灯、ロープ。

どうやら本当に物騒な事を計画していた。

向こうの方でドタバタ足跡が聞こえた。

「お待たせしました」

彼女はいつの間にかドア付近に立っていた。

何故か高校の制服を着ていた。

「どうよ?」

「どうって」

「可愛い?」

「…」

「ハハハ。私の制服姿って実際何点ぐらい?」

「普通ぐらい」

「え。絶対もっと普通より可愛いって」

彼女はそう言って制服のまま、また僕と向かい合った。

「このまま一生着ないかもって思って親友の前では着ちゃったよ」

「親友?」

「私達もう親友みたいなもんじゃん」

「まだ会って2回だけだよ」

「会った回数なんて関係ないよ」

彼女はスマホを見た。

「もうこんな時間じゃん。終電大丈夫?」

「一応それなりに、大丈夫じゃないよ」

「だよね。じゃあ駅まで送るよ」

「別に一人で帰れるよ」

「そう言うなって。親友のくせに冷たいな」

彼女は立ち上がって部屋を出る。

「…このおかし、このままでいいの?」

「うん。大丈夫。行こう」

片付けた方がいいかと思ったが、彼女の家ならば彼女の言う事に従った。

少し遅れて部屋を出ると、彼女は制服姿のまま僕を待っていた。

「え、その恰好で行くの?」

「うん。ダメ?」

「ダメとかはないけど」

「久しぶりに外で制服着たいし、君も制服だから不自然じゃないでしょ」

彼女についていくように階段を降りて行く。

外は相変らずの静けさだった。

彼女は僕と並ぶように歩いた。

「立石君の家ってマンション?」

「一軒家」

「一戸建ていいなあ。ワンちゃんとか飼ってるの?」

「いや、母親が犬ダメな人だから飼ってない」

「そっか。私も一戸建てとか住んでみたい人生だったな」

「ずっとここに住んでいるの?」

「ほぼそうだよ。ぼろっちいアパートだなぁって思ったでしょ?」

「いや、別にそんなこと」

「いいの。実際ぼろっちいし。」

一本道の隣にずっとある茂みは、ずっと虫の鳴き声がしている。

真ん中の車道には全く車が通らず、ほぼ歩行者天国と化していた。

「小学生の時とかさ、よく家に友達呼んだりするじゃん」

「うん」

「そうなったら順番に、今日はこの子のうちで遊ぼうとかってなるじゃん」

「うん」

「私さ、うちの順番が回ってきた時、呼ぶのが恥ずかしくてさ。いつも色んな理由つけて断っていたの」

「…そうなんだ」

「そしたらある時急に友達がみんなよそよそしくなって、なんでよそよそしくするの?って聞いたの」

「うん」

「そしたらある子が、なつみちゃんちとは関わらない方がいいってお母さんに言われたから、みたいなに言ったのね」

「あー…うん」

「その時に私は、あーあお母さんのせいだって思ったの」

僕たちはそうやって話しながら、歩いた。

気づけば30メートルぐらい先横にあのツタの生えた家が見えた。

当然ここで、あの家について触れるようなことはしなかった。

彼女もそこを過る時は黙っていたし、気まずい雰囲気が流れるのをずっと肌で感じていた。

「そこに車止まってるでしょ?」

「え」

彼女の方から沈黙を破ってきた。

「あれうちの車。というかお母さんの車なんだけど」

「え、そうなの」

「来た時あの車あった?」

「いや…見てない気がする」

「ああじゃあ今日もそうだ」

彼女の声のトーンが急に下がった。

「あの家で何やってるか知らないけどさ。大人ってホント無責任だよね」

「…」

「お母さんが夜中帰ってくるとき、毎回お酒と香水の匂いがするの。だから家も香水臭かったでしょ。ごめんね」

「全然。別に大丈夫だったけど」

「酔って私に絡んでくる時なんて、なつみに兄弟ができるかも、とか言ってさ」

「…うん」

「生まれてくる家間違えたのかなぁ」

彼女は少し大きい声を出して、そう言った。

また沈黙が流れて、僕らは互いに無言で駅を目指した。


目前の駅の電光掲示板に目をやって、電車を確認した。

10分後に電車が来る。

「ありがとう。今日は楽しかったよ。学校のことも沢山知れた」

「良かったよ」

「もう君を拘束することも今日で終わり。バイトの件は言わないし。というかそもそも言うつもりなんてなかったけどね」

「絶対嘘だ」

「言おうとする演技だよ。騙されたね」

電車のアナウンスが地下の方から反芻して聞こえた。

「そのさ、教室の件本当にやるの?」

「やるよ」

彼女は、シシシと笑った。

「じゃあ、そろそろ」

「うん、じゃあね」

彼女は僕に手を降ってきた。妙な恥ずかしさで僕はただそれを見たきりで、階段を降りようとした。

その時、だった。

急に、遠く後ろで、ぎゃははと大きな笑い声が聞こえた。

聞き覚えのある笑い声に、瞬間的に脂汗がジトっと背中に湧いて、スッと後ろを振り返れば、そこに三屋達がいた。

男女6人ぐらいで、彼らは大声で話しながら駅に向かって歩いてきた。

