第3幕「世界全部が僕の敵」

1「逃避行」

❖金曜日 朝 / 神戸かんべ 耕太郎❖



「な、何やこれ……」


 呆然となりながらも、僕は『この件、どう説明するおつもりですか? つ動画』で提示されたYouTubeの動画リンクをクリックする。

 ただただ真っ黒な画面が映し出される。そして、





『……エッチな神戸さん…………アッアッアッ、もっと優しく…………あははっ、千代子トロ過ぎ!………イジワルぅ…………』





「なっ、これ――…」


 僕と千代子の会話!?


『あっ、マロンからや! ……うぉっ、もうこんな時間!? 夕飯うてくるわ……ウチ寿司がいい! ……あいあい…………もしもしマロン?』


「と、盗聴!? どっかに盗聴器仕掛けられとるんか!?」


「やと思う」


「ど、どこに――」


「そんなん探したってイタチごっこや。この部屋のカギな、開けよう思たら簡単に開けれんねん。住所特定されとる時点で詰みやわ」


「え……」


「せやから」千代子が荷物をまとめている。「引っ越すで、今すぐに」


「はぁっ!?」


 僕が驚いている間にも、千代子がどこかに電話をかけ、テキパキと話をつける。


「ごめん」電話を終えた千代子が、僕に頭を下げてきた。「神戸のこと、巻き込んでもぅた」


『……乙チョコ~……30分だけやけど、今日のメン限配信は……』


「この動画、ご丁寧に昨晩の配信開始んところまでぶっ続けで録音しとる。『神戸』って名前の男性とVTober明治千代子が同棲しとることと、その男性がコンブママであることまでぜ~んぶ暴露されてもた」


「動画の削除申請せな!」


「したところで無限に拡散されるだけや。とにかく今は引っ越しや。荷物まとめてくれるか?」


「う、うん」


 隣では、有栖川が青い顔をしている。





   🍼   💝   🍼   💝





 引っ越し業者の顔には見覚えがあった。

 日焼けした屈強な兄さんたちが部屋の物をテキパキと搬出していく。

 トラックを見送り、僕はボロアパートに別れを告げる。


 と同時に、タクシーが現れた。千代子が、戸惑う僕と有栖川をタクシーに押し込む。

 タクシーの運転手は慣れた様子で30分ほどかけて市街地をぐるぐる回る。まるで追手をまくみたいに。いや、事実そうなんだろう。

 最終的に、タクシーは学校の前に着く。


「アリスちゃんはここで降りぃ」


 千代子が紙袋をアリスに渡す。


「これ、ウチのやけど制服な。サイズちょっと小さいかもしれんけど、ガマンしたって。

 今日はこのまま学校に入って、放課後まで敷地内から絶対に出ぇへんこと。

 これ、警備会社の名刺。放課後になったらここから電話架かってくるから、ボディガードさんと合流してな。女性でかつ腕の立つ人を手配したるから、安心したって」


 矢継ぎ早に指示を出す千代子と、困惑した様子の有栖川。

 そりゃそうだろう。僕だって困惑している。


「ち、千代子様……?」


「ごめん」千代子が有栖川に頭を下げた。「巻き込んでしもて」


 そう言って、戸惑う有栖川をタクシーから押し出す千代子。


「ウチらは別や」


 有栖川を残して、タクシーが発進する。

 呆然と立ち尽くす有栖川の姿が、遠のいていく。





   🍼   💝   🍼   💝





 向かった先は、繁華街の隙間にポツンと存在する小綺麗なマンションだった。


「こうなった時のために、あらかじめセキュリティがちゃんとしたマンスリーマンションを借りとってん」タクシーを見送りながら、千代子。「オートロックもない上に、錠前も旧式のあの部屋は、正直不安があったから」


「マンスリーマンション?」


「月単位で借りれる家のこと。安いホテルというか、高い賃貸というか」


「あのぅ、家賃は? 僕、貯金ないけど」


 和ロックバンドへの作詞作曲費、PV作成のための有料素材費、参考資料費なんかで、僕の貯金は底をつきかけている。

『PVのための費用はウチが全部出す』って千代子が言ってくれたんだけど、『明治千代子』は僕と千代子の共同プロジェクトだから、という理由で折半したんだよね。

 ……まぁ、カッコつけたかっただけなんだけど。


「ウチが出すから心配せんでええ」千代子が頼もしく微笑む。「腐っても大物VTuberやで?」


「そんな、悪いよ」


「この件はウチの所為で神戸に迷惑かけてもた話やから、どうか気にせんで欲しい。あと、神戸の部屋の掃除と解約は『専門部門』にやってもらうから、そっちも気にせんでええ」


「『専門部門』……? なぁ、千代子、お前っていったい――」





 何者だ?





 そう。

 1ヵ月前のあの日、突如として僕の前に現れた少女。

 本名、不明。

 僕はこの少女について、ほとんど何も知らないままなんだ。


「――――……」千代子は口を開きかけ、閉じる。それから、「もうすぐ引っ越し屋が来る。行こか」


 千代子に手を引かれ、マンションに入る。

 オートロックだ。

 さっきまで住んでいた、針金でドアを開けられそうな――恐らくそうやって不法侵入され、盗聴器を仕掛けられていた――ボロアパートと異なり、セキュリティがしっかりしている。

 501号室。

 南向き。12畳はありそうな広めの1LDK。

 ここが、僕と千代子の新しい城だ。


 ――ピンポーン


 タイミングばっちりで引っ越し業者がやってきて、2段ベッドを組み立てて去っていく。

 これだけ部屋が広ければ、僕はもう潜水艦乗りみたいな生活をしなくても良いかもしれない。

 いやぁ、それにしても広いな!


「さて、今日から新章突入ってわけや。とりま、今日の夕方から謝罪配信やな」


 新居の喜びは、深刻な現実に打ち消される。


「……そうなるよな」


「ウチがコンブママこと神戸と一緒にいたってのは話す。もうバレてもてるから」


「うん」


「けど同棲してるのは話さへん。今後どんな盗聴音声が投下されるか分からへんけど、『ウチが宿泊してるホテルに神戸を入らせた。理由は原作朗読配信の打ち合わせのため。夜にはもちろん帰ってもろた』ってことで貫き通すしかない。

 あと神戸が一切ウチに手ぇ出してへんってのも話す。事実やし。神戸にはちょっと不名誉かもやけど、『3次元には一切興味がないキモヲタ』で、『好きなのはあくまでバーチャルの明治千代子であって中の人ではない』ってことにする」


「ええよ」


「よし、ほなその線で準備を――」


 テンテケテンテンテンテンテンテンテン、テン♪


 千代子のスマホが鳴ってる。


「…………げっ」発信元を見て、千代子の顔が歪む。「も、もしもし……」


『あーちゃん!! アナタこれ、どういうことなの!?』


 電話の向こうから聞こえるのは、ドスの利いた若い女性の声。

 あーちゃん、って誰?

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