「陽富に触られたら、……ヘンになる、から」

第44話 幼馴染は独りにしたくない◆

 ※ ※ ※ 満月みつき視点 ※ ※ ※



 もう六年以上も前のことなのに、小学四年生の夏休み中のことをいまでも鮮明に思い出せる。

 陽富ひとみのお父さんがいなくなってしまって、まだ日が浅かった頃。

 大切な家族を失ってしまった陽富が、誰にも悟られることなく、ゆっくりと塞ぎ込みかけていた頃。


 あたしだって、ちゃんと気づけていたわけじゃなかったと思う。

 相手の心の機微を繊細に慮れるほど、殊勝な子どもではなかったはずだ。

 だけど、ふと想像してみたのだ。

 もし、もしも自分の親が突然いなくなってしまった時──果たしてあんなふうに、いつもとなんら変わらない調子で、毎日を笑って過ごせるのだろうかと。


 夏休みでもここへ来れば誰かしらの友だちと会えるというような、お決まりの遊び場だったアスレチック付きの大型公園。

 そこの広場でボールを持ったまま友だちと楽しそうに話している陽富を見て、考えて、そしてゾッとしたのだ。


 意外と自分の胸の内を話してくれない、あたしの幼馴染は。

 あの広すぎる家の中でも、ひとりで、そんなふうに穏やかに過ごせているのだろうか。

 ひたすらに静かで冷たい夜の狭間で、寂しさや苦しさ、遣る瀬無さに力なく押し潰されそうになったり、しないのだろうか。


 そして押し潰されてしまう前に────あいつはちゃんと、誰かに助けを求められる?


 ……たぶんそんなこと、あいつは考えもしない。



 小学生の夏休みなんて、友だちと会わない日のほうが圧倒的に少ない。

 また明日も同じ時間、同じ場所で待ち合わせる約束をして別れるのがふつうだった。

 誰よりも気心が知れていて殊更仲のよかったあたしと陽富は、家が近いのもあって、その行き帰りも大抵一緒だった。


 ──『ねー、陽富んち、いま誰もいないでしょ? お泊まり会とかしよーよ』


 母親である晴芽はるめさんが出張に行った。

 そう陽富から聞いて、それから何日も経過した、帰りのことだった。

 あたしは自分の家の前で、やっと、ずっと喉のあたりで留めたままだった提案を陽富に投げかけた。


 ──『え? 俺んちで?』


 帰ろうとしていた陽富は、きょとんと目を瞬かせた。


 ──『じゃなくて。うち来いよってこと』

 ──『……満月の家? それママさん知ってんの?』

 ──『知るわけないじゃん。これから言うもん』

 ──『えー……、そんな急に行ったら絶対困るでしょ……。いーよいーよ』


 苦笑して、当然のようにやんわり断られた。

 陽富は昔っから、傲慢さも持ち合わせていなかった。

 いや、もしかしたらそんな部分すらも、隠して押しとどめていたのかもしれない。

 本当に、ただの、いい子だった。ずっと。

 そういうところにイラッとしなかったといえば、嘘になる。

 いい子であることがいいことだなんて、あたしは少しも思っていなかったから。というか、そういうふうに育てられてきたから。

 ものわかりのいい幼馴染にそれを、どうにかして教えてやりたかった。


 ──『無理。あたしが決めたから、もう決まった』


 遠慮する陽富の腕をこちらは遠慮なく掴んで、そのまま家の中に連行した。


 ──『こーわっ。パワハラだパワハラ!』

 ──『あーもーうるせーっ。近頃のガキはすぐはらすめんとはらすめんと言う。もうハラハラじゃんハラハラ!』

 ──『ハラハラ』


 あたしの適当な言葉を反芻して、ツボにはまったらしい陽富にあたしもつられて笑っていたら、リビングからママが出てきた。

 ママに事情を説明すると、ママから晴芽さんに連絡してくれて、そしたらもうトントン拍子で、出張が終わるまでの期間は陽富をうちで預かることになった。


 陽富と過ごす夜はめちゃくちゃ楽しかった。

 いつもはすぐにやめなさいって言われるゲームだって、陽富がいれば長時間できるし、ママが見栄はって夕食ちょっと豪華にしてくれるし、食後にデザートまで出してくれる。

 なにより日が落ちきっても陽富とずっと一緒に遊べるのが、眠るまでずっと話していられるのが、ワクワクが止まらなくてうれしかった。

 このままうちの子になればいいのにって、本気で思ってたくらい。

 晴芽さんが帰ってきたら、一緒に、うちに来ればいいのに。

 ……そしたら陽富が寂しくなる時間なんか、もう、一秒だって与えないのに。



 ──『パパさんとママさんがいんの、いいよなあー……』


 あたしがそんな楽観的な空想を胸にいだいていた一方で、陽富は、あたしの立場を羨ましがっていた。

 あたしの部屋の、あたしのベッドの横。

 カーペットの上にママが敷いてくれていた布団の中で、ぽつりと、なに気なくを装って陽富が呟く。


 ──『……いーでしょ』


 やっぱり、寂しい?──なんて、そんな当然のことは訊けなかった。

 陽富のお父さんの話題を掘り下げてしまったら、きっと陽富が隠してる傷口を抉ってしまう気がして無理だった。

 というか、あたしのほうがまた、泣いてしまいそうだったから。

 ……だから、代わりに。


 ──『……あのさー、床で寝んの、かたくない?』


 コロンと寝返りを打ったあたしは、自分より低い位置にいる陽富の顔を覗き込んだ。


 ──『え? そうでもないけど。布団あるし』

 ──『でも、ベッドのが絶対いいでしょ』

 ──『……そりゃあ、まあ、……そうだろうね』


 しばし沈黙が訪れる。

 じっと、薄暗い中ただ目を合わせるだけの時間だった。

 だけど、それでちゃんと察されたと、思う。考えていることを共有できた気がしたから、再び唇を開いた。


 ──『こっち来れば、いいじゃん』


 口にした瞬間ちょっと緊張を感じたけど、努めてふつうの調子で誘った。

 だってべつに、おかしなことなんて言ってない。

 女子の友だちとお泊まり会する時だって同じベッドで寝るからふつうだし、まあ陽富は男子だけど、男女の違いとかまだあんまピンとこないし、なんなら一番仲いい友だちなんだし。

