第1話


このまま何もしなければ、何も変わらないことはよくわかってる。

けど変わろうとしたところで、結局何も変わらないまま、時間だけが過ぎていくのだと思う。

その中で起こる良いことや嫌なこと、多分嫌なことの方が多いと思うけど、それも全て含めて人生だという。

なら僕は、この先70年近くも生きたくない。人生100年時代なんて、ごめんすぎる。

色々起こった上でそれが人生ならば、それを幸せなどというなら、別に長生きなんてしたくない。


この窓際席だって、僕が席替えのくじで引き当てたもので普通は特等席のはずだ。

授業中でも外を見ればぼーっとできるし、窓を開ければ風がすーっと入って気持ちいいし、アニメの主人公だって大体窓際席にいる。そんな特等席なはず。

…でも今の季節に限っては特等席ではなくなる。

先月の14日に行った席替えは丁度梅雨ドンピシャだった。

このクラスは1か月周期で席替えがあるため、次の席替えは一週間後の14日。今朝の天気予報を見てたら14日が梅雨開けになるだろうと言っていたから、そう考えると、やっぱり僕にいい事なんて起きていなかった。

1ヶ月前の、僕のひそかな喜びを返してほしい。

結局この先もこういう少しの憂鬱が連続して、そのたびに軽く落ち込んでいくのだろう。

やっぱり長生きなんてしたくない。


黒板横の掛け時計は、15時35分辺りを指していた。

今日の学校も、もう終わる。

教卓に教科書を置いて、まだペチャクチャ授業をしている現代文教員の吉村にそろそろ終われと圧をかけながら、じっと見た。

圧が伝わったのか否か、吉村はふと右手の腕時計を一瞥し声を張って言った。

「じゃあそろそろ終わる時間だな」

やっと終わりだ。

「というか今日七夕だけど、お前らは何か願い事したのか」

またいつものどうでもいい雑談が始まった。

この雑談のせいで毎回授業は予定時刻に終わらない。

「おい三屋。お前何お願いしたんだ?」

毎度の事ながら、吉村お気に入りの三屋晴樹が指名された。

「アメリカの大統領になって世界救って、美女に囲まれて金持ちになりたいってお願いしました」

意味がわからないし、つまらない。

だがクラスメイトも吉村も笑っている。

またいつものように嫌悪感を覚えた。

ここにいる皆が、いいクラスを演じているみたいで気持ち悪い感覚。

「それにしても、今日はこの調子じゃ織り姫と彦星は出逢えないから残念だなぁ」

吉村は、窓越しの雨に目をやった。

「1年に一回しか逢えないってのも、中々酷な話だよなぁ」

独り言なのか皆に語りかけているのかわからない口調は、だらだらと授業時間を延長させる。

「でもさ先生」

また三屋だ。

「織姫も彦星も、全然逢えない状況が続いたら普通別れるでしょ?なんでこいつら、また1年に1回逢おうって思うのかな」

たっぷりの自信が含まれた張りのある声。

吉村は一瞬考えた素振りを見せた後、すぐに、まぁこんなのあくまで神話だから、と誤魔化した。

「じゃあ終わり。少し長くなったけど」

やっと、現代文が終わった。

吉村がそう言ったと同時に、教室の扉前で待っていた加藤が、行き違いで入ってくる。

「吉村先生お疲れ様です」

「お疲れ様。そういえば加藤先生は七夕、何かお願いしました?」

別に興味ないのに、また吉村は余計な事を言う。

加藤は少し笑った後、みんなの笑顔と家族の幸せです、と言うと、吉村はやっと満足そうに出て行った。

「全く吉村先生は面白いね。…じゃあ明日の連絡事項については、黒板に書いてあるから各自チェックして下さい。傘だけ忘れるなよ。さようなら」

加藤が号令をかけると丁度に学校に帰りのチャイムが響いた。

やっと、今日の学校が終わった。

それも束の間、すぐに他クラスの生徒などが入ってきて、教室は入り乱れ始めた。

教室が人々の喧騒に反響して気持ち悪くなる前に、急いで机横のナイキのバッグに教科書を詰め込んだ。

あとは帰るだけ。

「はぁ?」

後ろで三屋の声がする。

