5「ママの【ママ】は僕」

❖同刻 / 神戸かんべ 耕太郎❖



「はーっ、はーっ、はーっ……」


 僕はカギを閉め、ドアに額を打ちつける。

 震えながら肩で息をしていると、背後から千代子に抱きしめられた。


「ほら、ウチの部屋に来ぃ。生心音ASMRしたる」


 千代子に手を引かれ、彼女の部屋に入る。

 横になり、千代子に抱きしめられる。


 トクントクントクン

   トクントクントクン

     トクントクントクン


 心がすーっと楽になっていく。

 千代子は、僕のママだ。

 千代子さえいれば、僕は――


「うぅ……うぅぅぅ……」


「ガマンせんでええ。泣きたいだけ泣いたらええよ」


 背中をぽんぽんと撫でられる。

 僕は泣いた。





   🍼   💝   🍼   💝





「ん……」


 いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。

 カレーの匂いがした。


「千代子……?」


「ちょうど良かった。夕飯できたから起きぃ」


「うん」


 千代子が優しい。


「美味いか?」


 僕が食べはじめると、千代子が僕の机に頬杖をついて微笑みかけてくれる。


「千代子は食べへんの?」


「食うけど、今は神戸が食うてるところ見てたい」


「んな、リアル保護者みたいな」


「ウチはアンタのママやからな」


 癒されていく。

 千代子は、嫌なことを全部忘れさせてくれる。


 千代子は、僕の太陽だ。

『ゼロPV』という地獄の沼から僕を引っ張り上げてくれて、僕を照らしてくれた太陽。


 そう、思っていたのに……。





   🍼   💝   🍼   💝



❖同日21時 / 神戸かんべ 耕太郎❖



「……神戸さん」


 僕のあとにお風呂に入った千代子が、髪を下してメガネをかけ、珍しく陰キャモードで話しかけてきた。


「今、少しお時間いいですか?」


「う、うん。何?」


 初めてのパターンだ。

 ……何か、嫌な予感がする。


 うつむきがちな千代子が、意を決したように顔を上げ、


「有栖川さんの提案を、受け入れてはもらえませんか!?」


「なっ……」


 途端、胃がきゅぅっと痛くなる。

 有栖川を――僕を地獄に叩き落とした女を仲間に引き入れろ、だって!?


「僕がアイツのことをトラウマにしてるって、知っとるやろ?」


 絞り出した声は、自分でも、ぞっとするほど冷たかった。


「で、ですが……」千代子の声は、震えている。「こ、このままだと、千代子が終わっちゃう。私と神戸さんの千代子が」


 千代子が泣いている。

 僕のママにして【娘】の、千代子が。


 確かにカネもコネもない僕たちでは、このスケジュールで曲とダンスを用意するのは非現実的だ。

 有栖川の提案は、まさに渡りに船……僕の心情を除いては。





 ――僕は、明治千代子に心酔している。





 千代子モードの千代子が僕に命令したなら、僕は嫌々ながらも有栖川をチームKNBコンブに招き入れただろう。

 けど、千代子はそうしなかった。

 僕の自由意思を尊重したうえで、対等な立場でお願いしてきた。


 ――なぜ、そんなことを?


 ドライに見れば、『僕が自発的に動かなければ、PV大会で優勝できるようなクオリティは出ない』という判断によるものだろうと思う。

 もう少し感傷的に捉えるならば、僕のママとしての、僕に対する優しさなのかもしれない。


 ……………………本当に?


 これだけの危機的状況下で、僕の感情に配慮するような余裕なんて、千代子にあるのか?

 思えば僕は、本当の千代子を知らない。

 知らないんだ。

『明治千代子』の皮を被った千代子以外の彼女を。

 彼女の本名すらも。


 僕は今まで、陰キャモードの千代子のことを『ポーズ』、『営業』だと思っていた。

 ……本当に?

 目の前にいる千代子の、震える姿は、流す涙は、本当に全部演技なのか?

 千代子は、千代子を演じる中の人は、本当はもっと繊細な人物なんじゃないか?

 もしそうだとしたら、僕はどうすべきなんだ?


 ――幻滅?


 違う! 違うだろ!?

 僕は誰だ!?

 コンブママだ。

 千代子の【ママ】だ!

【娘】が助けを求めているのに、手を差し伸べずして、何が【ママ】だ!?


