腐れ縁エルフとの適切な距離を求めよ③

 エルフ。

 元は精霊種、けれどいつしか人に限りなく近づき、社会に溶け込んだかつての自然の触覚。

 俺が生まれる前にはそう珍しい存在ではなかったらしいが、次第に数を減らしめったに見ない種族になってしまった。


 ユフィールが言うには「ボクたちはあまり子孫を残すことに興味がなかったやつが多かったのさ」とのことだが、真実はわからない。


 ただ俺にわかるのは、ユフィール・ゼインが人間に友好的なエルフであり、それでいて俺の友人であるということだ。

 あと俺の雇用主で、現代魔法研究の第一人者で……いやこいつの肩書きを思い出していたら日が暮れる。


「セレナはお前がエルフだって知ってるんだっけか」


「彼女が学園都市ここに来るまで後見人になってたのはボクだしね。それに別段隠してもない。少し調べればそこらの生徒だってボクがエルフだってわかるだろう」


 まあ確かにこいつくらいの立場と実績があればエルフってことは別に大した問題にもならないか。

 むしろその才能と実績に納得すらされるのかもな。長生きのエルフは多芸なことが多いし。


「にしても、セレナに嫌われるとは……キミなにしたんだい? 

 他人をあまり嫌わないことで有名なんだよ。彼女」


「あー……まあ、色々あってな……」


「色々? はは、家にでも連れ込んだのかい?」


「そ、そうだねえ……」


「は????」


 サッと目をそらしたら、地獄の底からのみたいな声を出したユフィにネクタイを掴んで引き寄せられた。


「やったのかこのボケ」


「違う誤解だ! 知らなかったんだよ生徒になるとか!」


「アドレーそれまったく釈明になってないけど大丈夫? ボクは続く言葉によっては普通に魔力砲撃つけど?」


「ちゃんとした釈明をさせて下さぁあい!」


 いやマジで! 


 最初は割とシャレにならない真顔だったユフィも俺がかくかくしかじか説明をすると、次第に呆れたような顔に変わっていく。


「……と、いうわけなんだよ」


「アドレー、キミ本当に相変わらずおせっかいだね」


 ぱっとユフィがネクタイから手を離した。


 ほっ、良かった……。こいつの魔力砲をゼロ距離で食らったら上級モンスターだろうが問答無用で吹き飛んでしまう。況や人をや、というやつだ。


「まったく、本当にアドレーは呆れるくらいアドレーだ。普通名前も知らない女の子拾うかね。呆れて声も出ないよ」


 ぶつぶつと呟くユフィがカップに口をつける。


「……でもアドレーいったいどんな手品を使ったんだい? あの人と壁を作るセレナとあんな打ち解けているなんて」


「打ち解けているて」


 セレナはだらしない俺に腹が立って注意してるだけだと思うが。

 あれが打ち解けてるんなら、喉元に剣向けられた状態での会話も和気あいあいとしたフリートークになるぞ。


「いやいやそんなことはないよ。だって、あんまり感情を表に出すタイプの子じゃないからね。

 ボクも彼女との付き合いはそれなりだが、今でも表情わかりにくいこともあるし」


「そうか? セレナは結構わかりやすいと思うけどな」


 何を考えているかはともかく、感情自体はよく顔に出てると思うけどな。

 俺を叱るときは呆れてることが多いし、俺が生徒会室に来るのに遅刻した時は怒ってるし、休憩の時に甘いものを食べてると嬉しそうだし、山のような仕事をちゃんと終わらせられれば安心したように息を吐く。