「もう帰りかよ。やる事ない奴は羨ましいな」

振り返ると、三屋ら4人がこっちを見て笑っていた。

あー…まただ。

ハハっと調子の良い声を出す。顔もなるべく笑顔で。大丈夫、これはいじめじゃない。

ふと、教卓にいる加藤がこちらを見ていることに気づいた。

加藤はすぐに、スッと視線を外した。

これも…まただ。

三屋らに逃げるように教室を出た。

階段を降りてく間にも動悸が止まらない。心臓の鼓動がうるさい。

吐きそうになるのを抑えてなんとか外に出た。


外に出た瞬間、やってしまったと思った。

傘を教室に忘れたのだ。でも今更、あいつらがいる教室に戻る勇気はない。

だが、そうなればこの後のバイトは、ずぶ濡れのまま行かなければならない。

自分が本当に情けない。

仕方ないから、頭上にバッグを掲げ傘変わりにして駅に急いだ。

今日は朝から雨が降っていたため、傘を指してない人間はどこを見ても僕だけだった。

さっきの動悸が残っていて、若干嗚咽しながら小走りで急ぐ。

三屋のような、クラスの中心にいるような人に対して、僕はああやって笑うことしかできない。馬鹿にされても言い返す勇気もない。だがそうしてると、積もり積もってやがて心が壊れていく。朝起床した時から、動悸や吐き気がして自分が嫌になる。

あいつらなんかに、と何回思ったかわからないが、でもいつからか、結局自分が悪いと思うようになっていた。


高井駅に着けば、電光掲示板横の時計は16時を指していた。

結局バッグなんて何の役にも立たず、髪も制服もずぶ濡れになった。

このままバイトに行くのは気が滅入る。本当に色々な気持ちでやりきれなくなりそうなのを我慢して、改札に入った。

ホームにいる人々の群れに自然と避けられる。

「間もなく、2番線ホームに各駅停車…」

なるべく周りに迷惑をかけないように、電車を待つ列の一番後ろに並び直した。



平日夜の駅ホームは相変らずの人でごった返し、電車を待つ列がいくつもできあがっている。

行きの雨はあれから嘘のようにぴたりと止んで、空は曇りが晴れ、星が見えるまでとなった。

ずぶ濡れだった髪は、今はもう乾いているが若干湿っぽい。バイトに交友関係なんてないため、ずぶ濡れである事を特に誰かに触れられるわけでもなかったが、同じキッチンで働く他校の女子高生には、なんとなく冷ややかな目で見られた。

「間もなく2番線ホーム電車が参ります。危ないですので…」

ゴオオと音を立てて来る電車。

人の熱気で蒸れた夏前の駅ホーム独特の匂いは、相変わらず好きになれない。

電車が止まり、人が一斉に動き始めた。

乗り込んでみると車内は案外空いていて、選んだのが後方車両だったのが正解だった。だが座れる席はない。

吊革を掴み、車内を横目で一瞥した。

どうせ空いてないと思ったが、真ん中2番目の端の席がひと席ぽかんと空いていた。

ラッキー。今日は行きから散々だったから、帰りだけでも座れるのはありがたい。

吸い込まれるように歩いていく。

本当に今日は疲れた。

一席綺麗に空いている。

…ふと、向かいからくる人影を感じた。しかし残念。目の前の席に座るのは僕の方が早い。あちらが諦めてくれるだろう。そう思って自然に席に座る体勢に入ろうとした。

「あ」

そっと、誰かの身体がぶつかった感触。横を見れば子供みたいな顔でこちらを見る女子。

なんだ…?気のせいかどこかで見たような顔。

すぐに目を逸らした。結局帰りすら座れない。

回れ右をし、席から離れる。

「あれ?え」

背後から声がしたが、気にせずドア手すりに寄りかかった。

こういう時に起こるいざこざは、毎回僕が負けるようにしているのだ。

スマホで、明日以降のシフトを確認する。

…明日もバイト。明後日は本来休みだったがパートのおばさんに変わってくれと言われて、断れきれず変わってしまったからバイト。時給は890円、田舎特有の安さ。他のバイトを探そうと思ってはいるが、結局だらだら続けてしまっている。

