雨の日に拾われた少女の気持ちを求めよ③

 それからしばらく、彼女は黙り込んで何も話さなくなってしまった。

 俺も特段彼女に積極的に話しかけることはなく、軽食なんかを作り始めてしまったものだから、お互いに何か言葉を発することはなくなった。


 故に耳に届くのはざあざあと降りしきる雨の音と、彼女の制服を乾かすためのごうごうとした機械音、そして俺がサンドイッチを作るためにパンや野菜を切る音くらいのものだった。

 先ほどまでエサを食べていた猫も、いまでは満腹になって眠くなったのか丸くなってしまっている。


 ただただ、お互いに深く立ち入らないガラスを隔てたような静謐が、この狭い部屋を支配していた。


 それは彼女の服が渇いて制服に着替えた後も、俺が簡素なサンドイッチを出した後も、おかわりの紅茶を淹れた後もしばらく続いた。


「あなた、は」


 そんな他人行儀な静けさを彼女が破ったのは、お互いに二つのサンドイッチを食べ終わったころだった。


「……貴方は、何も聞かないんですね」


 僅かにうつむいての言葉。

 宝石を散りばめられたような長い金色の髪はまるでカーテンのように、彼女の表情を覆い隠してしまっていた。


 俺はとりあえず淹れなおした紅茶を傾けてのどを潤す。


 何も聞かない、ね。


「きみは、俺に何か聞いてほしいの?」


「……べつに、そういうわけじゃないですけど」


 でも、と彼女は先生に叱られた生徒が言い訳するように言葉をつけ足す。


「ふつうなら私の名前とか、なんであそこにいたのかとか聞きたくなるものなんじゃないですか」


 ああ、なるほど。申し訳なくなってるのか、彼女。


 あっちからすれば俺は急に家に連れて来てくれて風呂どころか、飯も食わせてくれた大人。

 その上特に見返りは求めてない……まあ、ちょっと自分に都合がよすぎて心配にはなるか。


 俺がこんな目に合ったらまず美人局を疑うわ。


 別に子ども一人くらい気にするほどでもないんだが、彼女の感情的には納得できない、か。


 中指を使って眼鏡を押し上げつつ、慎重に言葉をひとつずつ選んでいく。


「まあ、気になることがないかって聞かれたら嘘になるな」


 雨の中あんな時間に濡れることも厭わずに一人でうずくまっている少女。

 わかりにくかったがわずかに目元が赤かった。もしかしたら、雨粒に混じってもっと他の物を目から流していたかもしれない。


 そこまでするなんてよっぽどだ。きっと、彼女にとってすごく大変なことが起きたんだろう。


 まあでもなー、なんていうかなー。

 こういうのって無理に聞き出しても仕方ないんだよなー。


 つーか、俺が知らん大人に根掘り葉掘り聞きだされたら普通に腹立つし。


 だから、まあ、なんというか。


「生きづらそうだな、きみ」


「は、はい?」


 目の前の少女の顔が困惑に変わる。


「きみ、典型的な真面目学生のタイプだな。学校に一人か二人はいるんだよなー」


「え、あの、私いま、見ず知らずの男性の家にいて、しかも寮にも帰ろうとしてない非行学生と言いますか……」


 大げさだっての。一度や二度の無断外泊くらいでピーピー言うほどでもない。

 俺は友だちと花火見にバイクぶっ飛ばしたことあるぞ。


 いや俺の方は名前も知らない女子学生を家に連れ込んでるのは大問題なのだが……いや、うん、これはひとまず置いておこう。


 俺が言いたいのは、そういう細かいところじゃなくてさ。


「きみは肩の力を抜くことを覚えるべきだな。今日は寝て、明日考えようみたいなメンタル。

 きっとそれだけで君の抱える悩みの重さはマシになるし、もしかしたら明日には別の向き合い方も見えてるかもしれないよ」


「……それで、絶対に改善すると、言えるんですか」


「さあね。それはきみ次第だろう」


「無責任ですね……」


 通りすがりの名前も知らない大人に何を求めてるんだ。

 俺が言うのは心の持ちようの話で、実際にどう改善するかは別の話だ。


 理想としては自分だけで解決策を見つけられることなんだろうけど、まあそうもいかないこともあるだろう。


「ま、そういう時は適当に大人にでも頼ればいいさ。

 それこそきみは学生なんだから、教師なんて頼り放題じゃないか。それが仕事だ」


 人間、間違いながら成長するもんだ。

 そしてその間違いの中で、ゆっくり大人になっていく。


 そして、学校は「たくさん間違うための場所」だ。

 少なくとも、俺はそう思っている。


「まあだからとりあえず、きみがまた頑張って立ち上がれるまではここにいていいよ。

 きみ一人なんて、猫みたいなもんだからな」


「……なんで、そこまで」


「大人だからね。子どもには無条件に甘いものなのさ」


 茶化したような俺の言葉に、ふ、と彼女は月が欠けるように薄く笑んだ。


「やさしい、んですね」


 彼女は目を細めて、まるで童話を語るようにとつとつと言葉を紡いでいく。


「こうして私を拾ってくれて。温かいものを飲ませてくれて。悩みを無理に聞き出さなくて。でも私の力になろうとはしてくれて。

 貴方みたいな大人、なかなかいませんよ」


 そこまで言って、彼女が窓から空を見上げると、俺とあらためて向き直る。



「……だから、嫌いです。貴方みたいな大人」



 それは明確な拒絶の言葉だった。