 実に子どもっぽくて、わかりやすいと思う。


「……なるほど、アドレーから見るとそうなるのか、セレナは」


 含みを持たせるようにユフィールそう言って、カップの紅茶に口をつける。

 そしてカップをソーサーに戻すと、背もたれに体を預けて小さく嘆息。


「アドレーはセレナが何故生徒会に一人なのか、聞いたかい?」


「いや、話したがらなかったから無理には聞かなかった」


「キミらしい。いや、そういうキミだからこそ、セレナとの壁を乗り越えているのかもしれないが」


 ユフィールは視線を窓の向こう、遠くに見えるひと際高い『シリウスの塔』の方に向けるとガラス細工のような虹色の瞳を細めた。


「あの子はね、負けたんだよ。だから一人なんだ」


 そうして、ユフィールは語り始める。

 どのようにしてセレナ・ステラレインが『孤独の生徒会長』と呼ばれるようになったのかを。


 ―――学園都市『アウロラ』には五つの学校がある。


 「空を飛ぶ」ことに重きを置く『エルビス学院』。

 軍用魔法の習得に秀でる『メドフラム魔導学園』。

 白魔法を重視する『アネモス神聖学校』。

 生徒全てが例外なく魔法制御端末マギアの開発を行う『ベレッタマギアスクール』。

 「古きに学び、新しきを解体する」を掲げる『カンナギ学舎』。


 連合生徒会は以上の五つの学園から一人ずつ選出された役員で組織される。


 生徒会長、副会長、書記、会計、庶務。

 役職は選出された役員同士の『魔法戦』による実力で決められ、通例としては最も勝ち数が多い者が会長となるらしい。


 そして、セレナ・ステラレインはその戦いに、連合生徒会長となった。


 何故ならば、他の役員たちは全員魔法戦が終わると共に、連合生徒会からの脱退を表明したからだ。

 理由はわからない。だが、結果として、セレナ・ステラレインは連合生徒会でひとりになった。


 ひとりしかいないのだから、生徒会長をやるのはセレナしかいない。

 ひとりしかいないのだから、全敗してようが関係ない。

 ひとりしかいないのだから、全ての仕事は彼女がやるしかない。


 そうして、セレナ・ステラレインは、ひとりぼっちの連合生徒会長となった。


 押し付けられるように、その立場を与えられた。


 『連合生徒会長』は特別だ。

 普通の学校の生徒会とは違う。学園都市の代表者によって組織される、学園を越えた生徒会。

 言うなれば、『学園都市そのものの生徒会』。そのリーダーが、連合生徒会長。


 そんな場所に一人でセレナは立っている。


「セレナはきっと苦しんでいる。

 誰よりも弱い自分が連合生徒会長をしなければならないことに。

 そして、彼女は真面目だからね、責任を放り出すこともできないのさ」


 ―――まだ、私がどうするべきかわからなくても、少なくとも逃げることだけはしたくない。


 脳裏に雨が降る夜にうずくまっていた少女の姿が蘇る。

 どこかに帰りたがらず、話したがらず、でも進む道も見えていなかった彼女のことが。


「……セレナは、まだ迷子なのかもな」


 ユフィールが片眉を吊り上げた。


「迷子。セレナがかい?」


「ああ。自分がどこにいるのか、どこに行くべきかがわからない子どもだ。こんなの迷子以外に表す言葉はないだろ」


「……ふふ、確かにね。そうだ、その通りだね」


 何が面白かったのかユフィールは笑い声を口の中で転がすと、蠱惑的に微笑んだ。


「なら、そんな迷子の子の手を引いてあげる大人がいてくれるといいよねえ」


「俺に何とかしろって?」


「そう聞こえたかい?」


「そう言ったろ。ったく」


 眼鏡のズレを指で押しあげ正すと、ユフィの視線から逃げるように、胸ポケットから煙草のケースを取り出した。


「吸っても?」


「ふふ、まだ吸ってるんだね。昔から好きだよねぇ」


「悪いかよ」


「いいや? 

 ただでさえ短いキミたちの人生を縮める劇物を吸って、わざわざ自分の寿命を縮めようとするキミたち人間の挑戦心は大好きさ」


「そこまで言うならもうはっきりと嫌いって言え」


 返答がツボにはまったのか、ユフィが虹色の瞳を細めてからからと笑う。

 そんな彼女をよそに、俺は取り出した煙草をとんとん、と箱にぶつけて葉を詰めると、咥えて火を点けた。


「アドレーのその仕草、変わらないね。ふー」


 ユフィが息を吐くと、漂っていたうすぼんやりとした白煙と混ざるように部屋の中に消えていった。

 その様子を見つめながら、ユフィは「そうそう」と思い出したように口を開いた。


「好き、っていうのは本当さ。あくまでも、キミが吸う姿に限るがね」


 そう言ってユフィは今日初めて、自然に笑った。

 それはまるで、大人になって見つけた小さい頃の宝箱を開けたかのような、懐かしさと安らぎが同居したような、そんな不思議な笑顔だった。


 そして彼女は引き出しから煙草のケースを取り出すと、軽く揺らして見せた。


「ユフィ吸うんだっけ」


「誰かと一緒になら、ね。さあ、火を頂戴よ」


「ライターなら……うおっ」


 ユフィが机に片膝を載せると、ぐっと俺に顔を―――正確には、口元にある煙草に近づけた。

 まるで恋人同士の逢瀬が行われるような距離間で、視界いっぱいに移しい銀色の髪とまぶしいほどの白い肌で埋め尽くされる。


「……そういうの、誰にでもすんなよ」


「まさか。キミくらいしかボクの周りに吸う人間はいないかな」


 じじ、と煙草の熱が伝わり、ユフィの煙草の先を赤く染めた。


 ユフィは煙草に火が付くと普段吸っていないのが嘘のように、絵になる仕草で煙を燻らせた。

 そして、久々の味を噛み締めるように目を閉じた。


「アドレーが学園都市に来てくれて良かった。だって、こうして君と話せるんだから」


 ぱちり、とユフィは片目だけを開けて、俺を上目遣いで見る。


「アドレーはアドレーが思うままにやりたまえよ。ボクはそれを期待してアドレーを教師に誘ったし、連合生徒会の顧問を任せた」


「俺、とてもじゃないが立派な教師なんかになれないぞ」


「ふふ、それでいいのさ。それが君らしい」


 そして、冗談めかした語調で言葉をつづけながら、にやっと笑った。


「だから頼んだよ、


 ……あのさあ。


「その呼び方はやめろ。俺はもう子どもじゃねえんだ」


「ふふ。ボクから見ればアドレーなんてまだまだ子どもってことさ」


 そうしてユフィール・ゼインは、眼鏡を押し上げて顔を隠す俺に、からかうように甘く微笑んで見せたのだった。


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