第37話 純粋な悪

王座がある部屋の中。


地面に落下したシャンデリアを横目で見ながら、黒崎が小さくため息をつく。


「はぁ~…」


「うっ…」


赤いカーペットが敷かれた床の上、

黒崎の近くにいたセレナが力なく地面に倒れ込んだ。


賢者はもう魔力を使い果たしたのだろう、途切れ途切れの声で

「悪の心を持った青年よ…、お主には何も奪えまい…」

とつぶやいた。


意味ありげな賢者の言葉に耳を傾けることなく、黒崎が話を続ける。


「ツキから聞いたよ。あんたが勇者たちを別の場所に飛ばしたって」


「そうじゃ…。おぬしはどうやってここに来たんじゃ?」


黒崎が鼻で笑い、地面に横たわるセレナを指差す。


「この女の魔法でここに飛んできたんだ」


苦しそうに横たわる女性を見て、賢者が眉をひそめた。


「命の灯火が消えかかっておる…。本来であれば使うことができない魔法を無理矢理使わせたのか?」


「あぁ。この女、瞬間移動の魔法が使えないなんて言うもんだから、俺が無理やり能力を引き出してやったんだよ」


黒崎の言葉に賢者が

「なんということを…」

と声を震わせる。


「なぁ、それより、あそこにいるのは誰だ?」


黒崎が黒いマントの男を指差す。


ひび割れた壁の近くで横たわっている男は完全に意識を失っているのだろう、起きる気配はない。


不穏な空気が漂う中、黒崎が男の方に歩み寄り、

「これ、いいな。借りていい?」

そう言って男から黒いマントを剥ぎ取った。


マントを身に纏った黒崎がぐるりと回ってみせる。


「うん、いい感じだ。俺によく似合ってる」


賢者が黒崎からセレナを守ろうと、地面に横たわっている彼女の前に立った。


「じいさん。足腰、大丈夫か?」

笑いながら黒崎が言った。


落ちていた杖を拾い、賢者がふらつく体を支えるようにそれを地面に突き立てる。


「この子には指一本触れさせん…!」


自分に敵意を向ける老人。


その理由がわからず、黒崎が首をかしげた。


「なぁ、どうして、どいつもこいつも俺を忌み嫌うんだ?」


「おぬしは純粋な悪だからじゃよ」


「は?」


「目的のためなら手段を選ばない、おぬしはそういう人間じゃ。人生の中、一度でも、人の気持ちを考えたことはあるか?」


賢者が悲しそうな目で青年に問いかける。


黒崎が首を振り

「そんなこと考えて生きていくバカにはなりたくない」

と言って、黒いマントの男の腹を蹴った。


「うっ、がばっ…、がは!」


意識を取り戻した大男が激しく咳き込んだ。


それでもなお、黒崎は男の腹を蹴り続ける。


「やめるんじゃ。そんなことをして何になる?」


黒崎が蹴る足を止め、賢者の方を見る。


「なぁ、じいさん。あいつ…、木下春はどこにいる?」


「あの青年はもうここにはおらぬ…。おぬしの手の届かない場所に送ったからの、諦めて身を引くんじゃ」


「ふっ…、くく」


不適に笑う黒崎を見て、賢者が顔をしかめた。


黒いマントをなびかせながら、

黒崎が賢者の方に近づいてくる。


「他の奴らは?本物の勇者さんは、ここにいるんだろ?」


「…」


「ほら、例の警察官。ツキっていうバカ女がぜーんぶ教えてくれたよ。茶色いモンスターになった勇者はあの男だって。あんた全部知ってたんだろ?」


「…」


賢者が硬く口を閉ざし、険しい顔で黒崎の顔を見る。


「だんまりか…」


あきれた声で黒崎が言った。


「やめて!!」


部屋の大扉の向こう、長い廊下の先から少女の声が聞こえた。


聞き覚えのある声に黒崎が驚き

「どういうことだ?綾香はこいつじゃないのか?」

とセレナを見下ろし言った。


賢者は黒崎から目を逸らすことなく

「ここに来る時に魂が善と悪にわかれたんじゃ」

と静かに諭した。


目の前で横たわっている女性が綾香の善の魂だということを知り、黒崎が退屈そうにため息をつく。


「善人ほどつまらねぇもんはねぇ…」


「この娘には何の罪もあるまい。もうこれ以上、関わるのはやめるんじゃ」


賢者が念を押す様に言った。


少し考え込んだ後、黒崎が

「…わかったよ。じゃあな」

と言って、賢者に背を向け、部屋から去っていく。



「うっ…ん…」


静まり返った部屋の中、セレナが目を覚ます。


「ここは?」


不安そうに辺りを見渡す女性に向かって賢者が言った。


「お主に謝らなければいけないことがある。聞いてくれるか?」


この世界の賢者として、不運な若者たちの運命をねじ曲げてしまったことを老人は後悔していた。


本来一つであった魂が二つにわかれ、それぞれ別々の人生を歩むことになった少女。


それは、賢者にとって予期せぬ出来事だった。


人の魂は本体の体に引き寄せられ、やがて、元いた場所へ帰る。


小さな風の音が響く中、賢者の話をセレナは黙って聞いていた。


自分の存在が消えてしまうかもしれない恐怖。


その恐ろしさに負けてはいけないと、セレナが拳を握りしめる。


体の感覚がなくなっていく、そんな不快感を覚えながらセレナが賢者に尋ねる。


「あと、どれくらいで私は消えるの?」


少しの沈黙の後、賢者が言う。


「消えるのではない。元に戻るだけじゃ。お主も、この世界に転生した者たちも、全ての運命はあの男にかかっておる」


「あの男って…誰?」


瞳の中に不安を宿す女性を前に、賢者が眉をひそめ言った。


「ゴールデン・マイキー、元警察官の男じゃ」


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