一気に汗が噴き出てきて、酷い動悸を抑えながら、僕はすぐにその場を離れようとした。

しかし、彼女はその場から離れずただ彼らを凝視していた。

「あれ、え?なつみじゃん、ウける。なんでいんの?」

「なつみ?誰?」

「ほら、去年辺りから不登校の椎木なつみ」

「え、制服着てるじゃん。笑うんだけど」

彼等が口々に発する言葉に、椎木は何も言わずただ彼らを見ていた。後姿だけが震えているのがわかった。

…僕はどうすればいいのか、何をすれば正解なのか。

正しい答えはわかっていたし、ちゃんと思い浮かんではいたが、それを無視して僕は階段を降りることにした。

彼らが僕を見つける前に、ここから逃げるんだ。

それでいい、それが僕の人生だ、と言い聞かせせ、前を向き直し、階段を駆け降りようとした。

「ちょっと待って。あれ立石じゃね?」

「あ、立石だ。え?どういうこと?」

…遅かった。

僕は彼らに向き直して笑顔をつくって見せた。

「おつかれ」

「おつかれ、じゃねぇよ。まさか…お前ら付き合ってんの?」

駅構内にドッと彼らの笑い声が響いた。

「これ絶対付き合ってるだろ。マジでお似合いじゃん」

「晴樹やめてよ。冗談きつすぎだって」

彼らはゲラゲラと笑う。

「え、いやぁ全然そういうのじゃないよ」

「は?じゃあ何、友達?」

「えっと、友達とかでもないかなぁ」

「きっしょ。死ねよ」

ハハハと、僕は笑った。

「なんでこいつ馬鹿にされてるのに笑ってんの」

彼らもまたゲラゲラと笑った。

「てかなつみ。なんで学校来ないの?来なよ、また一緒にテニスやろうよ」

「いやいや、無理でしょ。なつみ部活でめちゃくちゃ痛かったじゃん。下手なくせに頑張っていたから、先輩にめっちゃ陰口言われてたし」

「でも俺らは、優しくしてた方よな。こいつが高1の10月そこらに学校来なくなった日からずっと気にかけてたし」

「晴樹しっかり覚えてあげてるの偉いじゃん」

彼女らの高笑いが駅に響く。

「ちょっとさ、制服近くで見してよ」

彼らの一人が、彼女に近づいていく。

僕は何もできなかった。

「やめてよ」

彼女は確かにそう言った気がしたが、向こうには聞こえていなかったのか、どんどん近づいていく。

「やめて!」

彼女はそう言った。駅に響く大きな声だった。

「は?なに、こわ」

向こうも思わぬ反応に怯んだのか、シーンとした空気が流れた。

焦ったように、三屋が口を開いた。

「てかさ、なんでお前ら制服なんで着てるんだよ。付き合ってるとかゴブリンとかよりそれが一番笑えるわ」

「まじでそれ。ていうか晴樹が一番カラオケ下手だったんだから、何かこの人達にラブソング歌ってあげれば」

「いいなそれ。そこのカラオケ屋は全然機能してなくて全く歌えなかったし。俺らでも酒飲んで歌えるらしいからこんなとこまできたのによ」

「ほら、早く歌って」

「じゃあこういう時なんだっけ。ハピバスデー?」

三屋はそう言って笑いながら、バースデーコールを歌い始めた。

彼等らも笑いながら、三屋に続いて一緒に歌う。

「ハピバスデーツーユー。ハピバスデーツーユー」

嘲笑や蔑みを肌でひしひしと感じるバースデーコールに、僕は黙って笑みを浮かべて、ただ耐えた。

動悸や不安が入り混じって、とにかく早くこの場が終わることを祈った。

逃げたい。ただ逃げたい。

…椎木はどうだろう。戦うとかなんとか言ったって、椎木だって逃げたいはずだ。


その時、急にバンっと音がした。

何事かと思えば、椎木が彼らを追い越すように走りだした音だった。

椎木はもう、彼等を追い越して駅を去るように走っていった。

あぁ…やっぱり逃げた。

「え、怖すぎだろ。なにあれ」

彼らも流石に少し驚いた様子で、彼女の後を見ていた。

「まもなくー西谷駅、各駅停車が参ります」

地下の方でアナウンスが聞こえた。

糸が切れたようにハッとして、僕は階段を駆け降りた。

後ろの方で僕を笑う声がする。

結局僕一人だけが残った。何もできず逃げることもできなかった。ただ耐えて焦って動悸がして吐きそうで。

もういい。もう嫌だ。このまま電車に飛び込んでしまえば全部楽だろうか。

明日の学校ではこれを話題にされて今日よりもっと酷い事が起きるとわかっていた。

動悸と汗と震えが止まらない。

ポケットの方でラインの通知音がした。

ゴオオオと音をたてて、電車が来た。

…よし、飛ぼう。

最後に今きたラインを見ることにした。

母親ならば最後に、ありがとうと送るつもりだった。


しかし予想は外れた。

彼女から、一件ラインが来ていた。

お前か。逃げたくせに。

先週送られてきたウサギのグースタンプの下には文字があった。

「今日、青色計画をすることにした」

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