9「ぎこちなくも母子」
❖現在 /
「ごっそさん。風呂行ってくる」
千代子様の、ハスキーでありながらも鈴の鳴るような声。
その声で、あーしは我に返った。
気が付いたら、ゴハン食べ終わってた。
もったいないこと、したな。
……嫌なことを思い出していた。
嫌なこと?
違う。何で他人事なんだ、あーし。
これは、あーし自身がしでかしてしまったこと。あーしの罪。
あーしはあのとき明確に明白に、
そうして自分はちゃっかり逃げおおせて、クラスの中心であり続けた。
神戸がイジメられているのをしり目に、毎日のうのうと笑いながら過ごしてきた――半年以上も!
今の神戸はもう、イジメられてはいない。
それは本当に、本っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ当に良かった。
ずっとずっと謝りたくて、でもあーしが神戸のことを話題に出すと、嫉妬した取り巻きによるイジメが加速するから、イジメを止めるように言うことすらできなくて。
……そのうちに彼は、不登校になってしまって。
結局、一度も面と向かって話をする機会を得られないまま、あーしと神戸は中学を卒業した。
高校に入ったとき、同じ学校に神戸が入っていたことを知り、あーしは狂喜乱舞した。
けど、あいつは徹底的にあーしのことを避けていて、結局、高1の間はただの一度も話ができずにいた。
2年に上がり、同じクラスになれても、状況は変わらず。
実に1年半振りに声をかけることに成功したのが、3日前のこと。
そう、神戸と千代子様の決定的瞬間を捉えて、自分をVTuberデビューさせてくれ、と迫ったあの瞬間のことだ。
「あいあい」
そんな神戸が、千代子様の手料理をパクパク食べながら、千代子様に超テキトーな返事を返している。
推しの超絶美少女による『風呂行ってくる』発言に、『あいあい』だってさ。
何ともまぁ、落ち着いたことだろう!
神戸にとって、『千代子様が自分の家で入浴する』のは日常的なことなんだ。
本当に、本当に同棲しているんだ!
あーしは神戸がまぶしくて、直視できない。
この感情は何だろう……憧れ?
そう、憧れだ。
大人気アイドルVTuber明治千代子の【ママ】。
絵が上手くて、原作小説も書ける天才。
しかも、隠れイケメン。
なんちゃってインフルエンサーに過ぎないあーしからすれば、雲の上の存在だ。
「か、神戸」
あーしの声が、震えている。
あーしはもっと、神戸と仲良くなりたい。
仲良くなって、もっといっぱい、ヱリスの衣装を描いてもらいたい。
髪を上げた神戸と、元ブラデートなんかもしてみたい。
けれどその前に、あーしにはやるべきことがある。
――謝罪だ。
神戸の中学3年生の時間は、あーしが壊した。
神戸は、あーしの所為で地獄のような中学時代を送ることになった。
神戸は頭がいい。
不登校にならなければ、内申が悪くなければ、もっともっと上の高校だって狙えたはずなんだ。
あーしがあのとき、『キモい』と言いさえしなければ、神戸はもっともっと、伸び伸びと絵が描けていたはずなんだ。
神戸の青春時代を、あーしが壊したんだ……。
「神戸、話があるんだけど――」
「あっ、あのっ!」二人きりになった途端、神戸が青い顔をしはじめた。「きょ、曲の方はどんな感じですか?」
クラスで見せる、キョドりまくりな陰キャモード。
あーしの所為で、神戸はこうなってしまった。
神戸は、あーしの『話がある』発言に被せるようにして聞いてきた。
きっとコイツは、あーしと『話』がしたくないんだ。
あーしと真剣な話をしたくないんだ。
過去のことは一切、話させないつもりなんだ……。
「あ、うん。順調です」
それも、仕方ない。
あーしはそれだけのことをしたんだから。
だからあーしは、神戸の望みどおり話題を変えた。
「昨日聴いてもらったアレの歌詞を千代子様風に修正して、曲を微修正するだけだから、来週水曜までには正式音もらえるってさ。あーしも来週水曜までには振り付け用意しておく。仮音源はもらってるから」
「お、おぉぉ……ありがとうございます!」
「今週後半から千代子様には振り付け覚えてもらって、土曜日で最終調整、日曜日で撮影。そこから先はコンブママの仕事だね」
