雨の日に拾われた少女の気持ちを求めよ②

 雨の音。湯を沸かす薬缶の音。それに混じるように、浴室から響くシャワーの音。


 俺の部屋だが、いま浴室にいるのは俺じゃない。まあこうして俺が今キッチンで紅茶を淹れてるわけなので当たり前なのだが。


「……連れ込んじまったな、学生を……しかも名前を知らん女の子を……」


 今の状況に頭が痛くなる。


 俺の提案に道端の彼女は救われたように顔を上げたが、俺の家が近づくにつれ急にもごもご言い始めた。

 この期に及んでどこかにいかれても寝ざめが悪いので、とりあえず雨が止むまではいろと言って風呂に叩き込んだのが十分ほど前になる。


 周囲から見れば完全に事案。通報されたらワンチャン釈明の余地なく手首に手錠である。


「まあでもやっちまったもんはしょうがないか」


 全て雨が悪い。そういうことにしよう。


 湯通ししていたポットに茶葉を入れて薬缶の湯を注ぎながら自分の中でそう結論付ける。

 すると、ほどなくして浴室とリビングとを隔てる薄い壁ががらり、と開いた。


「あの、上がりまし、た」


 ひょこり、と最大限自分の身を隠そうとするように控えめに俺の方を伺う少女。

 ちょっと心配になるくらい白かった肌も上気し、雨で濁っていた髪はしっとりと濡れているものの、いまでは綺麗なもんである。

 これなら恐らく風邪をひくこともないだろう。


「ん、そうか。俺はちょっと手が離せないから、ソファにでも座って待ってるといい」


「は、はい……」


「あ、髪乾ききってないだろう? タオル使いたかったら使っていいから。あと濡れた服はそこ入れて自分で乾かしていいよ。俺に触れられるのは嫌だろ?」


「す、すみません。ありがとう、ございます」


 ぎこちないお礼を口にすると、彼女はえらく緊張した足取りでソファに腰かける。

 動きに擬音をつけたらコチコチとか、ギコギコとか、ウィーンみたいな音が鳴りそうだな。


 うーん、警戒されてるなあ。


 いや名前も知らない男の家にいる女子としてはあれが健全か。むしろ死ぬほどリラックスしてた方がかえって不安になるわ。


「あ、あのっ」


 ん? 


「あの、お着換えありがとうございます。お風呂も貸していただいて」


「ああ。サイズはどう? 俺の服だけど新品だから汚くはないと思うけど」


「だいじょうぶです。サイズは、少しおおきいですけど。このくらいなら、ぜんぜん」


 俺の着ないスウェットを貸し与えたのだが、袖があまって指先しか出ていない。ズボンも裾をかなり折り曲げて引きずらないようにしているようだ。


 うーん、ちょっと危ない感じだが、本人が大丈夫って言うんだしそれを信じよう。


「それに」


 ん? 