 先ほどまで僅かにでも微笑んでいたことが嘘のような、そんな強い感情。


 明確に目の前の少女から、刃のような敵意を向けられている気がした。


「雨、やみましたね」


 不意に彼女が窓の向こうの空を見上げてそう言った。


 つられるように空を見上げれば、あんなにひどかった雨もすっかりやんで、空の向こうでは目を細めたくなるほどまぶしいが浮かんでいる。


「私、帰りますね。もともと、雨が止むまでってお話でしたし」


 確かにそういう話で俺は彼女を家に招いた。

 ならばなるほど確かに、彼女が俺の家にいる道理も、理由もないわけか。


 彼女は玄関から靴を取ると、窓を開けて桟に足をかけると、ちらりとこちらを振り向き、また月が欠けるように微笑んだ。


「今日は、ありがとうございました」


 そして、ぴょんっと


 え、飛び降りたの!? 


「え、ちょっ」


 走って追いかけようとして―――耳に『詠唱』が届いた。


「我に空駆ける翼を―――『浮遊フロート』」


 それは、『魔法』。

 翼なき人間が、地に足をつけて生きる人間が、己の力で勝ちえた『空に生きる』ための力。

 10年前の魔導革命によって奇跡から科学に引きずり降ろされた、人の研鑽の証。


「もう、会うことはないと思います」


 さようなら、とそう言い残して彼女は飛んだ。

 長い金の髪を澄んだ風に揺らして、まるでようやく自分のいるべき場所に帰れた小鳥のように。


「はは、マジで普通なんだな」


 その光景は飛べない俺にとっては驚きだったけど、彼女のような学生にとっては『当たり前』なんだろう。


 これは、なんつーか。


「随分、楽しそうに飛ぶんだな」


 眼鏡を押し上げつつ、気づけば俺は微笑んでいた。

 なぜかはわからないけど、うん。もしかしたら、さっきまで縮こまっていた彼女が、自由であることが嬉しかったのかもしれない。


 彼女は俺ともう会うことはないといった。恐らくそれは間違っていない。

 名前すら知らない相手とまた会うことなんて、きっとないだろう。


 だからせめて彼女の姿を覚えておこうと、煙草の火をつけて窓を開ける。


 ……あー、はは、これは、なんとまあ。


 雨の日は嫌いだけど、これがあるから雨は嫌いになれないんだよな。


「夜。雨。そして、ふたつの満月。くしくも条件はそろってたか」


 誰もが寝静まる時間を切り裂いて飛ぶ先ほどまでこの部屋にいた少女。

 そして、その向こうには重なるように、ふたつの朧な


 月虹。

 むかし知り合いが、雨が降った後運良く月の光が強かったら見れるんだよ、と教えてくれたっけ。


「一夜の泡沫の夢にしては、できすぎたシチュエーションだ」


 しばらく、俺は重なる虹とその向こうに飛んで行った彼女をぼんやりと見送っていた。


「じゃあな、名前も知らないどこかの誰か」


 でもやがて彼女の姿がすっかり見えなくなると、彼女のこれからを思って少しだけ笑って、虹に向かって紫煙を吐いた。




                 ◆




 次の日、新しい職場への出勤一日目。


「……で、ここに行けと言われたけど」


 言われた通り建物を進み、言われた通り階段を上って、言われた通り廊下を進んで、なんか途中よくわからん魔方陣を踏まされたあげく、えらく豪奢な部屋にたどり着いた。


 えーと、ここでいい……のかな? いいんだよな? 


 なんでより先に、こんな場所に行かされたのかはわからないが、まあこんなところで立ち止まっていても仕方ない。

 部屋に入ってみるとしよう。


「あのー、ユフィール・ゼイン学長の紹介で来たんですけど……」


 扉を開けると五つの大きな机の中、その中心にひとりでぽつんと座る少女が立ちあがった。


 かつかつ、と靴が地面を叩く音とともに彼女は俺に歩み寄り、それに従うように長い髪が揺れる。

 その、まるで宝石を散りばめたような金の髪を。


 そして、彼女は顔を上げて俺を見上げ、海を思わせる青い澄んだ瞳を開いた。


「お話は聞いています。初めまして、私はエルビス学院代表兼連合生徒会長セレナ・ステラレインと―――」


「きみ昨日俺に嫌いですって言った子だよな」


「な、ななな、なんで貴方がここにいるんですかッ!?」


 俺と彼女の目が合い、たっぷり三秒。

 突如として悲鳴に似た声を上げて、彼女がシュババッと俺から離れた。


「こ、ここには新任の先生がいらっしゃると聞いていたのですが……」


「あー、うん。それが俺。今日からこの『連合生徒会』の顧問になりました、アドレー・ウルです」


 彼女が―――今日から俺の『生徒』になったらしいセレナ・ステラレインが、わなわなと体を揺らした。


「まあ、ほら、きみは『もう会うことはないでしょう。キリッ』とまでやった後に気まずいだろうが、まあ、うん」


 なんていうか。とりあえず。


「あー、昨日のことはどこまで忘れてほしい? セレナ・ステラレイン君」


「全部! 全部忘れてください! お願いしますからぁ!」



 ―――ここは、学園都市『アウロラ』。

 魔族と戦うための『魔法騎士』を育てるために若き才能が集まる場所。


 そんな場所で俺は、落ちこぼれの生徒会長の『セレナ・ステラレイン』と出会ったのだった。



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