腐れ縁エルフとの適切な距離を求めよ②


 その後、いつもの生徒会室―――ではなく、エルビス学院の校長室に俺とセレナは来ていた。


「……と、言うわけで先生は屋上で煙草を吸っていました。悪徳教師です。ユフィール学長からもなんとかいってあげてください」


「セレナ君それ内緒にしてくれるんじゃなかったかなァ!?」


「そんなこと言ってません。私は義務を果たしただけです。屋上で煙草を吸う教師なんてありえませんから」


「なるほど……セレナの言うことも最もだ。アドレー、キミはクビだ」


「先生短い間でしたがお世話になりました」


「急速展開に俺だけがついて行けてないなァ!」


 俺の叫びを聞いて、それまで校長室の椅子に腰かけていた女性が愉しげに笑った。


 ユフィール・ゼイン。

 セレナも所属するエルビス学院の校長であり理事長。ついでにこの学園都市の理事会の役員の一人。

 まあ、つまるところめちゃくちゃ偉い人。ついでに俺を採用して連合生徒会の顧問にしたのもこいつ。


 春の残雪のような銀色の髪に、ガラス細工のような虹色の瞳。

 身長は俺の肩ほどまでだが、すらりとしたスタイルは彼女が少女なのではなく「大人」であると教えるようだ。


 セレナ・ステラレインが「美人になる過程の少女」であるならば、ユフィール・ゼインは「成熟した華奢な女性」とでも言うべきか。


 そんな彼女はわざとらしくティーカップの水面を揺らしながら顔に薄っぺらい笑みを張り付ける。


「いやあ、だってわざわざセレナがボクの部屋に来て報告するほどだ。相当な悪徳教師に違いない……これは私の権限を以ってクビにしないとね」


「顔が笑ってんだよ! 面白がってんだろユフィ!」


「あは、バレた?」


「バレたじゃねえんだよ。そもそも俺たちを呼び出したのはお前だろうが、ユフィ」


「おや、そうだったか。失念していたよ」


「しゃあしゃあと言いやがって」


 まったく変わらねえな、こいつ。


 憎まれ口の応酬をする俺とセレナの間で視線を行ったり来たりさせていたセレナが、おずおずと口を開いた。


「……えと、二人はお知合いなんですか?」


「ああ。古い知り合いでね」


「古い、というと。幼なじみのような……いえ、ユフィール学長にそれはありえないでしょうし……もしかして」


「そんな甘いもんじゃないかなァ」


 ただちょっとお互いに知られたくない過去を握り合ってるくらいの、よくある古馴染みだ。

 まあお互いが秘密を握り合ってるからこそ、言いふらされたりはしないのだが……。


「……まあね。どうせ、ボクが握ってるのはせいぜいアドレーが寝起きにボクのことを間違えてお母さんと呼んだことが5回はあることくらいだ」


「ユフィ????」


「あっはっはっは」


 俺がわしわしとユフィールの肩を掴んで揺らしていると、そんな俺たちをセレナがじとーっとした目で見ているのに気が付いた。


 セレナ? 


「……随分仲、よろしいんですね」


 なんだろう、なんかセレナがどこか面白くなさそうな感じだ。

 どういう気持ちでの顔なんだ、それは。


 セレナは俺のことが嫌いって言ってるし、ユフィに古馴染みがいたのが気に入らなかったんだろうか。


「……さて、本題に入ろう」


 ひとしきり笑ったユフィールは紅茶の入ったカップをティースプーンでかき混ぜつつ、上目遣いでセレナを見つめた。


「ベレッタマギアスクールから私を通して、連合生徒会に依頼が来ててね」


「依頼、ですか」


「なんでも魔導制御端末マギアの試運転のために、学外に出て魔物と戦いたいんだとさ。というわけで、連合生徒会のキミたちにその監督を頼みたくて」


 魔物とね。まあそりゃ確かに魔導師の本分は魔物と戦うことだし、そういう依頼が来ることもあるか。

 学園都市には結界があって魔物も入り込めないんだし。


 頷く俺の隣で、セレナが少し困惑したように口を開く。


「キミたちということは……」


「うん。セレナとアドレーの二人で、ね。流石に学外に出るなら教師がついてないのは問題があるし。頼めるかい?」


「……どうしても、ですか」


「うわあ、すごくいやそうな顔」


「む。べつに、そんな顔してません」


 してるから言ってるんだけど……。ほんとにセレナ俺のこと嫌いなのな……。


 だがユフィールはそんなセレナの様子に、さも面白そうに微笑み目を細めた。


「アドレーと一緒に行くのは不満かい?」


「……だって、先生は、『魔導師』じゃないん、ですよね」


 ほう、とユフィールが虹色の目を細めた。


「自分から話したんだ、アドレー」


「別に隠すようなことでもないしな」


「それにしたってわざわざ言うべきことでもないだろう。まったく」


 やれやれ、と大げさに息を吐くユフィール。

 俺たちの会話のあと、セレナは「それに」と言葉を付け加える。


「私はあまり強くありませんし、厳しい言い方になりますが、足手まといの方に来られても……」


 足手まといだって、とユフィールが目配せしてきたので仕方ないだろ、という気持ちを込めて肩をすくめた。

 だって、セレナの言ってることは正しいし……。


「あと先生はだらしないので来たら何か、こう、面倒ごとが増えそうです」


「オブラートに包み切れなかった厳しい意見が俺に刺さってる」


「うーん、まあ確かにアドレーは少しだらしないよね。

 加えて鈍いしデリカシーないし眼鏡かけてて目が細いから終盤で裏切りそうな顔してるし新任教師のくせに隠れてヤニだって吸っているどうしようもないやつだし今は恋人もいないおっさん予備軍だし……」


