眠らない。

野原想

眠らない。

家出をしたその日、私は夜の街を見た。

ピカピカ、チカチカと光るビル。無表情が並んで歩く。ガヤガヤと抜ける声と音。知らなかったんだ。私は。知ろうとしていなかったんだ。知れなかったはずのものを沢山知ってしまった。

私、もう戻れない。


10月末。10月の風がどんなものであったかすっかり忘れていた私は何となく家を出た。母に声をかけてから。

「ちょっとさ、家出するね。」

通学用のリュックを背負って、被るのは2度目くらいのキャップをさっき引っ張り出してきた。

「今から?ならお弁当持って行きなよ。お腹空くから。ちょっと待って、」

「うん、ありがと。」

なんだか少しだけ違うような気もしたが言い終わる頃にはもうさっきまで座っていたソファーをたって台所に向かっていた母を止めるセリフは出てこなかった。母に渡されたのはいつもと同じお弁当とあったいシャカシャカする上着。それと少し前まで父さんが使っていたデジカメ。

「何用?」

「母さん東京しばらく行ってないから写真撮ってきてよ」

「私東京行くって言ってないけど」

「だって母さんのパソコンで東京の電車の時間調べてたでしょ」

むすりとした顔をするのも違うと思い、ふーん、とすました顔だけをした。

「行ってらっしゃい」

ドアを抑えながらひらひらと手を振る母に振り返ってふわっと手のひらを見せる。学校に行くように出たその家はやっぱりいつもと変わらなくて履きなれたスニーカーはぺたぺたと音を鳴らす。


田舎でも都会でもない、なんとも言えない、コンビニやショッピングモールはあるけどケーキ屋とかカラオケは無いような、そんななんとも言えない私の地元。都会に来たことに関して特段の感想も感動もなかったはずだけど、そこにある夜だけは一味違った。まぁ、一味ってどれくらいか分からないけど。あ、カメラ、持たされてたんだった。って言っても何を撮っていいか全然わからない。とりあえずうちの近くに無い大きくて高いビルや目がしばしばするほどのネオン。並ぶ自動販売機。ふわっとどころじゃ無く香ってくる香水の匂いもヒールの音だって閉じ込めてしまいたかった。パシャりパシャりと撮っていくうちになんだかどこかで楽しくなってしまった。あ、あれも撮りた…とふらりと右方向に重心を寄せるとサラリーマンと肩がぶつかる。「あ、すみません…」と、ぶつかった衝撃でリュックの中に浮いていたお弁当の存在を思い出した。どこで食べればいいんだろう。よく考えなくともこんな都会の夜に来ておいてどこでどうやってどのような気持ちでお弁当を食べたらいいんだ。でもせっかく作ってくれたしな…。公園とか…?いやいや、女子高生がのんびり弁当を食う公園がそんな場所にあるものか、と自分の中で、ツッコミを入れる。でもその流れの中で何となく懐かしくもないそれを探してしまっている目に疲れを感じた。

「にゃ」

「え?」

足元に居る黒猫にしっぽを絡められている、みたいだ。正直足の方は暗くてよく見えない。でも、少しだけドラマチックなものを感じてしまった。

「いいの?」

「にゃ」

しっぽを解き歩き始めた猫について行く。見失わないようによく目をこらす。スマホのライトなんて探してつけている間に消えてしまいそうだったから。路地に入ると空き缶を蹴飛ばしたり紙くずを、踏んだりとなんだか少し楽しかった。

「にゃ」

「ここ?」

立ち止まって振り返る彼女に問いかける。

猫が振り返って体制を低くする。まあまあ、座れよ、なんて言われているようで、「あざす、」と声に出してハンカチを広げて腰を下ろす。さっきは出番がなかったスマホを取り出してライトを付ける。壁に立て掛けて、ふぅ、と方の空気が抜ける。

「にゃ」

「あ、ありますよ」

私は急かされるような弁当箱を引っ張りだした。包みを解いてパカりと蓋をあける。

「えっと……あ、」

魚の切り身を箸で掴んで差し出す。上目遣いをして綺麗な目を見せてくれたので、しっかり対価は頂いた。

「私も食べますね」

卵焼きを半分にして口に放り込む。

「あ、チーズ入ってました。一味違うってこういう事ですかね?」

「にゃぁ」

「めっちゃ美味しいです」

「にぁ」

「あざす」

ただただ美味しくて、ふっと笑いが込み上げる。

帰りたいとは、思わなかったけれど。


夜の都会、2人旅。

明後日くらいに帰ろうかな。お風呂に入りたいし少しだけ寒い。

ゆっくりと瞬きをした時の自分の瞼が重くて。

「にゃ」と横に擦り寄ってくる彼女も少し寒そうで、シャカシャカうるさめの上着を一緒に被った。

ふやぁーとあくびをした時の空気が生ぬるい。

都会ってこういう所なんだ。

東京って、こういう色なんだ。


しばらくそうしていた。

「にぁ」と温まった様子の彼女が私の服の裾を噛んで大通りへと誘う。

「わ、分かりました」

立ち上がった時に、少しだけふらっとした。

履きなれた靴で良かった。遠足のような、余計な気持ち。


まだまだ起きていた夜の都会。

パシャり。人の足元と私と彼女。

これはまた今度、母さんと来よう。

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眠らない。 野原想 @soragatogitai

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