「それに、すぐ、脱ぐんでしょうし……」


 ……はあ。子どもが何言ってんだ。

 めんどくさいし気づかなかったふりして流すとしよう。


「はは、脱ぐってなに。いまお風呂に入ったのに」


「いえ、その、だからそうじゃなくて、私の、体で……」


「きみみたいな倒れそうな女の子に頼めそうなことはないかなぁ」


 彼女は「そうじゃなくて」とかもごもご言っていたが、俺はそれ以上そこは掘り下げずに、コトリ、と彼女の前にソーサーに乗せたカップを置く。


「まあ今は座ってなよ。とりあえずほい、お茶」


「え、えと……」


「雨で冷えてたから飲みたくなってさ。一人で飲むには多いしよかったら君も飲んでよ」


「……すみません。ありがとうございます」


「ん」


 短く返事を返すと、近くから椅子を引っ張ってきて腰かけると、自分の分のカップに口をつける。

 うん、それほど衰えてないな。


「おいしい、ですね」


「はは、それはよかった。昔ちょっと知り合いにしごかれたことがあってな」


 笑いつつ、対面の少女をなんとなく観察する。


 まるで宝石を散りばめられたような金髪ブロンド。雨の中でもはっきりとこちらを見据えて来た海を思わせる深い青の瞳。肌はきめ細やかで、顔も非常に整っている。

 きっと十人見れば十人が『美しい』と言い、そのうち二、三人は彼女のことを三日ほど忘れられなくなりそうな、美少女らしい美少女。


 すこし目つきは厳しい気がしたが、それは緊張しているのもあるだろう。

 きっと少し微笑むだけで、そんな印象吹き飛んでしまうことだろう。


 なんか、借りて来た猫みたいだな。


「……ふ」


 紅茶の入ったカップに口をつけて、彼女は小さい息を吐いた。

 温かい飲み物。温かい室内。すこし、気持ちは落ち着いたらしい。


 彼女は手の中の琥珀色の鏡面をじっと見つめながら口を開いた。


「ずいぶん、慣れていらっしゃるんですね」


「というと?」


「私をお風呂に入れるまでが手早かったです。それに着替えを用意するのも。しかも私が上がってきたら狙いすましたように紅茶を出してきました。しかも私に警戒心を抱かせないように、同じソファではなく椅子を持ってきてそちらに座られました。

 ……随分、こういった物珍しい状況に際する手際がよろしいように思いました」


 じろり、と彼女が俺に視線を向ける。

 まるで「だまされないぞ」と顔に書いてあるような警戒した態度。


 困ったなあ。何と答えたものか。


「あー、まあ俺がここに連れて来たの君が初めてじゃないしな―――って、違う違う! 

 たぶん君が想像してる感じじゃないから、そんな汚いものを見るような目線はやめて!」


 ええい、そうは言っても自分で納得するまでは変わるまい。

 確か、もうそろそろあいつが俺の部屋に来るはずなんだが……。


 おっ。


「ほら、ちょうど来た。そこ、窓の方、みてみ」


「窓……?」


 俺が指をさすと、彼女はつられる様に視線を滑らせた。


 その視線は壁際、風を通すために少し高い位置に取り付けてある窓の方まで行くと止まる。

 そこにはいつの間にやって来たのか、もごもごと動く黒く小さな影がある。


「にゃぁん」


 そいつはひと鳴きすると、窓の傍に置いてあった皿の上からおいておいた猫用の餌をかりかりと食べ始める。


「ねこ、ですか?」


「ん。先週の雨の時だったかな、怪我してて連れ帰ったらすっかり居座られるようになっちまった」


「だから初めてじゃない、と」


「だな。実はあの猫の前には犬も拾った。そいつは迷い犬だったから飼い主は見つかったんだが」


「迷子を保護するのが趣味なんですか?」


「限定的すぎるでしょその趣味。そもそも嫌だよ迷子を保護するのに自分の余暇時間を使うなんて」


 ただ歩いていたら、なんとなくそういうのに出会ってしまうだけだ。

 あまりにもこういうのに出会ってしまうから、自然と『雨の日=厄介な拾い物をする』の方程式が自分の中で結ばれつつある。


「まあでも流石に犬、猫と来て、人間まで拾うとは思わなかったかな」


 眼鏡の位置を正しておどけたように肩をすくめてみせると、目の前の少女が目をぱちくりとしばたかせる。


「なら、あの子は先輩ですね」


「なんの?」


「居候の?」


「何居座る気なの?」


「あ、出ていった方がいいなら今すぐ……」


「ああ、良いって良いって冗談!」


 なんだ自分で言い出した癖にいきなり申し訳なさそうにするなよな。


 まだ雨は強い。こんな中出ていったらせっかく風呂に入った意味もなくなるし、というかそもそもまだ制服は乾いていないだろう。


「まあ君一人なんて負担にもならないよ。大人しいし、それこそそこの先輩と変わらない」


「にゃあん」


 猫の鳴き声に合わせるように笑って見せると、彼女はこてんと首を傾げた。

 だがしばらくして俺の言った意味を理解したのか、む、とわずかに頬を膨らませる。


「私はねこと同じですか」


「道端にびしょぬれで落ちてたって意味ではそうだろうね」


「私はあの子とは違います。……たぶん」


「にゃあん」


「だがこうして猫は『歓迎するぜお嬢さん』といっているようだ。仲間だと思われてるな」


「ただの鳴き声でそんなことわからないでしょう」


「表面的ではなく心で聞くのが大事だ。世界にはただ聞くだけ、見るだけじゃわからないことが山ほどあるもんだぜ、お嬢さん」


「にゃあん」


「そういう、ものなんでしょうか」


「そういうもんだよ」


「にゃあん」


 俺の言葉を肯定するように鳴いた猫に押し切られる様に、彼女は首を傾げつつ「なるほど」と呟いた。

 ちょっとちょろくて心配になってくるな……。


 雨はまだやまない。紅茶に口をつけつつ、目の前の少女がいささか心配になりつつあった。

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