12「BLは明治の華?」

❖15分後 / 有栖川ありすがわ アリス❖



「はいはいはいはいは~い。おはチョコ~」


 お風呂場から、スマホで配信していた千代子様が戻ってきた。


「はい。実は今日、ウチの妹分でコンブママの【娘】でもある新人VTuber舞姫ヱリスちゃんがウチの部屋から配信してます。

 デビューってんでウチの配信環境を貸しとってん。さっきまでウチの声がやけに反響しとったんは風呂場&スマホで配信しとったからや。堪忍な。

 っつーわけでここからはウチ、ヱリスちゃんのチャンネルから喋るで」


 大人気Vの千代子様が、あーしのチャンネル・配信から喋る。

 千代子様の大・大・大ファン、信者は、すぐさまあーしの配信を開くだろう。

 ちょっとあり得ないほどにありがたいブーストだ。


『お風呂!?』

『千代子様のお風呂回はまだですか』

『ゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴク』


 さっそく、千代子様の古参ファンがコメント欄を埋め尽くし始めた。


「てなわけで、ヱリスお疲れさん。デビュー配信、どやった?」


 余裕しゃくしゃくの笑顔を見せてくれる千代子様。いかにも配信慣れしてる。

 あーしはと言えば、ほんの十数分のことだったのに、全身汗だく、丸1曲踊り上げたくらいの疲労感を覚えていた。


「ち、千代子様」


「おーおー、見事に汗だくやな。ウチにもこういう初々しいころがあったもんやで」


『汗だくヱリスちゃん可愛い』

『千代子ウソ乙』

『心臓に毛が生えてる女が何か言ってる』


「はー、どっこいせ」


 千代子様が隣に座った。

 Webカメラの設定を熟練の手つきでぱぱっと操作し、あーしと千代子様の2人分のバ美肉が画面に映るようにする。

 こういうときの千代子様は、ものすごく頼りになる。

 神戸が惚れ込むのもよく分かる。


『どっこいせて』

『オヤジくさい美少女だなぁ()』

『どっこいせ助かる。ちょうど切らしてた』


「ああっ、千代子様が動いてる!」と、これはあーしの声。多少オーバーリアクションしているものの、ほぼ「しかも隣には生千代子様!」


「様付けやめぃ。コンブママから生まれた娘同士やで」


「アッアッアッ千代子様と同じ空気吸ってる今、あーし。死んでもいい」


「キモいし重いわ!」


「あああ、いい匂い!」


『ファンで草』

『ただのファンで草生える』

『自己紹介で言ってた、千代子限界ヲタってのは本当だったか』


「匂うな! くっつくな! ええ加減にせぇへんと金玉蹴りつぶすで!?」


「女の子になっちゃう!」


『女の子になっちゃうは草』

『舞姫ヱリスは男の娘だった……?』

『何それ捗るんだが』


 場が十分に温まったところで、


『お~っほっほっほっ!』


 主役の座を奪い取ろうとするかのような耳障りな声が、画面の向こうから聴こえてきた。


『アナタがウワサの新人さんですわね? 私は明治大正組の最古参、大正ロマンの華、大正マロンですわ~!』


 由緒正しき女学生といった風なバ美肉が、画面の中に現れる。


 出た、大正マロン。

 正直言って、あーしはこの人がニガテだ。

 自分が売れるためには他人を押しのけるガッツも時には必要だと思うけど、この人のガッツは何というか攻撃的なんだ。

 ……特に、千代子様に対しては。


 そんなトゲトゲしい空気を吹き飛ばすようにして、


『こんワンは~🐶』


 陽気な声が聴こえてきた。


英吉利イギリス生まれのコロコロワンコ、カメちゃんだワン!🐶』


 明治生まれのポメラニアン、『カメちゃん』だ!