 それこそ低学年の時は、お互いの家で何回も一緒にお昼寝してたし……だから、全然ヘンなことじゃない。

 大仰にからかってくる男子だって、陰でおもしろおかしく噂を流す女子だって、この場にはいない。

 あたしと、陽富しか、いないから。


 ──『……満月がいいなら、いい……けど』


 もしかしたらあたしと同じくらい、陽富の中でも言い訳を並べていたのかもしれない。

 たっぷり時間をかけて、かろうじてそれだけ、返された。


 ──『あたしがいいならってなに?』

 ──『ベッド、狭くなるじゃん』

 ──『そんなのたいして変わんないよ。陽富ちっちゃいし』

 ──『いや、満月よりは背高いからな俺』

 ──『いやいや誤差じゃん。一センチもないもん』


 そんな軽口を叩きながら、気が変わらないうちに起き上がって、陽富の腕をグイグイ引き上げた。

 陽富はあたしよりも照れた様子で、それでもちゃんとベッドの上に登ってきてくれた。

 あたしはつられた照れを誤魔化すようにふふっと笑いを零して、陽富のほうを向いて寝転がる。

 陽富も隣で同じように横になったから、タオルケットをふたりで被って、それから見つめ合った。


 ──『……今日めっちゃ楽しかった』

 ──『……うん。俺も。あんな笑ったの、久しぶり』


 髪が短いから女の子には間違われないけど、陽富は晴芽さん似でかなり可愛い顔をしていると思う。

 その大きな瞳の真ん中に、あたしの顔が映っているのを見るのが、……なんとなく、好きだった。


 ──『もう陽富このままうち住んじゃえば?』


 本気だったけど、冗談として言った。

 叶わないのはさすがに、わかっていたから。


 ──『じゃー住みつこっかな』


 陽富も冗談っぽく笑いながら、同調してきた。

 そのあと、長いまつ毛が震えて、ため息混じりに。


 ──『……満月と、家族だったらなー……』


 すごくすごく小さな声で、陽富は本音を吐露した。

 そんな幼馴染の言葉に、あたしは胸の奥がひどく収縮するのを感じた。

 ……なんだか無性に、抱きついてしまいたく、なった。


 だって、ふつうに、無理だろって否定が返ってくるんだろうと予想していた。

 陽富だってこのまま一緒に住むことが実現するなんてちっとも思ってないだろうし、だから、冗談としてでも同じ気持ちを返してくれたことに、びっくりして。


 ……気づいたら手を、伸ばしていた。

 あたしのふいの動作に、陽富がわずかに、身じろぐ。


 ──『……よーしよーし』


 ペットを可愛がるみたいに、わしゃわしゃとあえて雑に陽富の頭を撫でてやった。


 ──『っ……なにし、てんの?』

 ──『え? あたしの弟になりたいんでしょ?』

 ──『なんで弟……。同い年なんですけど……』

 ──『だって先に生まれたのあたしだし?』


 ちょっと乱れた前髪の奥から、陽富があたしを見つめる。


 ──『……いやいや、誤差じゃん』


 髪を手櫛で直しながら、苦笑するように頬を緩めたその表情は、ほんのりやってきた眠気からか、完全に油断しきっているように見えた。

 トクトクと少し速いくらいだったあたしの中の鼓動が、その音を、強くする。

 自然と思った。

 もっと、触れたい。


 ちゃんと安心させたい。

 たぶん……拒否はされない。


 あたしが動いたら委ねてくれそうな、気がした。


 ──『……………………』

 ──『……………………』

 ──『…………もう、寝る?』

 ──『…………うん』


 だけどどんなふうに陽富に触ればいいのか、幼かったこの頃のあたしはまだ、全然わからなかった。

 ふざけてスキンシップをとることはあっても、日頃からベタベタしていたわけではもちろんないし、……やっぱり男女ではすごく、違うのだと。

 漠然とした差を、感覚的に、でもはっきりと実感した。


 ──『……満月』

 ──『ん?』

 ──『……ありがと。いろいろ』

 ──『……、んーん?』

 ──『おやすみ』

 ──『……ん。おやすみ』


 ありがとう、と陽富が思ってくれていたことに、内心ほっとした。

 陽富が目を閉じる寸前まで、あたしを見つめていたことに、胸がどうしようもなく甘く鳴った。

 そうしてらしくなく持て余した感情をうやむやにするように、あたしも薄暗闇の中、そっと瞼を下ろした。


 絶え間なく降り積もっていたものに、意味を与えたのはこの夜だったと思う。

 自覚を持って、自分の意思で、形成してしまった。

 陽富のためだとか言うつもりはない。

 ただのまっすぐな、あたし自身の願望だ。

 間もなく寝息を立てはじめた陽富の穏やかな寝顔を、再び目を開けて見つめた時──それが自然であるかのように芽吹いた、心からの願い。



 あたしが、陽富の家族になりたい。

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