17「悪夢」

「遅刻魔くん♪」


 友柄ともがら講師の朗らかな笑み。


「今日も元気に遅刻ですか?」


 朗らかな、邪気のない、どこまでも真っすぐな笑み。


「また勝手に、教えていないロジックで実装してきたんですか?」


 聖人君子みたいな優し気な表情から出てくるのは、こちらの首を真綿でゆっくりゆっくりと締め付けてくるような、心ない言葉の数々。


「本当にキミは問題児ですねぇ。そんなんだから遅刻するんですよ。ね、みなさんもそう思いませんか?」


 気が付けば僕は、教室でひとり、立たされている。


 クスクス

   クスクス

     クスクス


 クラス全員が、僕を見ている。

 360度から向けられる、好奇の眼差し。

 ここに、味方はいない。

 僕はひとりだ。


「何描いてるの?」


 気が付けば僕は、中学時代に戻っている。

 忘れもしない、中学3年生の9月13日。


「うわー、二次元の女の子の絵? キモいんだけど」


 陽キャ組の女子が僕のノートを取り上げ、グループ内で見せびらかす。


「ほら、見てよこの絵。やたらと露出多くない? キッモ。こいつ、あたしらのこのもそーゆー目で見てんのかな。ほら、キモいよね。ねー、アリス?」


 話を振られた有栖川アリス――スクールカーストトップで、学年一可愛いと言われている女子が、


「キモいよね」


 と言って、わらった。





 その瞬間、僕の、クラスにおける立ち位置が決まった。

 有栖川アリスの、お墨付きによって。





 教室に満ちるクスクス笑い。

 味方はいない。


 その日から、クラス全員による僕に対するシカトが始まった。

 クラスの中心でほくそ笑むのは、有栖川だ。


 敵だ。

 全員敵だ。

 リアル世界にいるヤツは全員敵だ。

 敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だ敵だッ!!





   🍼   💝   🍼   💝





「――ッは!?」


 飛び起きた。

 と同時に、


 ――ゴンッ


「ぎゃっ!?」


 おでこを思いっきりぶつけた。


「??? な、なに?」


 天井だ。天井がやけに近い。

 それでようやく僕は、部屋がナゾの2段ベッドに占拠されてしまっていることや、千代子が襲来したことなどを思い出した。


神戸かんべ、大丈夫!?」


 2段ベッドの1階から千代子の声がした。

 しゃっ、とカーテンの開く音。

 部屋の電気が点いて、千代子が登ってきた。


「大丈夫や。もしかして起こしてもた? ごめんな」


「まだ起きとったから大丈夫――神戸かんべ、すごい汗!」


 言われて額に触れると、冷や汗でびっしょりだった。


「ちょっと待っとってな」


 千代子がひょいっと飛び降りて、ほどなくしてタオルを持ってきてくれた。


「うなされとった」千代子がベッドの2階に上がり込んできて、タオルで顔を拭いてくれる。「起こしてあげるべきやったわ……ごめん」


「千代子が謝るようなことじゃ……情けないとこ見せて、こっちこそごめん」


 ふと、千代子が僕の左胸に触れてきた。


「めっちゃドキドキしとる」


「ちょっと夢見が悪くて、な」


「せや!」


「え? うわっ」


 いきなり、千代子が僕を押し倒してきた。

 狭い空間で、2人、横になる。

 千代子が僕の頭を抱きしめ、破壊力の高いでっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっな胸に押し当てて、


なま心音ASMR」


 ……トクン、トクン、トクン、トクン……


 推しの鼓動が、胸に押し当てられた額越しに響いてくる。


「大丈夫や、大丈夫。今のアンタにはウチが付いとる」


 ……トクン、トクン、トクン、トクン……


 ものすごく、心が落ち着いた。

 いい歳してオギャってるという壊滅的事実に若干恐怖しつつも――――……それでも。

 1年間近く得たことのなかった安堵に、心が弛緩した。


 ……トクン、トクン、トクン、トクン……


 千代子の心音を聴きながら眠った。

 悪夢は見なかった。

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