「言いすぎだろ。泣くぞ」


「全部事実だろう? ヒラの教師が校長のボクに文句でも?」


「事実だから泣くんだよ。弁護士を呼んでくれ。俺は断固としてこの上司の横暴と戦う」


「アドレーの給料じゃボクと裁判をやるには……と、そうじゃなくて」


 コホン、とユフィールが咳払い。


「まあとにかく、それでもいればきっと頼りになるよ。私が保証しよう」


 セレナはしばらく俺がついてくることに悩んだ様子を見せていた。

 だが、「どちらにしろ生徒だけで学園都市の外に行かせるわけにはいかないしね」と、ユフィールが付け加えると、セレナはため息混じりに頷いてくれた。


「わかりました。監督の件、先生と一緒に行ってきます」


「すまないね」


「……ユフィール学長の頼みですから。仕方ありません」


 ユフィールに微笑まれると、どこか居心地悪そうにセレナが視線をそらした。


「では、その、私は今日の仕事と、ベレッタの監督の件についての準備があるので、そろそろ失礼します」


「ん、じゃあ俺も……」


 セレナに続いて俺も退室しようかと思ったのだが、その直前ユフィールがこちらに目配せした。

 俺には残れってことらしいな。何か話したいことでもあるみたいだ。


「―――俺は、ちょっと学長と話していくことがあるから、セレナは先に帰っておいてもらえるか?」


「わかりました。先生の分の作業は机の上に準備しておくので、帰ってき次第お願いします。……今日は絶対手伝いませんから」


「う、はい。今日はちゃんとやります……」


 俺の返答に頷くと、セレナは「では、失礼します」と校長室から退室する。

 重苦しい扉が閉まり、扉越しにセレナの足音が遠ざかっていくのを確認すると、はあ、と息を吐いた。


「あー、やっぱセレナと話すのは超息が詰まる」


「ふふ、また随分嫌われてるね」


「ったく、ユフィが連合生徒会の顧問なんて役目押し付けたせいだろーが」


 ドカッとユフィールの机に座って怨み混じりに睨んでやるが、当のユフィールはどこ吹く風で視線をさらりと受け流す。


「それはすまなかったね。アドレーには向いてると思ったものでね、教師」


「そんなこと言う物好きユフィくらいだっての」


 仕事を紹介してくれたのは助かる。

 でも実際俺みたいなロクでなしを採用しようと思ったこいつの思考はよくわからない。


「絶対他に向いてる奴いたと思うが……なんでまた俺なんだよ。

 この数日で俺は、教師なんてできないって気持ちがひたすら高まってるよ」


「まあそろそろ貸しを返してもらいたい、という気持ちが一つかな。

 十数年分、たーっぷり溜まってたしね」


 にんまりとユフィールが意地が悪そうな笑みを顔の上に作る。


「う゛。そ、それは、追々返すっていただろ」


「そんな悠長なこと言っていたらボク貸しがあるのも忘れちゃうよ。ほら、ボク長生きだし」


「それは気合入れてお前が覚えてほしいんだが?」


「いいじゃないか、キミたちの短い人生をボクのために使えるなんて幸せじゃないか」


「記憶領域のひとかけらもお前のために使いたくなくなるな」


 ユフィが大げさに息を吐くと、よよ、と泣き崩れる演技をする。


「なんてケチな物言い。

 ボクはたった80年くらい人生を拘束させてくれとしか言ってないのにさ」


「おう、お前のクソバグ人生観で俺の人生を終わりまで束縛しようとするな」


「! そうか……ごめん、矮小な人間の価値観はまだ掴み切れなくて……」


「いつから生きてるかもわからない女がよく言うぜ」


「秘密は良い女の条件だからね。困った、これではアドレーもきっと大人の色香にメロメロだね」


「メロメロて。相変わらずちょっと言葉遣いが古いな、この偏屈長生き秘密主義者……」


人間キミたちの言葉の移り変わりが早すぎるんだよ。まったく、つい100年くらい前に覚えた言葉がすぐ古くなってしまう」


 腕をまくって拳を持ちあげてみるが、ユフィはからからと愉しそうに笑うだけだった。


 あーダメだ。こいつがこういうときはとことん話さないし、これ以上は無駄だ。

 まったく、昔からこういう快楽的秘密主義なところマジで変わんねえ。


 エルビス学院校長ユフィール・ゼインは美女である。それは間違いない。

 ただ、彼女が美であるかは、人によって意見は変わるだろう。


 なにせ彼女には普通の人間とは違う点が一つだけある。

 ユフィには、人とは違う尖った耳があるのだ。しかも主人と同じく、良く自己を主張する長いやつが。


「この秘密主義め。ったく、変わりないようで一周回って安心したよ」


 そう、俺の昔馴染み『ユフィール・ゼイン』は、世界にもう数少ない『エルフ』だった。

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