 バツグンに可愛いポメラニアンのバ美肉が画面に入ってきた。


 さらに、


『吾輩は猫である。名前はまだない』


 灰色の、まだら模様の猫が画面に入ってきた。

 猫の『吾輩』さんだ。


 明治千代子、

 大正マロン、

 カメちゃん、

 吾輩さん。


 通称、『明治大正組』。

 いずれもチャンネル登録者数数万~十数万を誇るインフルエンサーたち。

 今日からあーし・舞姫ヱリスが、恐れ多くも明治大正組の末席に座らせていただけるというわけ。

 神戸と千代子様には、感謝してもしきれない。


『今日は待ちに待ったBL朗読配信だワン!🐶』


 BL大好きカメちゃんが興奮している。


『さっそく読み始めるんだワン!🐶』


『わ、吾輩はどうすればよいのであるか……』


 オス猫の吾輩さんが白目を剥いている。


 あーしのデビュー配信兼、明治大正組のBL朗読配信が始まる。





   🍼   💝   🍼   💝



❖同時刻 / 神戸かんべ 耕太郎❖



 有栖川は――ヱリスは立派だった。

 立派に、初配信の冒頭15分を戦い抜いた。

 そりゃ盛大に噛みまくっていたし何度か誤操作もあったけど、致命的なミスはひとつもなかった。

 同時接続数どうせつ3,000人を前にあれだけ堂々とできるのは、本当、すごいと思う。


 今はもう、大丈夫だ。

 ヱリスの隣に千代子がいる。

 明治千代子は熟練の配信者。彼女が隣にいる限り、ヱリスにピンチは訪れないだろう。

 それはそれとして……


『カメはねぇ、○○センセの「鬼畜上司の菊門マジ鬼畜」が好きだワン!🐶』


 モニタの中では、地獄絵図が広がっている。

『明治大正組』の腐女子たちが、推しのBL作品について熱く語り合っているんだ。


『鬼畜上司からの無茶ぶりでムカついてる主人公が、仕返しに上司のアナにぶち込むんだけど、それこそが上司のワナなんだワン!

 上司のアナがキツすぎて、主人公が逃げられなくなるんだワン!

 そこからさらに二転三転するんだけど、最終的にはふたりは幸せなキスをして終了する、王道BLなんだワン!🐶』


 カメちゃんが画面の向こうで何か言ってる……。


 カメちゃんの名前は、なぜに『ポメ』ではなく『カメ』なのか。

 それは、明治日本人たちが洋犬のことを『カメ』とか『カメア』と呼んでいたからである。

 西洋人たちが犬に対して『Come !』、『Come here !』と呼びかける様子から、洋犬のことを『Comeカメ』や『Come hereカメア』と言うのだと勘違いしたのが始まりなんだとか。

 なので、明治生まれのポメラニアンはポメではなくカメなのだ。


『オフィスラブですわね! 分かりますわ!』


 大正マロンが笑顔で共感してる。


『マジキツキツなんだワン! 主人公の「俺、頭もチ〇コも破裂しちゃいそうです!」ってセリフが最高に滾るワン!🐶』


エロいエロティッシュ!』


 ヱリスがドイツ語で同意してる。

 ドイツ人の踊り子『舞姫ヱリス』のキャラ作りをするにあたって、有栖川は明治時代の勉強だけでなく、ドイツ語についても抑えてきたらしい。

 挨拶と簡単な単語だけだと有栖川は言っていたけれど、素直にすごいと思う。

 今も、有栖川はびっしりと単語の書かれたメモを見ながら、熟練のVたちの会話に必死に食らいついている。


 目の前にいる有栖川は、尊敬に値する。

 今まで僕が見ていた『有栖川アリス』は、僕をイジメていた糞野郎どものリーダーは、どこへ行ってしまったのだろう。

 この1年半で有栖川が変わったのか?

 それとも、何か誤解があったのだろうか。

 ……分からない。

 とにかく今は、この自慢の娘を全力で推すだけだ。


『はぁっ、はぁっ、もう辛抱たまらんワン!🐶』


『カメちゃん、目が血走っていましてよ』大正マロンが窘めるように言って、


「ヤバイッシュ!」ヱリスが白目で合いの手を入れ、


「ここ、何か獣くさない?」千代子がドギツいツッコミを入れる。


 僕は千代子とヱリスが配信している姿をベッドの外から眺めてるんだけど、千代子はすごく楽しそうにニヤついている。

 ……いい性格してるなぁ。


『あ”あ”ん”!? なんじゃい千代子、ヴィクトリア女王様に言いつけっぞワン!?🐶』


 カメちゃんが鼻先マズルに凶暴なしわを寄せて見せる。


 イギリス女王ヴィクトリア(1819年 - 1901年)は、ポメラニアンの可愛らしさに夢中になり、交配を繰り返して小型化に成功したとかいうポメラニアン狂いだ。

 つまりヴィクトリア女王は、明治を生きる小型ポメラニアン・カメちゃんのママと言える。


「狂犬こっわ」


 千代子がまたもドギツいツッコミで返すが、これはお決まりのピキり合い、プロレスのようなものである。

 事実、二人はすぐに仲良く笑い出す。


「次はウチの番や!」


 千代子がベッド内の棚から大量のBL本を取り出す。


「ウチが推すんはコレ! 『擬人化吾輩ちゃん総受け』!」


 同期の猫の『吾輩』さんを擬人化させ、総受けさせる本をチョイスするとは業が深い。しかも本人のいる前で!

 …………狂ってる…………。


「やおい穴はあるで。これはマジ」


 ねぇよ。

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