2「天敵にバレてしまった。どうすれば」
❖数十分後 /
どうしてこんなことに――。
下校の道すがら、僕は頭を抱える。
後ろからは陰キャモードの千代子と、
――有栖川アリス。
僕の天敵。
中学時代、コイツに僕のイラストを見られ、『キモい』と言われてから、僕はひどい目に遭った。
本当に本当にひどい目に……。
コイツは僕の敵。
トラウマの象徴。
絶対に近付きたくない相手・ナンバー1。
ガサツでワガママで自分を中心に世界が回ってると本気で思い込んでて、実際、取り巻きが有栖川を女王様みたいに扱ってる。
僕のことなんてきっと、キモヲタとかゴミ、道端の石ころくらいにしか思っていないんだろう。
天性の陽キャでリーダー気質で、それゆえにサイコパス。
自分がどれほど大きな発言力を持っていて、自分の何気ない一言で周囲の人間が……僕がどれほどの被害を受けるのかなんて、まるで想像の外。
だから僕は、コイツからは距離を取り続けておきたい。
コイツの何気ない一言でこれ以上、人生をメチャクチャにされたくないんだ。
だというのに、コイツは事あるごとに僕に近付こうとしてきて、その度に僕は全力で逃げ回ったんだ。
そうして逃げ回ること、1年と半月。
――僕はついに、捕まってしまった。
千代子の正体をクラスに知られるわけにはいかない。
千代子がVTuberだとバレたら、イモづる式に僕が
それがバレてしまったら、同棲生活がバレるのも時間の問題だ。
アイドルに、男の影なんて絶対にあってはならない。
千代子に同棲相手がいるなんてことがバレたら、炎上必死。
事実は最悪の形で拡散し、配信は『千代子のメンバーやめました』コメで吹き荒れるに違いない。
だから何としてでも、有栖川の口を塞がなければならない。
『お願いだ! クラスの連中にはバラさないでくれ!』
という僕の必死のお願いに対し、有栖川は、
『いいよ。ただし、あーしをママの仲間に入れてくれたなら、だけどね』
と言った。
僕は迷った。
迷いに迷って、その場では回答を保留にした。
幸い、有栖川は保留の提案を受け入れてくれた。
代わりに、今日の配信を見学させろと要求してきたわけだ。
「いいか、有栖川。絶対に、絶っっっっっ対に声を出すなよ?」
学校から徒歩10分のボロアパートに到着し、カギを開けながら、僕は背後に向かって言う。
「何ソレ。何か『エッッッッッッッッッッ』な感じだね」
「はぁっ!? こ、このっ、クソビッチ」
「ビッチ言うなし」
「ここは僕と千代子の城なんだ。ホントはお前なんか入れたくないんだからな」
「つまりあーしは百合の間に挟まるオトコ役ってわけだね」
「誰が百合だ!?」
2人で言い合っていると、
「……ふふ」と陰キャモードの千代子が笑った。「おふたりとも、仲がいいんですね」
「「誰がこんなヤツと!?」」
「ほら、息ぴったり」
🍼 💝 🍼 💝
「お邪魔しまーっす」
「邪魔するなら帰れよ……」
「はいはい」
有栖川が中に入ってきた。
僕と千代子だけの城に『異物』が入り込んできた感覚に、吐き気を覚える。
イジメられた過去が胸の奥から湧き上がってきて、今すぐ有栖川を追い返したくなる。
が、
「……あれ?」
有栖川が靴をきっちりと揃えるのを見て、思わず首をかしげてしまった。
「なぁに?」
「あ、いや」
てっきり、脱ぎ捨てるものだと思ってた。
変なところで女子というか……調子が狂うな。
「着替えてきますね」
千代子がベッドの1階に入り、カーテンを閉める。
すぐに衣擦れの音が聴こえはじめる。
「えええっ!? ホホホホントに同じ部屋に住んでるの!?」
「道中で説明しただろ」
「い、いや、でもこれはさすがに……」
真っ赤になる有栖川。
有栖川はこういうのに慣れているものだと勝手に思っていた。
男慣れしているんだろう、と。
けど、耳の端まで真っ赤にしてカーテンと僕の顔を交互に見る有栖川は、そんな風には見えない。
「かーんーべ!」
そのとき、メガネを外してサムライポニーテールにした千代子モードの千代子が、カーテンの間からずぼっと顔だけ出してきた。
「のぞきなや?」
「誰がのぞくかボケぇ!」
「きゃぁ~~~~っ!! 夢にまで見たナマ千代子様!!」
僕は荷物を置いて台所へ。
「コーヒーと緑茶と紅茶があるけど」
「千代子様は何飲むんですか?」
VTuber千代子に対しては敬語な有栖川。
「ウチは緑茶」
「じゃ、あーしも緑茶で。――手伝う」
「いいよ、座ってろ」
「そんなわけにはいかないし」
手狭な台所に有栖川が入り込んでくる。
……2度目の違和感。
こういうとき、有栖川って取り巻きたちに働かせて自分はふんぞり返ってるものだと思ってた。
「あっ、コップがない」
この部屋には僕と千代子の2人分しか食器がない。
「コンブママ、昨日届いた検品
カーテンの中から千代子の声。
「ええんか?」
「大切なリスナー様をお招きしてんねんで?」
「りょーかい」
食器棚からコップを取り出すと、
「わわわっ、これって!?」
有栖川が大興奮な様子で食いついてきた。
「4月5日の配信で千代子様が言ってた、千代子様柄のコップ!? あえて千代子様のイラストを描かずに『概念』を描く、をテーマにコンブママがデザインしたっていう!?」
配信日まで覚えてるなんて!
