11「有栖川、Vデビュー」

❖3日後、木曜日の夜 / 有栖川ありすがわ アリス❖



「緊張する……」


 神戸の部屋のベッドの中で、あーしは身をすくめる。

 神戸のベッドといっても、いるのは1階部分。千代子様の『城』の中だ。


「あはは」隣の神戸が気楽そうに笑う。「有栖川でも緊張とかするんだな」


「するしー! 神戸、あーしのこと何だと思ってるの!?」


「ほらほら、口動かすヒマがあったら手を動かす。OBSを起動して――」


「神戸が話しかけてきたんでしょー!?」


「それにしても初手BLとは。デビュー配信がBLトークとは災難だな」


 ――そう。

 今日は、あーしこと『舞姫ヱリス』のお披露目配信なのだ!


「有栖川――んんっ、ヱリスはBL、好き?」


「BLが嫌いな女子なんていないよ、神戸――んんっ、コンブママ」


 お互いの脳ミソを、Vに切り替える。

 あーしは、体もVに切り替える。

 千代子様の私物であるワイドモニタの中で、『舞姫ヱリス』が動いている。あーしの動きをトレースしながら。


 すごい。

 あーしってば本当に、Vデビューするんだ。


「いや、BL嫌いな女子だっているだろさすがに」


「そうかなぁ」


 神戸が今、あーしにしてくれているのは、緊張をほぐすための『アイスブレイク』と呼ばれる会話。

 あーしもこの4日間で、配信のためのテクニックや段取りなんかをいろいろと学んできた。

 ……けれど、いざ本番となると、手が震えてしまう。


 ――開始1分前。


「違う! 押すのはこっちのボタン」


 あーしが誤操作しかけたのを、神戸が止めてくれた。

 マウスをつかむあーしの手を、さらに包み込むようにして。


 神戸の手は、あーしよりも少しだけ大きい。

 性別が違うからだろうか。


「ひぅっ、神戸!?」


 思わず、声が震えた。


「あっ、ごめん!」慌てて飛び退いた神戸が、「ぎゃっ!?」


 ごちんっ、とベッドの屋根に頭をぶつけた。


「ぷぷっ、何してるし」


 やっぱり、こんなひょろくて情けない神戸に男を感じるのは無理だ。

 神戸はあくまで、あーしの【ママ】。





 ……そのはずなんだ。





「じゃあ、僕は部屋の隅で見守ってるから」


 神戸が退散していく。

 Vとはいってもアイドルはアイドル。男の声なんて入った日には炎上必須。

 今日がデビューのあーしなら、炎上すらしないだろう。

 デビュー初日からずっこけて、千代子様はじめ明治大正組にさんざん迷惑をかけて、ネット世界から秒で忘れ去られるだけ。

 あーしを受肉させてくれた神戸の努力も、水の泡。


 それを十分に理解している神戸は、部屋の隅で息を殺してくれている。

 それでいて、不慣れなあーしが何か致命的なミスをしそうになったら即座に駆けつけようと、腰を浮かしてくれている。

 本当に、ありがたい。

 今、この瞬間、神戸は――コンブママは、あーしにとって本物の【ママ】だ。


 ――配信が、始まった。


「あー、あー、初めまして――ひゅっ」





 同時接続数どうせつ、3,012。





 企業所属の大人気VTuberでしか見ないようなとんでもない数字を見て、あーしはつかの間、呼吸を忘れた。

 3,000人以上が、今、あーしを見ている。

 助けを求めるように、コンブママの方を振り返る。

 腰を浮かせながらもその場に留まっていた【ママ】が、力強くうなずいてくれた。


「は、初めまして――」


 意を決して、あーしは口を開く。

 そこから先の、記憶はない。

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