「分かったよ」


 声の震えを上手く隠せたかどうかは分からない。

 だけど僕は、そう言った。言うことができた。


「僕は千代子のママや。トラウマが怖くて娘のお願いが聞けへんなんて、そんな情けない姿は見せられへんよな!」


 千代子が顔を上げる。

 安心したような、弱弱しい笑顔。

 きっとこれが、千代子の『素』なんだろう。


「ところで、これはあくまで念のための確認なんやけど」


「はい」


「もし、PV大会をブッチした場合、どないなるん?」


「『PV大会優勝』という条件を満たさないまま神戸住みを続けようとした場合、速やかに東京へ連れ戻す、と。親はそう言っています」


「……なるほど」


 そう、千代子は東京在住。

 過去の配信でも、そのことは明かしている。

 千代子が東京に連れ戻されてしまったら、僕らの幸せな共依存生活は終了する。

 つまり、PV大会で優勝する以外に、この生活を続ける方法はないんだ。


 そのことを確認できて、改めて腹が決まった。





   🍼   💝   🍼   💝



❖翌日、昼休み / 神戸かんべ 耕太郎❖



「えっ、いいの!?」


 屋上にて。

 有栖川の提案を飲む旨を伝えると、有栖川が驚いた顔をした。

 有栖川は朝から挙動不審気味で、僕が『屋上で話がある』と声をかけたときもビビりちらかしてる様子だった。

 ……まぁ、当然だろう。

 僕が昨日あれだけ、醜態をさらしてしまったんだから。


「うん。だけど、バ美肉製作はPVより優先度低めになるってことだけは了承してほしい」


「そんなの当たり前だし! うわぁ~っ、めっちゃ嬉しい!」


 有栖川が僕の手を握ろうとして、手と手が触れ合う直前にぴたりと止まった。


「あ、あはは……ごめんね、神戸。あーしったらまた」


「い、いや」


 有栖川がぎこちなく1歩、2歩、3歩と退いてから、はにかむように笑う。


「とにかくそういうことなら、さっそく先輩の和ロックバンドに話つけるね!」


 言うなり有栖川が、碧と黒のネイルの載った指先を駆使して、たぽぽぽぽぽ……とスマホに文字を打ち込みはじめる。


「――――……」


 何となくまぶしいような気持ちで有栖川を眺めていると、


「……コぉンブぅマぁマぁ~?」


 背後に控えていた陰キャモードの千代子が、やや千代子モードの載った、ドスの利いた声で呼びかけてきた。


「は、はい!」


「浮気は許さんからな……」


「もちろんです! 僕のママは千代子ママだけです!」


「なら良し」


 ……というか、有栖川みたいな母性のかけらもないような相手にオギャるとか、世紀末になってもあり得んわ。


「連絡ついたよ! 試演奏するから明日――土曜日の午後にスタジオ来いだって!」


「「えっ!?」」


「千代子様のキービジュアルとPVのイメージ元になるような配信切り抜きくれってさ。今日中にできる? できるよね? ――あーしも先輩もめぇっちゃ骨折るんだから、できないとは言わせないよ? あ、コレ先輩のメアドとTwitterアカウント。ファイルはメールで送ってね。あとメールするときはCCにあーしも入れて」


「「えぇえええええええっ!?」」


 あまりの急展開に、びっくり仰天な僕と千代子。


「は、ははは……有栖川様、本当にありがとうございます。学校終わったらソッコーやるんで、9時までには提出させていただきます、と先輩様にお伝えいただけますか」


「りょ」


 たぽぽぽぽぽぽぽぽ。

 ――ムーッムムッ


「『りょ』だってさ」


 はえぇええええええ!! 早いよ!!

 ……スクールカースト1位、リア充の女王、インフルエンサーの底力を見た気がする。


「そんなわけで、神戸と千代子様は明日の土曜日、14時にJR三ノ宮駅の南口で集合ね」


「えっ!?」


 と、これには僕がビビりちらかす番だった。


「どーしたし、神戸?」


「アッイヤソノゥ……スタジオなんて行ったことないっていうか」


「だから何」


「千代子が行ってくれれば僕は留守番でもいいんじゃないか、とか」


「千代子様、どう思う?」


「却下やろ。PV作る本人がぇへんでどないすんねん」


「ですよねー」


「でも! 着ていく服がないし!!」


 バンドなんて陽キャオブ陽キャ、パリピがウェーイしながら酒にタバコにバクチにオンナしてる世界だろ!?

 そんな陽の空気に充てられてしまったら、陰キャな僕は消滅してしまう!


「「ほほぅ」」


 オンナ2人がわらった。


「千代子様、聞き間違いですかね? 神戸が今、『着ていく服がない』って言ったみたいなんですけど」


「ウチもそう聞こえたなぁ。着ていく服がないんなら――」


「買いに行くしかぁ――」


「「ないよなぁ?」ねぇ?」


 かくして急遽、放課後ダブルデート(ただし男は僕ひとり)とあいなった。





 ……僕の運命やいかに。

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