18「生心音ASMR」

「朝やで神戸かんべ! はよ起きぃ!」


 耳元でカンカンカーンと金属音がする。


「……うぅ?」


 目を開くと、千代子が枕元でフライパンとお玉を打ち鳴らしていた。

 千代子は既に着替え終わってる。

 今日も今日とて可愛いポニーテール姿だ。


「押しかけ幼馴染モノの定番のやつ。助かるやろ?」


「助カルラスカルマダガスカル……けど、明日からはもうちょっとお手柔らかに」


「味噌汁が冷めてまう。さっさ起きぃや」


「……あい」


 スマホを見れば、時刻は6時半。


「早いなオイ。千代子、何時間寝たん?」


「3時間は寝たで」


「……ごめん」


「何でぇな。アンタはあれからすぐ寝てもたし、ウチもちょうど寝ようとしてたとこやったし」千代子が優しい。「ほら、ええから着替えて顔洗ってき。……あ、神戸は納豆大丈夫?」


「好きやで」


「関西人やのに?」


「それたぶん偏見やで」





   🍼   💝   🍼   💝





 炊き立てご飯に納豆、具だくさんの味噌汁、だし巻き卵。


「足りる?」


「十分すぎるくらいや。めっちゃ美味いし!」


 そもそも僕は朝食を摂らない派だった。

 ちゃんと入るか不安だったんだけど、食べ始めたら、あまりの美味しさにスルスルと入ってしまった。


「なぁ千代子、もしかして毎日3食作ってくれるつもりなん? 無理はせんでええねんで?」


「ウチが食いたいもんを2人分作るだけのことや。余裕ないときは外食や出前、弁当にも頼るし」


 もりもり食べながら、千代子。

 ちょっと下品なくらいの勢いで食べつつも、決してこぼしたりはしない――実に解釈一致な食べ方だ。


「早速で悪いけど、今日の夕飯はサボらせてもらうわ」


「あそっか、今日の夕方はコラボ配信やったっけ? テーマは――」


 千代子のTwitterアカウントを見て、思わず引きつる。


「ふ、腐女子3人集まれば801やおいの門開く……」


 なんてこったい、BLコラボ配信だ!





   🍼   💝   🍼   💝





 我ながら、この状況をごく自然に受け入れているな……と、食後の洗い物をしながら呆然と考える。

 改めて思い返してみれば、推しがいきなり押しかけてきて、その推しと同じ部屋で、どころか同じベッドで一晩を過ごしたんだぞ。

 フィクションかよ。

 今どきラノベでもそんな展開あり得ない。


 いっときなんて、一緒に横になって抱き締められたんだぞ?

 ……まぁ、あのときの僕は錯乱気味で、あんまし覚えてないんだけどさ。


「それにしても」すぐ隣で洗い物を拭きながら、千代子がにへらっと笑う。「昨晩の神戸、まるで赤ちゃんみたいやったで」


「なっ」


 洗い物が終わった。僕は手を拭く。

 千代子のほうも洗い物をすべて拭き終わった。

 その千代子が両腕を広げてみせて、


「ほーら」ばるん、と千代子のバストが揺れる。「ばぶちゃん、ママでちゅよ~」


「ま、ママ!? 千代子のママの僕のママが千代子!?」


「何その山本山か西尾維新。それよりも」


 千代子が微笑む。

『妖艶に』と形容するのがピッタリな笑みだ。

 高校生にできるとは思えないほど色気に満ちた笑み。

 いやまぁ、千代子が本当に女子高生なのかどうかは、知らないんだけどさ。


「ほら、昨日みたいにウチの胸でオギャらんの?」


「う、ううぅ……」


 あんな恥ずかしいマネはもう二度としたくないし、高校生男子相手に『ばぶちゃん』呼びはあんまりだ。

 けど、毎晩悪夢で飛び起きていた毎日を思えば、昨晩の安らぎは格別だった。

 あんなにぐっすり眠れたのは、今朝ほどすっきり目覚められたのは、本当に1年振り――『あの事件』以来じゃないだろうか。


「ま、ママ……」僕は控えめに、知代子を抱きしめる。


 柔らかい。

 めっちゃいい匂いする。

 っていうか千代子のバストでっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっか!! 凶器?


ちゃう違う、そうやない」


 千代子が僕のメガネを外して、僕の頭をがっつりと抱きしめた。

 僕の鼻先が、顔が、頭が千代子のでっっっっっっっに包まれる。


「わわわ、ちょっと待っ」


「あはは、喋んなや。くすぐったい。ほら、じっとしぃ。目をつむって、耳を傾けて」


 トクントクントクン

   トクントクントクン

     トクントクントクン


 な、何だろうこの安心感は。

 すっごく守られているというか、生きているというか。

 生命の目覚めを感じる。


「ち、千代子」


「赤ちゃんは」耳元で、千代子の声。「そんな喋り方せぇへんやろ?」





 ――ぶつり、と。

 僕の頭の中で、理性のちぎれる音がした。





 僕は盛大に息を吸ってから、


「オ、オ、オギャ~~ッ! オギャハァ~~ッ! ママァ! ママの中あったかいよ! ママの優しさに包まれて僕、今、生きてるぅぅ! クンカクンカスーハースーハー! ママァ! ママァハァ~~! う、生まれる! 生まれちゃう! ママから生まれちゃうぅ~~~~ッ!!」


 こうして、千代子が僕のママになった。

 僕はオギャりを手に入れた。

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