はぁ、と溜息が漏れた。

「あれ?え?」

さっきの人は、まだ何か言っていた。

「あれ?そうだよね」

誰に言っているんだよ。

「立石悟君」

思わず顔を上げた。

「ほら、絶対そうだ!私、わかる?」

目の前に、さっきの顔があった。

背は僕より少し小さいが、女子にしては大きい。

というか、誰だ。

大きな目がスーッと試すように僕を見る。

「誰ですか」

「立石君だよね?私、同じクラスの!不登校の!」

同じクラス、誰だ。

あんなクラスにいる人の名前なんてあんまり覚えていない。女子なんて、尚更。

さらに不登校とは一体どういう事だ。

「ほらいるじゃん、一人」

誰だ。

「忘れちゃったかな」

「すみません、人違いかと…」

俯きがちに言った。

「え、酷いな。ほらいるじゃん!去年あたりから来なくなった奴!」

去年あたり、という言葉で、急にピンときた。

そういえば…一人いた。

「…椎木なつみ?」

「そう!正解!とっくにいない事になってるかと思ってた!」

彼女は満面の笑みでこちらを見てきた。

改めて見たその顔に少し食らってしまう。丸く大きい目に、均一に並べられたまつ毛。顔は小さく、髪は眉に少しかかって、肩側にかけて左右対称に伸びている。

僕と違って、とても良い容姿をしていた。

「席譲ってくれたでしょ?声かけたのに、君無視したよね」

彼女の勢いに圧倒されて、自然に目を逸らした。

「今?なんかの帰り?」

「いや、バイトの」

反射的に出る言葉。彼女の勢いに飲み込まれる。

一瞬彼女が、ん?という顔した気がした。

「あれ?うちの学校ってバイト禁止じゃなかったけ」

しまった。反射的にバイトと言ってしまった。学校には内密にやってるからバレたらまずい。

だが誤魔化す言葉が、すぐに出てこない。

「あ、バイトしてるんだ。秘密で」

彼女に目を戻すと、ニヤニヤした顔でこっちを見てきた。

最悪だ。

「あ、大丈夫。私は誰にも言わないよ。別に言っても何の意味もないし。バイトぐらい誰だってするよね」

彼女はおちょくるような真面目なような声色で言った。

「こんな遅くまでバイトしてんだね。次の日学校…ぶっちゃけキツくない?」

「まぁ」

ドアの開閉音が鳴り、電車はまた駅に止まった。

一気に人々が車内から溢れ出ていく。

ホームの方は、サラリーマンやら学生やらで溢れていた。

車内はだいぶ空いた。

スッと横目で彼女を見れば、空いたね、などと言っている。

彼女、椎木なつみは現在絶賛不登校中のクラスメイトである。最初に彼女を全くわからなかったのは、去年の10月あたりに彼女が不登校になってからその顔を全く見ていなかったからだ。

