第43話 天使すぎる義妹が小悪魔すぎる
わかってる。
ひどく、勝手なんだと思う。
我がままで、自己満足で、都合よく理想を押し付けている。
それを壊させてでも、紅羽と家族になりたいなんて、非情なほど押しつけがましい愛情だ。
……だから。
だったら、俺だって。
「それ、でもわたしはっ……おにぃちゃんのこと、諦められ、ません……っ」
紅羽の感情を、全部受けとめてやらなきゃいけない。
いつか、家族としての親愛に変わってくれるまで──責任を持って、包み込んでやらなきゃいけない。
「……うん。どんな気持ちでも、紅羽が向けてくれるなら全部受けとめる。同じものは、返せないけど……兄貴としてだけど、ちゃんと向き合うから。だから無理に無くそうとしたり、抑え込んだり、しなくていいよ」
「……で、もっ……それじゃあなたを、たくさん困らせてしまいますっ……」
「いいよ、そんなこと心配しなくて。家族なんだから、これから先、いくらでも困らせていい。嘘つくのも、隠しごとするのも……些細なこととか、逆に大事な理由があることなら、いいよ。そんなことで紅羽を嫌いになったりするわけねえから、絶対」
不安がる紅羽の小さな頭を、抱きしめたまま落ち着かせるように優しく撫でた。
こんなにも、可愛くてしょうがない。
大切すぎて、なにがあっても守ってやりたいと思う。
このなにものにも代えがたい感情を教えてくれたのは、この子たちだ。
「俺は紅羽のこと、ものっすごく可愛いと思ってるから、ちょっとしたことなら全然許せる。それで、……もし目に余るようなら、兄貴としてちゃんと叱ってやる」
「……っ……ほん、とう……ですか?」
「本当だよ。紅羽がどんな悪いことしても、俺は絶対に見放したりしないし、ずっと付き合ってやるから。……その気になったら、妹として遠慮なく、全部預けてくれていい」
異性としては応えてやれないけれど、家族としてなら、紅羽が望むものを、紅羽に必要なものを、なんでも惜しみなく与えてやりたい。
いままで父親から、与えてもらえなかった分。
感情を押し殺して、我慢して、諦めてきた分。
これから先、ずっと、いくらでも。
言い聞かせながらしばらく頭を撫で続けてやっていたら、紅羽はおそるおそる甘えてすりつくように、俺の胸元に頭を預けてきた。
「……おにぃ、ちゃん……」
そして小さな鈴の転がるような声で、そっと俺を呼ぶ。
まだ涙で不安定なその声音には、それでもたしかな安心感が、滲んでいた。
……めちゃくちゃ、可愛すぎる……。
「もう少しだけ……抱きしめたまま、聞いてもらっても、いいですか……?」
「うん……? うん、なに?」
「わたし、おにぃちゃんに謝らなきゃいけないことが、……もういくつかあるんです」
「…………え? その前置き、だいぶ怖いな。なに……?」
紅羽は少し緊張混じりに、小さく息を吸った。
「おにぃちゃんを眠らせて襲った時……、本当は写真を撮っておいて、弱味を握るつもりでもいたんです。……もしもの時には、脅しをかけられるように」
「脅っ……もしもの時ってなに!?」
「……おにぃちゃんが……、わたしを好きになってくれなくて、それどころか
「……………………」
絶句するしかなかった。
そういえば……目が覚めた時、紅羽が俺の上でスマホ操作してたっけ。
あれって脅す用の写真撮ろうとしてたからかよ……!!
怖すぎて血の気が引いてきた……けど、いやでも、これは……、俺が怒ることではない、気がしてくる。
手段がマジで犯罪的でアウトとはいえ。
でも、あの時点ではほぼ初対面の男なんだから、信用できずに警戒されることは重々承知だったし、ちゃんと万一の時に備えてくれていたのなら、兄としてはむしろ褒めてやるべきなのではないかとすら思えてくる。
自分が危険に晒された時のことは考えず、姉のためだけの用心だったのが、ポンコツらし──いやっ、紅羽らしいが。
義妹ふたりとも絶世の美少女すぎるのだから、防犯対策なんて過剰なくらいがいい。
登下校中はずっと防犯ブザー握らせたいくらいなのだ。
「……あと、おにぃちゃんの部屋に、一時だけですが盗聴器も仕掛けました」
「それはさすがに叱るわっ! 一時っていつ!?」
「おにぃちゃんが白羽姉さんとお買いものへ行ってから、おにぃちゃんを眠らせるまでの間です」
……なんっ……でだ……!!
