6「592日越しの謝罪」

❖同刻 / 有栖川ありすがわ アリス❖



神戸かんべ、起きてる?」


 あーしは2段ベッドの2段目、神戸へ声をかける。

 するりとベッドから抜け出して、ハシゴに足をかける。

 今のあーし、変じゃないかな? 家から持ってきたパジャマ姿だ。


 ぎしり、とハシゴが音を立てた。

 その音があまりにも大きくて、あーしは挫けそうになる。


「上がってもいい?」


 それでも、勇気を振り絞って言葉を続けた。


「…………」


 神戸は何も言わない。

 それを消極的肯定と強引に受け取って、あーしはベッドの2段目に上がり込む。


「お、お邪魔します」


「…………」


「せっま。本当に狭いんだね、ここ」


「…………」


「ね、神戸」


「…………」


「こっち向いてよ」


 神戸の肩に手をかけ引っ張ると、神戸がこちらを向いた。

 無抵抗な体と、死にそうな顔。

 あーしは、その顔を胸に引き寄せる。


「…………………………………………な、生心音ASMR。好きでしょ?」


 恥じらいを頭の外に追い出して、ぐっと胸を押しつける。

 最初は驚いた様子の神戸だったけど、やがて静かに泣き始めた。


 愛おしさがあふれてくる。

 2人きり。

 雰囲気もある。

 ずっと待ち望んでいたじゃないか。

 言える、今なら。


「ごめん。ごめんなさい」


「――っ。何に対してや」


「中3の夏休み明け――9月13日のこと。あーしは神戸のイラストを見て、『キモい』と言ってしまった」





   🍼   💝   🍼   💝



❖同刻 / 神戸 耕太郎❖



 そう。

 思い出したくもない、地獄の始まり。

 僕の胸に、どす黒いものが広がり始める。


 ――と同時に、以外にも思っていた。


「日付まで。てっきり忘れてるものだと思とった」


 少し、刺すような言い方になってしまった。


「忘れられるわけないじゃない!」


 有栖川の、今にも泣きだしそうな声。

 僕の顔を包み込む有栖川の胸が、ひときわ強く脈打つ。


「あのときのこと、あの、じっとりとした嫌な感じ、冷や汗、教室を包み込むクスクス笑い、神戸の顔。今も覚えてる。ときどき夢に出る。ごめん。本当にごめんなさい」


 有栖川が僕の頭を撫でる。

 僕を安心させるように? 違う。彼女自身を安心させるように、だ。


「でも、分かってほしくて。あーし、このとおり実はヲタクでさ、一緒にヲタ話できる相手が欲しくてたまらなかったの。神戸に話しかけるときも、神戸が傷つかないようにって、慎重にタイミングを見計らってたんだよ。けど、陽子が……あのとき一緒にいた女子が、束縛キツくって。それであーし、怖くなって言っちゃったの。キモいって」


 有栖川の事情も分からなくはない。

 あの、ナントカ陽子さんの有栖川に対する絡み方――『執着』度合いは、何というかヤバい。

 推しにガチ恋するヲタクが、推しがちょっとでも解釈不一致なことをしたら、とたんに反転アンチになるような……そういう危うさがある。

 あのときも、今も。


「…………」


 でもさ、言っちゃなんだけど、そんなのは有栖川の都合だ。

 僕は、お前の所為でひどい目に遭ったんだぞ? 本当に本当に、ひどい目に。

 なのに、大人しく聞いていればさっきから言い訳ばかり――


「ごめん」僕のイラ立ちが伝わったのか、有栖川が再び謝罪した。「言い訳ばかりだよね、あーし。本当にごめん。あーし、今でも思うんだ。あのとき――ううん、あのときでなくても、いつだって、みんなのことを止めることができたんじゃなかったか、って。『神戸シカトするのやめろ』って、言えたんじゃなかったかって」


「ムリやろ」





   🍼   💝   🍼   💝



❖同刻 / 有栖川 アリス❖



「ムリやろ」


 神戸の、刺すような言葉。

 けれど、その響きは優しかった。


「有栖川まで一緒にイジメられるようになるだけやったと思う」


「そ、そう……かな。そう、だよね」


 自分もイジメられるかもしれない。

 安全地帯から神戸を見下ろしている自分が、イジメられる立場に転落するかもしれない――。

 それが、怖かった。怖くて怖くてたまらなかった。


「そう、なん、だよ」声が震える。涙が出てきた。「ごめん。実を言うと、あーしもそう思ってた。だから……だから怖くて! あーしの所為で神戸がひどい目に遭ってるのに、あーしは同じ目に遭うのが嫌で、助けられるかもしれない神戸のことを、ずっとずっとずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと見て見ぬフリし続けてきた。神戸を見殺しにして、同じ教室でへらへら笑ってたの! ……軽蔑した?」


「した」





   🍼   💝   🍼   💝



❖同刻 / 神戸 耕太郎❖



「――――っ」有栖川が震える。


「軽蔑した。けど、僕が同じ立場やったら、やっぱりそうしたと思う。誰だって怖いよ」


「神戸……」


 有栖川が僕の胸で泣く。

 何だか、立場が逆転してしまったな。


「コンブママ」やがて、有栖川が鼻をずぴずぴ言わせながら見上げてきた。「あーしをママの娘のままでいさせてもらえますか?」


「もちろん」


 その言葉は、思っていた以上にすんなりと、何の抵抗もなく出てきた。


「神戸」有栖川が顔を伏せる。「あーしを、有栖川アリスを許してくれますか?」


「――――……」


 けど、その言葉には、正直迷った。

 娘としての、ビジネスパートナーとしての『舞姫ヱリス』に対しては、もはや何のわだかまりもない。

 最高の娘であり、最高のチームメイトだと思っている。

 すでにもう、僕は彼女に何度も助けられた。

 きっとこれからも、何度も何度も助けられることだろう。

 逆に僕も、ヱリスの献身に応えられるだけの利益を彼女に返すべきだし、そうできると信じている。


 ――けれど。


 僕は考える。

 あの、暗く苦しい中3時代を思い返す。

 と同時に、たった今有栖川の口から聴いた話と、腕の中にいる有栖川のことを考える。

 僕の腕の中で、有栖川が震えている。

 有栖川は、これほどの勇気を発揮して告白してくれたんだ。





 それで、わだかまりは、消え去った。





「いいよ、許す」


「――!」


 有栖川が、勢いよく顔を上げた。有栖川の毛先が、僕の鼻をこする。


「はぁ~~~~……良かったぁ~~~~! 良かったよぉ~~~~!」


 有栖川が、僕の胸に頭をこすりつけてくる。

 それから、


「すぅ……すぅ……」


 え? 寝とる? ウソやろ?


「有栖川? おーい……え、マジで寝とるやん」

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