8「有栖川と神戸の過去」

❖暗い思い出 / 有栖川ありすがわ アリス❖



 物心ついたころからヲタクだった。

 少年ジャンプを枕に眠り、

 読み聞かせられるのは少年漫画で、

 子守歌はアニソン。

 けれど悲しいかな、あーしの気性は生粋の陽キャだった。


『鬼ごっこする人この指とまれ!』


 幼稚園時代。

 あーしがそう言うと、クラスの大半が集まった。

 そういう星の元に生まれたことが嬉しくて、あーしはクラスの中心であろうとした。


 ……それが、間違いだった。

 陽キャ世界とヲタク世界の間に、見えない、それでいて分厚い壁があることを、あーしは知らなかった。

 陽キャとヲタ活動の両立が難しいことに気付いたころにはもう、あーしの周りには陽キャによる巨大な集団が出来上がってしまっていた。


 それでも、諦められなかった。


『あーしの好きなマンガ? ワンピ好きー。ハンター×ハンターも好きだよ。富樫連載できてエライ!』


 ――ウソだ。

 本当は、ずっと応援し続けてきたなろう系のコミカライズを買いあさっている。


『次、あーしの番? じゃあこの曲入れちゃお。知ってる? 今アニメやってるやつで、オリコンにも入ってたんだよ』


 ――ウソだ。

 本当は、推しのVのオリジナル曲がカラオケに配信されて、狂喜乱舞していた。けど、この店はV界隈には無関心みたいだ。


 陽キャな友達たちはみんな、あーしに『陽キャっぽさ』を求めてくる。

 あーしがヲタっぽい発言をすると、『何か違う』という顔をする。『解釈不一致』なんだろう。

 あーしは必死に、引かれないギリギリのラインを読んで攻め続ける。

 けど、あーしの努力はいつも、水の泡となって消える。


 ワンピも好きだよ?

 大御所アーティストが歌うアニソンも好き。

 だけど、それだけじゃ満足できない。

 本当はもっとコアでディープなマンガやラノベを教室で堂々と読みたいし、個人勢のVが『歌ってみた』配信で取り上げていたVOCALOID曲を思いっきり歌いたい。


 自由に生きたい。

 束縛しないで!


『ね、それって「無色転生」のザラ?』


 そんな、諦めきれない気持ちが悪い形で表に出てしまった。

 あれは、今から一年半も昔の話。

 あーしはその日、かねてから目を付けていた男子に話しかけた。教室の最後尾でこそこそと絵を描いていた男子――神戸かんべに。

 どうしても、ヲタトークで盛り上がれる相手が欲しかったんだ。


『え、分かるの!?』


 神戸の目が、ぱっと輝いた。同族を見る目だった。

 それはそうだろう。

『無色転生』はなろうでランキングトップを走り続け、アニメにもなった超有名作品。

 だけど、ザラという女の子キャラは、書籍版『無色転生』の7巻にしか登場しない書籍オリジナルキャラ。


 アニメやコミカライズ版は知っていても、オリジナルの小説版にまでたどり着く人は少ない。

 ましてや無料で読めるなろう小説を、わざわざお金を出してまで書籍版を購入するというのは、作者に対する『お布施』的な感覚を含んだ行為だ。

 Vへのスパチャに通じるものがある。


 その作品が、そのVが続いてほしいから、盛り上がってほしいから、『推す』。

『推す』という行為の一形態として、お金を払う。

 別に無課金勢を悪く言うつもりはないけれど、課金してまでそのコンテンツを吸収するヲタクこそ、真のヲタクだとあーしは思っている。

 その作品が、その表現者が続いてくれないと、自分が呼吸もできなくなるくらい、どっぷりと沼にハマっているからだ。


 神戸は、そんな有料版作品のキャラを知っていて、資料なしに描けるほど読み込んでいた。

 そしてあーしもまた、そのキャラを知っていた。

 視線が絡み合った。

 以心伝心。


 もちろん、タイミングは慎重に見計らった。

 奇跡的に、あーしの周りから人がいなくなったタイミング。

 あーしが神戸に話しかけても、周りが見ていないタイミング。

 神戸に迷惑をかけないタイミング。

 ……そのはずだったのに。


『ちょっと、キモオタ~』


 自称あーしの親衛隊1号・陽子が目ざとくあーしを見つけ、嫌な絡み方をしてきた。あーしがそのとき、一番してほしくない絡み方だった。


『アリスに近づかないでよ。キモ菌が移るでしょ?』


『陽子、ちが くて』


『そ、そうだよ! そっちから話しかけてきたんじゃないか!』


『「ソ、ソウダヨ! ソッチカラハナシカケテキタンジャナイカ!」だって。キモイ。キモイキモイキモーイ! 喋んないでよ。耳から感染しちゃうでしょ』


 陽子の、陰キャに対する絡み方はひどく攻撃的だ。

 本心では、すぐにでも反論したかった。神戸を擁護したかった。

 でも、


『っていうか何描いてるの? うわー、二次元の女の子の絵? キモいんだけど』


 陽子が神戸のノートを取り上げた。


『ほら、見てよこの絵。やたらと露出多くない? キッモ。こいつ、あたしらのこのもそーゆー目で見てんのかな。ほら、キモいよね。ねー、アリス?』


『ひゅっ……』


 と、あーしは息を飲んだと思う。

 陽子の、ひどく冷たい目。

 あっという間に集まってしまった、クラスの視線。


『え、もしかして』陽子の目が嗤っていた。『アリスって、こういうの、好き?』





『そ、そんなことないし! き、キモいよね!』





 と、あーしは言ってしまった。

 途端に、クラス中が爆笑したのを覚えている。

 ……あーしは自分の影響力を、そして陽子があーしに向ける羨望と嫉妬心をナメていた。


 その日から、神戸に対する苛烈なイジメが始まった。


『先生も気を揉んでいるんだが』と、頼りにならない担任は言った。『まぁ幸いにして、先生のころのような積極的なイジメではないようだから。それに、受験のこの時期に、事を大きくするのもなぁ……。と、とにかく! この件は先生が責任を持って見ておくから、有栖川は心配するな』


 積極的なイジメではない?

 クラス全員からシカトされ、授業で当てられて何かを発言すれば、教室中がクスクス笑いに包まれる環境の、どこが『積極的なイジメではない』んだろう?

 何が『幸いにして』だって言うんだ?

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