7「有栖川、受肉する」
❖2日後、日曜日の午後 /
土曜日のことは、記憶が曖昧だ。
とにかく緊張してた。
音楽スタジオの唇ピアスな店員さん相手にビビりちらし、
『きっとタバコと酒とモヒカンの巣窟なんだ』と思っていたら意外と分煙されていることに驚き、
有栖川が紹介してくれたバンドの、あまりのうまさに驚き、
そしてスピーカーから飛び出す爆音に飛び上がった。
そもそもドラム!
太鼓ひとつであんなにうるさいのに、それをかき消すくらいどでかいギターとベースの音。
さらにボーカル。
女子大生のボーカルは、マイクなしでもバカみたいに声がでかかった。
あんなに声のでかい人は、初めて見たよ。
――そんなこんなで、今は日曜日の昼下がり。
「ふぉお~~~~ッ!?」有栖川がギャルらしからぬ声で興奮している。「ママ、これがあーし!?」
「ラフだけどな」
僕は今、自宅で有栖川アリスのバ美肉『舞姫ヱリス』を描いている。
金髪碧眼。有栖川のようにダンスが上手いドイツ人美少女で、森林太郎(森鴎外)を追いかけて日本にやってきた、という設定のV。
正確に言うと、ヱリスの相手は森林太郎じゃなくて『太田豊太郎』という架空の人物だけど。
「うそうそうそ、信じらんない! 素敵すぎてヤバい。ヤバみが深い!」
有栖川が僕の両肩に手を置いて、ぐいぐいとモニタをのぞき込んでくる。
「ちょっと、くっつくなって!」
有栖川の腕とか胸とか胸とか胸が肩に当たってきて、僕は気が気でない。
すると有栖川が、ぱっと離れて、
「ご、ごめん。邪魔だったよね」
一歩引いてくれる。
「あ、うん」
何というか、有栖川はいちいちパーソナルスペースが近いヤツなんだけど、でも指摘したらちゃんと正してくれるんだよね。
礼儀も正しい。要所要所で、僕に【ママ】として敬意を払ってくれる。
ガサツでデリカシーのないヤツだとばかり思っていたけど、僕の勘違いだったらしい。
……いや、僕はコイツのことを毛嫌いするばかりで、コイツ自身のことを見ようなんて、これっぽっちもしてこなかったんだ。
「をーい」
千代子が彼女の城から首だけ突き出して、ジト目で見てくる。
可愛い。
「アンタら、何をそんなに見つめ合ぅてるん?」
「「見つめ合ってへんし!」ないし!」
「い、息ぴったりやん……」
千代子が白目を剥いている。
僕も白目を剥く。
千代子は、僕の全てだ。重いと言われようがキモいと言われようが、それが本心なんだ!
「僕の推しは千代子だけや! 他の女のことなんて知らん!」
「あー……」千代子はまんざらでもなさそうにしてから、「ありがと。けど、ママとしては娘のことは平等に見たりぃ」
「え? ――あっ」
言われて、気付いた。有栖川の、寂しそうな顔に。
Vにとって、【ママ】の存在は大きい。とても、大きい。
演者がどれだけ望んでも、【ママ】が描いてくれなきゃ受肉できないし、新衣装も得られないからだ。
Vにとって【ママ】とは――文字通り――自分の姿かたちを好きに決めることができる、絶対的存在。
そんな【ママ】に嫌われるというのは、Vにとっては死刑宣告にも等しい。
……僕は今、有栖川に対して何と言い放った?