というのも、あの学校は1、2年生と同クラス同担任で、本格的に受験が始まる3年生でやっとクラス替えなのだ。


そういえば今まで、彼女と話したことはなかった気がする。

彼女も、僕が嫌いなクラスメイトだったから。

思い返せば、彼女が不登校になった原因について、最初は色々憶測が飛び交っていた。だが加藤が、加熱する憶測に苦言を呈して以来、話題になることはパタっとなくなった。

「ちなみにどこ駅で降りる?」

彼女は僕を覗き込むように聞いてきた。

「…鎌ヶ谷だけど」

「そうなんだ」

窓越しに外を見る彼女は、どこか遠くを見ている感じだった。

外は、ぽつんぽつんとある戸建てと、一面の田んぼが広がり続けるばかりで、その景色は変わらない。

…そもそも彼女は、何故急に僕に話しかけてきたのか。

からかってきたのか、冴えない僕に試しに話しかけてやろうとしたのか、そもそも不登校なのに電車にのってどこに行くつもりだったのか、彼女もバイトでもしているのか。

様々な想像が頭の中を巡る。

「あのさ」

横から彼女が口を開いた。

「立石君がバイトしていることを私が口外しないって条件で、この後私に今の学校の事をちょっとだけ教えてくれないかな?」

「は」

急にとんでもない提案をしてきた。

「どういうこと?」

「いや、私って不登校じゃん。学校のことととか、今どんな感じなのか全くわからないから知りたいなって」

あまりにも、急展開すぎる。

「それはつまり…僕が断ったら、バイトの件は学校に言ったりするつもり?」

彼女は一旦宙を仰いだように見せ、また僕を見た。

「言うかも」

声色にさっきまでのおちょくったような感じはしなかったし、妙な真剣味を感じた。彼女は本当に学校に言うつもりだろう。

最悪だ。

「…わかりました」

「やったー!」

面倒くさい事になった。

「じゃあさ!ちょうど次の駅の西谷駅の近くにいい公園知ってるから、そこで聞かせて!」

現在20時30分。西谷から鎌ヶ谷までは2駅分あって、随分距離もある。田舎だから本数もあまりない。

「ちなみに終電あるんだけど」

「あ、だよね!大丈夫大丈夫!聞いたらすぐ終わるかさ」

汗と行きの雨でベトついた制服が気持ち悪く、早く風呂に入りたかったし帰りたかった。

ラインで、母親に、遅くなると送った。

ドアの開閉音が鳴り、彼女はホームに歩き出す。

後を追うように僕も彼女についていく。

改めてその後ろ姿を見る。

黒のジャージズボンにグレーのフード付きパーカーを着ている。

よく見れば、やっぱり意外と身長が高い。多分僕が170ぐらいだから165ぐらいはある気がする。

こうしてみると、何故不登校になったかが気になった。

病気っぽい感じもしないし、精神的に病んでいる感じもしない。

「エレベーターと階段、いつもどっち?」

一瞬戸惑う。

「一応、いつもはエレベーター」

「私も、もう今はエレベーター」

そういえば西谷駅であまり降りる人はいなかった。

僕自身も、西谷駅で降りたのは初めてである。

ポンっとラインの通知音が鳴った。

多分母親から、ご飯はいるのか、いらないのかといった内容であると思うが、この状況を説明するのもめんどうだし、返信は先送りにして通知を切った。

エレベータを降り、彼女は切符を改札に通す。

電子カードではないのは、今日久しぶりに電車にのったということだろうか。

Suicaを改札に通し、彼女についていく。


外に出れば、星が広がっていた。夜の匂いがして、風が心地よく頬を撫で髪を揺らす。

街頭がぽつんぽつんとあったり、カラオケと書かれた小さな看板が立っていたり、小さな本屋みたいな店は光が灯っているものの、そんぐらいであとはみんなシャッターが閉まっている。

ちょっと遠くに見える薄赤色のアパート街や、本当に人が住んでいるのかわからないツタの張った一軒家などがあったりして、それらが一層駅の閑散さを際立てている気がした。

彼女は後ろに手を組みながらスキップするように歩いた。

バス停にサラリーマンが数人並んでいる。

「どう西谷。めっちゃ田舎でしょ?」

「うん」

「そこの本屋とかおばあちゃんが一人でやっててるけどお客さん全然来ないし、シャッター閉まっている店だって朝になれば文房具とか売ってるけどやっぱりお客さんなんて来ないし。そこのカラオケなんて、未成年にもお酒だすとか言う噂もあるんだよ」

「そうなんだ」

正直どうでもいい。

駅のアスファルトを抜けT字路を左に曲がる。

縦にずっと伸びた長い直線が開けた。彼女の4歩ぐらい後ろからつけるように歩く。

本当に近くなのか、心配になる。からかっているだけな気がしてきた。

「あのさ」

ん、と言って彼女は振り返った。

「本当に近くにあるの?」

「あそこに見えるじゃん」

彼女はそういって指を指す。

見れば確かに、80メートルぐらい先の左にポツンと小さい公園みたいなものがあった。

ふふっと笑ってまた歩き出す彼女。

はぁ、なんだこの状況。

……でも実のところ、高校に入って女子と話す機会などなかったから、この状況に変な高揚感を感じているのも事実だった。というか、その高揚感も含めて疲れるのだ。

もしかしたら、公園についたら輩みたいのがいて、金を巻き上げられるかもしれない。急なハニートラップで痴漢冤罪をでっち上げられるかもしれない。というか、まず学校のことを聞きたいとはどういうことなのか。

