17「神戸異人館街デ・ヱ・ト」
❖同刻 /
「ところで、な」千代子が少しもじもじして、「どうしても確認したいことがあるんやけど」
「
「その子。頭のオカシなDQNネームの子」
「頭のオカシなDQNネームの子て! 確かにそうやけど」
僕にとっては呪いのような名前だ。
「可愛かった?」
「……は? 顔は覚えてへんよ。マスクしとったし、前髪で目元も隠れがちやったし。だいたい、千代子以上に可愛い子なんておるわけがないやん」
「あーっはっはっはっ! 嬉しいこと言うてくれるやん。おぎゃる? おぎゃるか? いつおぎゃる?」
言って胸襟(物理)を開きはじめる千代子。
「ちょちょちょっ、外でやんなや!」
僕は慌てる。
何しろここは往来のど真ん中で、それなりの人通りがあるからだ。
「何を今さら」千代子がそのでっっっっっっっっなバストを誇張して、「いつもやっとるやん。そう、学び舎の屋上で、青空の下でくんずほぐれつ」
「言い方!」
と千代子をたしなめてから、千代子が言っていることが何一つ間違っていないことに気付き、愕然となる僕。
『学校の屋上でママの胸に顔を押し付けてオギャる』という行為の、いったいぜんたいどこに言い訳の余地があるのか。
……我ながら、大胆なことやってるなぁ。
身バレのリスクを思うなら、学校では千代子との関係は絶つべきなんだろう。
実際、有栖川には屋上でのオギャりが原因でバレちゃったんだし。
でもなぁ、僕はもう千代子の
「……い、家に戻ってから」
「あっはぁ! スケベなママやでホンマ!」
「~~~~ッ! そ、そういえば」恥ずかしくなって、僕は露骨に話題をそらす。「そのDQNネームの子、声は綺麗やったで。澄んでて綺麗なソプラノ」
「――へぇ」千代子が、何やら曰く言い難い笑顔になった。一転、意地悪っぽい笑顔に変わり、「ぷぷっ。キモいんやけど」
「うっさいねん。VTuver好きなんて、多かれ少なかれみんな声フェチなとこあるやろ」
「ウチの声とどっちが好みや?」
「そりゃ」僕は即答する。「千代子の声や」
ドスの利いた、ハスキーながらも少女らしく可愛らしい声色。
僕の考える明治千代子の声そのもの。
100%解釈一致な声。
「嬉しいこと言うてくれるやないの」
生田神社の手前、トアロード――南の居留地と北の異人館街を結ぶ、明治の外国人の通勤路が見えてきた。
ここからちょっと南下すればJR三ノ宮駅。
逆に北上すれば、北野異人館街だ。
🍼 💝 🍼 💝
トアロードを登り切り、北野通りに入る。
お洒落で和洋折衷な街並みを歩き、ハンター坂を登れば、かの有名な『風見鶏の館』が見えてくる。
「わわっ、大道芸やっとる」
館の前の広場では、ピエロの恰好をした人がジャグリングを披露している。
「観光客が多い場所やからね」
入り口で2人分の入館料1,300円を支払い、中に入る。
「ふぉぉおおおッ!? こ、これが異人館!!」千代子が限界ヲタクムーブをかましている。「千代子はこういう食堂でメシ食うとったんやなぁ」
明治千代子の家は旧藩士。
結構なお金持ちで、異人館街の外れに洋風の家を持っているという設定だ。
小説『明治千代子(の拳)は斯く語りき』を書く際には、間取りや内装は風見鶏の館をモデルにしてる。
『風見鶏の館』は1904年築であり、明治千代子が生きる1903年にはまだ存在していないわけだけど、モデルにしているだけだからセーフだ。
「ほら、これが冷蔵庫ならぬ
僕は、食堂の壁に据え付けられた食料保存庫を指し示す。
この時代、電気というものは存在していたものの、冷蔵庫というのはまだ存在していなかった。
この時代の人々は、氷室みたいに氷で食料の劣化を防いでいた。
当然、購入するにも維持するにも高価な代物で、一般家庭には普及していなかった。
きらびやかな内装を、千代子がじっくりねっとりと鑑賞していく。
僕はまぁ何度も来たことがあるから、今さら見るほどのものはない。
だから、楽しそうな様子の千代子を眺めていた。
🍼 💝 🍼 💝
2階の窓から、
「
何か突然、千代子が死亡フラグめいたセリフを口にした。
「お前、消えるのか……?」
「いや、消えはせんけども。その、あのな?」
千代子が上目遣いでもじもじする。
推しのこんな顔を見せられてしまうと、こっちまでドキドキしてきてしまう。
「ウチな、実はな――――……うぅぅ、やっぱ何でもない!」
「何やねん!」
「うっさいわ、阿呆!」
言って走り去る千代子。
マジで何なんだ???
🍼 💝 🍼 💝
とはいえ、千代子は館の外で待ってくれていた。
そのあとは、多少の気まずさを感じながらも、他の主要な異人館を見学し、帰りに南京町で肉まんと総菜を買って、家に戻った。
……オギャったのかって?
そりゃ、もちろん。
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