「ご、ごめん、有栖川――いや」僕は努めて優しく微笑む。「ヱリス。安心してくれ」
そうだよ。
有栖川といろいろあったのは事実でも、それはもう前世(受肉前)の話。
今のコイツは、ヱリス。僕の可愛い【娘】だ。
「ヱリスのバ美肉は全力で描く! お披露目配信も最高の形で用意してやる! デビュー後も全力で推す! だから、もう少しだけ待っててくれ」
有栖川が微笑んだ。
🍼 💝 🍼 💝
4時間後――。
「で、できた……ほら、有栖川」
設定を終えた僕は、有栖川を千代子の城の中へ招く。
有栖川がWebカメラの前に立つと、
「どんな感じ?」
「う、動いてる! あーし、動いてるぅううう!!」
有栖川のバ美肉『舞姫ヱリス』が有栖川の動きに合わせて、画面の中で動いている。
よし、よし。まだまだ細部は甘いけど、それは動かしながら課題として洗い出していこう。
「それで千代子、ヱリスのお披露目配信なんだけど」
「うん。今、明治大正組から、ヱリスちゃんを招待する許可が取れた。初配信は4日後、木曜日20時からな。冒頭15分はウチらがダベっとるから、ヱリスちゃんはその間に自分とこの枠で自己紹介。その後、ウチらと合流や」
「えっ、何の話!?」有栖川が慌てている。
「お披露目配信。個人勢は伸ばすの大変やから、明治大正組にブーストかけてもらうんよ」
「あ、あの……」有栖川がもじもじする。「あーしも、千代子様の妹分名乗って千代子様の人気にあやかれたら、とか、そういう下心があったのは確かですけど……そ、そんな、そこまでしてもらっちゃっていいんですか?」
「ママ特典ってやつだな。プロ勢だって、人気イラストレーターに発注してその人気にあやかろうとするんだから。『コンブママ』はアマチュアだし新参者だしまだまだ弱小勢だけど、まぁ、このくらいは」
「ありがとうございます、コンブママ!」
「ふふん。まぁ、せいぜい謝意は示すことだな」
「ありがとうございます! 肩、揉ませていただきますね!?」
「わっ、ちょっ、くっつくなって! 違う違う! 僕に直接示すんじゃなくて、Web上で明治大正組や千代子、コンブママに謝意を示せってこと」
「でも、神戸に直接示しちゃダメってわけじゃないでしょ?」
と言って、手をわきわきさせながら僕ににじり寄ってくる有栖川。
「わっ、へ、変なとこ触るなって! や、やめっ、あ、前髪に触んな! やめっ、やめろー!!」
「をいをいをいをい、仲良しやなぁアンタら」
「「仲良しなんかじゃない!!」」
「と、とにかく!」僕は顔を隠す。「有栖川はすぐに『ヱリス』名義のTwitterアカウントを作成! 原作の『舞姫』を10周して明治時代の日本とドイツのことを勉強しつつ、ヱリスのキャラを造ること」
有栖川に森鴎外『舞姫』と、夏目漱石『吾輩は猫である』、明治時代をさくっと学べる歴史書の何冊かを渡す。
それから、明治・大正をテーマにしたマンガを大量に。
「そんでこれが『舞姫』の映画版。こっちは大河ドラマ『坂の上の雲』。それからそれから――」
「ちょちょちょっ、そんなに
「「許さん」」
僕と千代子の声が重なる。
「……え?」
有栖川がおびえた顔をする。
「許しません。徹夜してでも読み切って、鑑賞し切ってください。時代モノのなりきりVをナメないでください」
「せやで。やるからには覚悟をキメることや。ウチらの早口明治うんちトークについてこれるまでは、表に出させへんで」
「で、でも、お披露目配信は来週末でしょ!?」
「そう。つまり、問答無用」
「あと一週間でウチらと同等の知識量になってもらうってわけや」
「ひぃっ。あ、あの、デビュー日を遅らせるっていうのは……?」
「次に」千代子が頭を振る。「明治大正組が全員集まれるんが、いつになるか分からへん」
『明治大正組』とは、明治・大正時代をテーマにしたVTuber、
明治の華にしてバイオレンスとオギャり担当『明治千代子』
大正浪漫美人の『大正マロン』
BL大好き犬の『カメちゃん』
紅一点ならぬ黒一転、猫の『吾輩さん』
の4人のことを指す。
いずれも個人勢で、コラボする機会の多いメンバーだ。
みんな人気急上昇中で、忙しい。次に全員が集まれるのは、数ヵ月後か半年後か。
「それともピンでデビューするか?」
ピンでデビューするとはつまり、明治大正組の人気にあやかれない、ブーストしてもらえないということ。
「い、いえ!」千代子の問いに、有栖川が覚悟を決めた顔でうなずいた。「死ぬ気で勉強してきます!!」
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