思考がぐちゃぐちゃになって叫びそうになるのを堪え、夜の匂いを一気に吸い込んだ。

中央の車線に車は通っていない。縁石で分けられた道を縦に並びながら歩く。

虫の鳴く声が、ずっと聞こえる。

そういえば今日七夕だった。

だからってどうもないけど。

なんだかもう早く帰りたくなってきた。

スマホを見て、さっきからまだ5分しかたっていないことがわかった。

街頭も少なくなってきた。

「ここね」

急な彼女の声で顔を上げると、気づけばそこに公園があった。

古めかしい街頭が一つだけあって、その薄明りはベンチを照らしている。

赤褐色のベーシックな滑り台と、エビフライみたいな形をした乗り物がポツンとある。

これだけで、公園と呼べるのだろうか。

そんな僕をよそに彼女はベンチに座っていた。

「好きなんだよね、ここ」

彼女は横のスペースをポンポンと手をたたき、ここに座れとジェスチャーしてきた。

あと1、2人分ぐらい空いていて、僕は1人分より少しだけずらして座った。

夜の匂いと雨が乾いた後の匂いが混ざって、鼻を抜ける。

「学校さ」

彼女の口調がなんとなく切り替わるのがわかった。

とりあえず金をせびられるようなことはないみたいだ。よかった。

「なんで私が不登校になったか知ってる?」

「いや、知らない」

「だよね」

彼女ははにかんで言う。

「不登校になった時、クラスはどんな感じだった?」

「…君がいなくなった理由や原因について、憶測が飛び交っていたよ」

正直に言った。というかよくわからない彼女の気持ちを汲んで答えるなど、この状況の僕には到底できなかった。

でもなんだか今は疲れてるからか、言葉がすらすら出る気がした。

「それで私の話題はすぐ消えた?」

「すぐはないけど、加藤、というか加藤先生が、椎木の気持ちも考えてその話題はやめにしようって言った以来、消えたかな」

加藤を呼び捨てにすると、また色々な弊害が出そうだから丁寧に先生とつけた。

彼女は、ハハと笑った。

「そっか。そうなんだ」

脚をパタパタさせたり、急にやめたりしてせわしない。

「ちなみにさ、今のクラスはどんな感じ?」

「どんな感じって?」

「うるさいとか明るいとか、静かとか」

「明るいかな」

本当は明るいどころか、めちゃくちゃうるさい。

急に彼女は僕を見た。

「唐突で悪いんだけど、私って、どことなく気取ってる感じする?」

彼女は自分を指差して聞いてきた。

目が合う。

彼女の髪が風で揺れた。

「見方によっては、気取ってるように感じる」

彼女はなにそれ、と言って笑った。

これは、本心だった。

どこか朧気に空を見ているその幸薄そうな姿といい、その色々とわざとらしい口調といい、さっきから幾度となく気取っている風に感じていた。


「立石君は、今のクラス好き?」

「あんまり」

流されるまま正直に答えた。

「そうか。あんまりかぁ」

彼女は何故か嬉しそうに、フフと笑った。

「私も、大嫌いだったんだよねクラス」

「…そうなんだ」

僕らの間に静けさが走った。

「立石君ってテニス部だったよね?」

急に話題を変えてきた。

「…元だけど」

「元、か。私もテニス部だったんだけどわかる?」

「確かそうだったね」

特に意味はないけど、確信を避ける様に言った。

「確かってさ、フフ。そうだ、テニスコート裏から学校侵入できるドア、あれもう塞がれた?」

「わからないけど…多分塞がれてないと思う。」

「まだなんだね。ずっと修理するとか言ってたよね?」

「言ってたね」

「あぁ、できればずっとテニスやりたかったんだけどな」

「今はやってないの?」

なんとなく会話を返した。

「今は、やってない」

「ああ、そうなんだ」

だめだ、2ラリーで終わってしまった。

「今日七夕って知ってた?」

またすぐに、彼女は聞いてきた。

「吉村先生が、今日の6限の現代文の授業で話してて、それで気づいた」

「吉村先生、七夕についてなんて言ってたの?」

「色々言ってたけど」

「色々が知りたいの」

「…その、三屋って覚えてる?」

「わかるよ。晴樹だよね」

「そう、三屋が吉村先生に指名されて、三屋が七夕について色々言ってみんな笑って…」

思い出しながら言った言葉は、色々不明確な感じになってしまった。

「その色々が大事なんだけどな」

彼女はおちょくるような口調で言った。

色々の部分を覚えていないから濁したのだが、こうなったら、しっかり思い出すことにした。

彼女は、どうやら僕が思い出すのを待っているかのように黙っていた。

「…確か」

「うん」

「確か三屋が、彦星と織姫が1年に一回逢うことについて、天気が悪かったら逢えないから、別れるのが普通じゃないか、みたいに言って、これについて吉村が、これは神話だからみたいに言って、みんな笑って、みたいな」

