第3話 マジカの夜明け②

 その日の夜、商業の街フォルクの一角にある酒場にアリシアの姿はあった。


 軍学校はかなり規律が厳しく、生徒が労働に従事することは認められていない。しかし、「先の大戦」で実家が多額の借金を抱えたアリシアは放課後の自由時間を酒場での給仕の仕事に充てていた。


 アリシアの実家は片田舎の男爵家である。片田舎と言っても主要幹線に位置する街の比較的名の知れた名士で、田舎臭い家では無い。

 帝国の近代化に伴う封建制度の緩みの余波を受け、年貢を生活基盤にすることが難しくなったアリシアの祖父は新たに紡績の仕事に手を出した。

 結果、事業は成功した。

 国内に複数の工場を持ち、廉価な布製品から貴族の馬車の装飾までを手掛け、その名は全国に知れ渡った。

 その矢先の、「先の大戦」である。


 海外からの原料の仕入れは滞り、複数の工場が戦禍に巻き込まれた。

 復興には費用がかかる。しかし、資産は灰と化した。アリシアの父は民衆向けの事業から撤退し、複数の機関から融資を受けて事業を立て直している最中なのである。


 この国には、貴族向けの学校もある。彼女にそこへの憧れが無かったわけではないが、利発なアリシアは僅かながらも手当の出る軍学校へ入学し、家計への負担をなるべく減らそうとして夜は酒場で働いている。


 もちろん、友人にはひた隠しだ。

 わざわざ、軍港カルフィールから汽車で隣町のフォルクまで出向いているのもそのためである。


「アリシアちゃん! そこのお客様ご案内して」


「は、はいっ! セレナさん」


 この酒場”かじりかけの果実"の女将であるセレナ自身も、なんとなく事情を察していたが、それでもアリシアを雇ってくれている。


「いらっしゃいませ! 何名様でしょうか?」


「おーアリシアちゃん 今日もきたぜぇ」「今日も仕事頑張ったから慰めてくれよぉ」


「いつもごひいきにっ ありがとうございます〜」


 アリシアは看板娘である。働き始めた当初は慣れないために口数も少なく愛嬌も無かったが、仕事に馴れた今ではその器量の良さも相まって港で働く独身...いや、既婚者にもだが...労働者の癒やしとなっている。


「どうも」


 若い女性と、少し年のいった男が、店に入ってきた。


「いらっしゃいませっ! お二人ですか?」


「ああ」


 男がこたえる。アリシアは、二人をカウンター席へ案内した。


「ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」


 いつもの常連客うるさいのにはわざわざ案内することのない文言だが、初めて見る顔であるこの二人にはしっかりと挨拶をする。二人は度数の弱いお酒と差し障りのないおつまみが店にあるかをアリシアに確認して、そのまま注文した。


「変な客だね」


 セレナの声がバックヤードに戻りかけたアリシアを呼び止めた。


「そうですね」


 アリシアも声をひそめて返事をする。わざわざ店員を呼び直す手間を嫌ったあの注文方法、そしてこの街には似つかわしくない締った体つきの男女。


 時々、街の酒場は政治家や密偵の密会に使用される。人の出入りが激しく、騒がしいため目立たないからだ。セレナとアリシアはあの二人も何か立場のある人なのだろう、と判断して他の給仕にそれとなく所作に気を使うよう目配りをした。


──


 店員の言動が官憲を意識したものになったな...ととある港町の酒場で同輩と酒を呑み交わしていたアルガイルは感じ取った。

 カルラが持参した『ひかりりの香水』には「周囲の人の自分に対する認識を阻害する作用がある」そうで、「先の大戦」で(主に悪い方向で)一躍有名になったアルガイルが若い女と酒を飲んでいても目立たないようにとのことだった。


「そんなに気にしなくても傍から見たら男と女じゃなくて親子ですよ」


 少し身構えた姿勢を取ったアルガイルを見たカルラがそう言って茶化す。


「俺のほうが問題なんだよ。 世間に顔も知れているし」


「アルが自意識過剰なの!世間の皆が興味あるのはそこらへんの女を犯した変態将校じゃなくて飛龍兵団のイケメンエリート兵長だから」


 カルラは酒に酔いやすい。弱くはないが、飲むと少し...節操がなくなる。が、アルガイルは恥じながらも重い性格のアルガイル自身までも明るく照らしてくれるようなカルラの自分との付き合い方に感謝し、心地よさを感じていた。


「...それも、そうだな」


「でしょ〜」


 ニヤけるカルラ。


「で、そんな話よりも今日の件だ。 これは一体どこまで話が通ってるんだ?」


 アルガイルが「カルラがカルフィール軍学校で勧誘をする」という話を教頭から聞いたのがその日──今日の朝だったのである。


「所長さんは知らないと思うよ」


「あ゛?」


「あ、いや、その、先に...皇帝サマにだけ話を通して突っ走ってここまで来ちゃったから」


「また...何をしているんだお前は...」


「いいじゃ....


 カルラの返事は近くの席で酒を飲み酔っていた男の口上に思い切り遮られた。


『やぁあい、近くのものは寄ってでもきけいぃ ここにいるは帝国の革命児ケルケハルト様だぁ!』

 30代ごろに見える、よごれた仕事着を着崩した男が、机の上に登って演説をし始める。


 周りにいる男どもも「よっ」とか「いいぞ〜」と言って煽り始める。

 アルガイルとカルラはそれをポカンとした表情で見つめていた。


『俺が何を考えているかって? そりゃあ、このくさっ、くさった国を転覆することさっ!』


 そこまで聞いたところでアルガイルが素早く立ち上がって男たちのところへ向かおうとした。国家反逆罪未遂...警察の悪意次第では不敬罪も乗りかねない。ところが。

 立ち上がる前に店の女将に制止された。


「やめときな。 あいつらはいっつもあんなこと言って鬱憤を晴らしてんだ。何も本気じゃないし警邏けいらも見逃してくれてるよ」


「しかし...!」


「私達はアンタ達が何者かは知らないけれど、大体の身分は察しているつもりだよ。 だけどね、だからって場末の酒場こんなばしょのしょうもない話にいちいち付き合うのも取越苦労ってこった。掘り返したってあいつらのうちにはその日の小銭くらいしかないよ」


「って言ってるよ」


 カルラまで同調してアルガイルを押し止める。

 アルガイルも、流石にお固くなりすぎたと反省して女将に軽く謝った。


「そうだな。 漁民にも安心できる場所がなければな。 早計だった。申し訳ない」


 そういったアルガイルを見て、女将は笑いだし「いいさね!」と言った。

 

──


 少しイレギュラーはあるが、酒場の夜はいつもどおり更けてゆく。

 ただ一人、お盆を持ったまま青ざめている少女を除いて。

 

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