道中で話してたんだけど、有栖川が生粋の千代子ヲタというのは本当らしい。
「詳しいやん。アリスちゃん、ホンマにウチのファンなんやな」
千代子が出てきた。
矢絣模様のTシャツにエビ茶色のミニスカートという、VTuber明治千代子の着物と袴を思わせる衣装。
有栖川が頭上に『!?』という記号でも表示させたかのようなリアクションを取り、それから千代子柄コップをすっと机に置いてから、
「きゃぁあ~~~~っ!! 千代子様!!」
飛び跳ねる。
とここで、僕は3度目の違和感を覚える。
興奮した様子の有栖川だけど、コイツはコップを割ったりしないようにちゃんと配慮している。
――コイツは、気配りができるヤツなんだ。
『ガサツでワガママなサイコパス』という印象は、僕が有栖川に対して勝手に抱いていただけだったのかもしれない。
見てのとおり騒がしくてやかましいけど、何というか節度がある。
「さ、触ってもいいですか!?」
そんな有栖川が手をワキワキさせながら、ヲタク丸出しムーブをかましている。
「ええで」うなずく千代子と、
「ゆっくり、優しくな」注意する僕。「いきなり顔とか触ったら、噛まれるから」
「ウチは狂犬か!」
「ぁいたっ!? 食器持っとるときに叩きなや!」
……まったく。
千代子の方が、よほど行動に問題がある。
まぁ千代子がこういう行動に出ること自体は解釈一致なんだけどさ。
「はぁ~。千代子様の生声が脳にしみる。ファッションチョイスも素晴らしい」
「解釈ぅ?」と千代子。
「一致しまくりです! ヤバみが深い! 尊い! あ、これお茶です!」
「オチャヲノミマス」
「きゃぁああっ! 千代子様がお茶を飲んでる!」
「そこは『お゛前゛も゛水゛を゛飲゛む゛の゛か゛ぁ゛ぁ゛!?』やで。――ほなウチは配信準備に入るから」
「はぅ~……」
有栖川がくねくねしてる。
何だよ『はぅ~』って。
ちょっと可愛いじゃないか。
いや、本当にほんのちょっとだけね!?
「それにしても神戸」
「
「ぷっ。それよ、それ。千代子様の前だと、関西弁になるんだね」
「わ、悪いかよ」
「ううん、可愛い」
「なっ……!」
「千代子様の口調が移っちゃったのかな? お母さんから言葉を覚える赤ちゃんみたい」
「まぁ、千代子は僕のママやからな」
「キモ……そこは否定しないんだね」
「そもそも千代子のセリフは全部僕の頭の中から出てきとるんやから、関西弁なんは当然やん」
と、そこまで話しておいて、ふと考える。
僕が強い関西弁を喋るのは、千代子との強いきずなを感じていたいからだ。
そんな僕の関西弁を有栖川なんかに聞かれてしまうのは、なんか嫌だ。
僕と千代子の世界を異物に汚されてしまうような……さすがに考えすぎか? 重い? キモい?
まぁでも、今も有栖川に関西弁をからかわれてちょっと腹が立ったし、有栖川の前では関西弁は封印することにしよう。
「そう、それ! コンブママ! 本当に神戸がコンブママなんだよね!?」
「キモヲタの言うことなんて信じられないって?」
「そ、そんなことは……」
有栖川の、傷付いたような顔。
憎い相手だけど、美少女が僕の言葉で悲しそうな顔をするのは気分が悪い。
「はぁ……仕方ない。何か描いてやるよ」
「えっ、いいの!?」
「配信開始までまだ時間あるし」
僕はPCを立ち上げ、液タブを取り出す。
この液晶タブレットは10万円もする超高級品。
半年ほど前に、僕の熱烈なファンである『月乃ウルフ』さんから贈っていただいた、僕の宝物だ。
アマゾンの『
「いや、時間あるって言ったって、配信までもう5分しかないじゃん」
「誰に向かって口を利いてるんだ? 僕は、コンブママだぞ」
Photoshopのまっさらなキャンパスに、さらさらとデフォルメ千代子を描きはじめる。
「わ、わわわ!? ホントに千代子様だ! 神戸、本当の本当にコンブママだったんだ!」
「ふふん」
有栖川からの、尊敬の眼差しがまぶしい。
デフォルメ千代子が仁王立ちしている絵が完成しかけたそのときに、
「2人とも。配信始めるから静かにしといてや」千代子が声をかけてきた。「アリスちゃんは、ウチの部屋の端っこで見ときぃ。くれぐれも声は出さへんようにな」
配信が始まる。
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