「なるほどね」

少しの沈黙が流れる。

「私はさ」

「うん」

「今日彦星と織姫が逢ったとしたら、逢えなかった間に起こった自分の話を夜通し沢山話すと思うのね」

彼女は空を見ていた。

「でも、雨とかのせいで逢えなかった年数が長ければ長いほど、その分色々な感情が乗ってお互い話したいことも増えれば…逢っても言えないことも沢山増えると思う」

「うん」

「でもそうやって色々抱えても、なんていうか結局会って話すことが重要で、色々なその気持ちをぶつけあってお互い落ち着いて、だから別れないんだと思う」

「うん」

「吉村先生が神話だからって七夕のことを誤魔化すのも、なんだかなって思って。しかも現代文の先生なら、先生なりに答え出してほしいなって思ったんだ」

自身の照れを隠すように彼女は笑った。

「別に私はその場にいたわけじゃないのにこんな事言ってるのやばいよね。まぁ私の言ってることなんて間違ってると思うけど」

彼女はそう言って黙った。

今の話、所々よくわからなかったが、誤魔化してその場をはぐらかす事は不正解だという事は、僕だって充分わかっていた。それが良いか悪いかは別にして。

ただ、そうせざるしかない場面は、生きている以上確実にある事だから、つまり彼女の言っていることは、所詮綺麗事だった。

…不登校で社会に接してないから、こんな考えでも生きていけるのだ、と思う。

風がぴゅーっと吹いて、今までとは違う生暖かい風が顔に当たって気持ち悪い。

急に夏のムシムシした夜の暑さを感じた。

そういえば、忘れていたがそろそろでないと終電に間に合わない可能性がある。

スマホを見たいが、ここで取り出すのも彼女にせかしているみたいで、申し訳ないわけではないが、なんというか忍びなく感じてしまった。

「あれ、そろそろ時間だよね」

ナイスタイミング。

「ごめんね、長くなったかも。」

彼女は、ごめんなさいのジェスチャーをしてきた。

やっとスマホを見れば、21時20分で、出た時から意外と立っていた。

彼女は身体を乗り出して、僕のスマホを覗き込んできた。

髪がフワッと僕の顔の前を流れて、香水か何かの匂いがした。

「うわ、こんな時間。もう帰ろうか」

「そうだね」

ふと、彼女は僕を見つめてきた。

目はわかりやすく左右に揺れ、何か言いたげな表情をしている。

「あのさ、良かったらでいいんだけど。もうちょっと話聞きたいんだよね」

どういう事だ。

「後半、あんまり関係話になっちゃったじゃん?だから学校のこともう少し知りたいなって」

「いや、今日で終わりなんじゃないの?」

「今日だけじゃまだ足りないかな」

「いやだって、話すっていたっていつ話すの?」

「それはラインする!あ、ラインやってる?」

「一応」

「やった。教えて」

なすがままにラインを開いた。

また何も言えず彼女の勢いに飲み込まれた。

トーク画面に忘れてた母親のラインがある。

あれからまた2件きてる。通知を切っていたため気づかなかった。

視線を上げると僕のスマホを見上げるように、彼女の顔があった。

「お母さんから、帰ってきてってラインきてる感じ?」

「うん、そうだけど。」

「羨ましいなぁ」

「何が?」

「なんでもない。とりあえずqrコード見して」

なすがままにqrコードを見せると、なつみ、と表示された下の画面に、うさぎのキャラクターが笑っているスタンプが送られてきた。

「じゃあ駅まで帰ろか。この空なら織姫と彦星きっと逢えてるよね」

彼女はタッと歩きだした。

結局最後まで、彼女に振り回されたままだった。

「ねぇ立石君」

彼女はふと振り返った。

「七夕、何お願いした?」

「特に何も」

「なら、今決めてよ」

そんな無茶言われたって急に思いつかない、という言葉は飲み込んだ。

「…楽しい人生」

今思ったことを適当に言った。

彼女は、なにそれと言って笑う。

「いやさ、別に馬鹿にしてるとかじゃないからね」

「そういう君は?」

らしくなくムキになって聞き返してしまった。

数秒空いて、彼女は答えた。

「私はね、これ以上不幸なことが起きませんように!ってお願いした」

彼女はまた向き直し、歩いていく。

ベンチから腰を上げるのは辛く、立てば若干立ち眩みがした。

とりあえず今は疲れているし、母親にラインを返さないといけない。

彼女を見失わないように、後を追いかけた。

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