「本当にありがとうございます! 有栖川さんのおかげで、PV間に合わせられそう!」
PVの納期は再来週の金曜日。23:59までにファイルをUPしなきゃならない。
12日後だ。長いようでいて、1つのPVを完成させるには、あまりにも短い。
けど、
「間に合わせてみせる、でしょママ」
「そう……そうだな!」神戸が調子を取り戻してきた。「でも本当に、何もかも有栖川のおかげだ!」
「そんな。あーしもママに、こんなすごいバ美肉を作ってもらったんだから、報酬分の仕事は当然。それに、あーしはもう、ママの娘」
あーしはここで、2通りの言葉を考えた。
1つは、『ママのために娘が尽くすのは当然でしょ?』という、純粋な温かさを含んだセリフ。
これは、あーしの本心だった。
今やあーしは、千代子様だけでなくコンブママも推している。
推しのために尽くすのはファンにとって当然のこと。
ましてやそれが自分の【ママ】ならば。
けれどあーしはここで、言葉を少しアレンジした。
「ママがママでいられるために、娘が全力を尽くすのは当然でしょう?」
『コンブママがもっともっと有名になってくれないと、あーしがブレイクできない』というニュアンスを含んだ言葉。
下手に温かでストレートな言葉をぶつけてしまうより、多少打算的・ビジネスライクな言葉を届けた方が、今の神戸は安心するんじゃないかと思ったから。
「そう、だよな!」
果たしてこの選択は正解だったらしく、神戸の顔色がすっかり良くなった。
「有栖川はもう、僕の娘だ! PV大会で優勝して『明治千代子』がプロになれば、千代子はますます大きなコンテンツになる! そうしたらコンブママにだって、舞姫ヱリスにだって商業への道が開けるかもしれない。僕らは運命共同体ってやつだな!」
「運命共同体!」
あまりの響きの良さに、あーしは思わずもじもじしてしまう。
それを見て、神戸ももじもじする。
「をーいをいをいをい」千代子様が、白目を剥きながら戻ってきた。「2人して、何をもじもじしとるんや」
「し、してへん!」神戸があたふたする。「千代子、風呂に行ったんじゃ!?」
「お湯、張り忘れとった」
「またかいな。もはや鉄板ネタやで」
千代子様が、あーしを見ている。何やら無言の圧、牽制めいたものを感じる。
あぁ、そうか。
千代子様はきっと、神戸のことを――。
「あ、あーし、今日はもう帰るね!」
……いたたまれなくなって、あーしは部屋を飛び出した。
🍼 💝 🍼 💝
❖十分後 / 神戸 耕太郎❖
見送ろうとする僕と、見送りはいらない、と頑なに拒否する有栖川の押し問答の末、有栖川に僕の自転車を貸す、ということで話はまとまった。
そうして部屋に戻り、『舞姫ヱリス』の手直しをし始めようとした、そのとき、
「コンブママ」
千代子が、そのでっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっなバストを僕の肩に載せてきた。
「
あからさまな関西弁で返してやると、
「ママ、アリスちゃんのこと、どない思ぅとるん?」
「ヱリス? 僕の可愛い娘やで」
「
「…………苦手や。この前、言うたとおりやん。けど」
けど。
今の僕の心には、不快感以外の感情がある。
「ビジネスパートナーとしては、信頼できる。すっごく頼りになる。PV大会で優勝するためには、あいつは必須の人材やと思う。実際、あいつはたった2、3日で曲を用意してくれた。振り付けも用意しようとしてくれとる。あいつの人脈と努力には、素直に感謝せなアカンと思う」
「あくまでビジネスパートナーとして?」
「いや、それだけやなくて」昼間の、有栖川の寂しそうな顔が頭をよぎる。「ヱリスのママとしては、できるだけ丁寧に接するつもりやで? あいつはもう、僕の大事な娘や」
「ビジネスパートナーとして、と、娘として」
「何よ。他に何かあるん?」
だから今は、『コンブママ』を通しての関係に留めておきたいんだ。
「ふぅん」
僕の答えに満足したのか、千代子が離れた。
彼女は何やらニヤニヤしていて、
「あーあ。可哀そうになぁ。ほな風呂行ってくるわ」
「何やねん、もう」
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