俺、出かける前に紅羽に『ふたりとも悪事をはたらくような非常識な人間には見えねえ』って話しなかったっけ!?
そんなこと言われたらふつう抑制されない?
公衆トイレの『いつも綺麗に使ってくださりありがとうございます』の張り紙の意味とか考えたことない!?
「もちろんいまは取り外していますし、脅すための写真も、撮っていません。……おにぃちゃんは絶対、白羽姉さんを襲ったりしないって、わかったので」
「うん、わかってくれたのはほんっとよかったけど……! そもそもなんで盗聴器とか持ってんのお前……っ」
ツッコみがまるで追いつかない。
「盗聴器は……、普段、白羽姉さんの制服にもつけているんです」
「…………はあ!?」
ツッコみがまるで追いつかないっ!! !!
「も、もちろんそこは合意の上ですよっ? わたしが心配性なのを白羽姉さんは知ってますし、中学に上がってからずっとなので、きっとふつうのことだと思って抵抗なく受け入れてくれてます。白羽姉さんからもオフにできる仕様ですが、一度も切られたことはないので、もしかしたら盗聴器の存在自体を忘れちゃってるかもしれません」
……ここに来てやっと、たびたび紅羽が言っていた『盗み聞き』の意味がわかってしまった。
つまり紅羽は、大切な姉に危険が及ばないか、常にチェックしてるってことで。
そして……白羽自身と、白羽の周囲の人間のプライバシーは、常に皆無ってことだ。
だ、だめだろ!! さすがに!!
……だめだよな!? いや、防犯目的ならセーフなのか!?
価値観やこれまでの環境が想像の範疇を超えて違いすぎて、なんかこっちの考える基準が正解なのかだんだん不安になってきてしまう。
「……………………」
「し、叱って……くれますか……?」
「う……んんん、いまちょっと情報量の多さにキャパオーバーしてるから待って……。頭ん中整理して、後日ちゃんと叱ってやる……」
「後日……」
整理するついでに、いっそパワポで説教内容まとめてやろうか……。
わりと本気でそんなことを考えながら、紅羽の身体をそっと離し、彼女の顔を覗き込んだ。
瞳が潤んでまつ毛が濡れていて、目元が赤くなっている姿すら、こんなにも可憐すぎる。
……やっぱ、耳を垂らしたうさぎみたいだ。
「だから、紅羽は……ちゃんと俺の声、聞けよ」
「え……?」
俺の真剣な忠告の意味をはかりかねたように、紅羽はぱちぱちと瞬きをくり返した。
「紅羽、ストーカーにぶちギレてた時、俺の声スルーしただろ。……白羽の声にはすぐ反応したのに」
「えっ? ご、ごめんなさいっ……。ぜ、全然……聞こえて、いませんでした……」
途轍もなく言いづらそうに告白された。
「白羽の声は聞こえてたのに……」
「し、白羽姉さんの声は脳髄に刻み込まれているので……」
「そう……。うん、まあ、そりゃそうだよな……」
脳髄に刻み込まれてるならしょうがない……。
だったら、一生かけて俺の声も刻み込んでやればいいだけだ。
と自分に言い聞かせ、そこはかとなく引きずった遣る瀬無さをどうにか処理する。
「……おにぃちゃん」
そんな俺を、紅羽がなぜか、期待のこもったきゅるんっきゅるんの上目遣いで見つめてきた。
「もしかして妬いてたり、しますか……?」
「っ、は……!?」
あまりにも突拍子もない問いかけに、不覚にも顔が熱くなる。
とっさに紅羽から視線を逸らした。
「ちがっ……違うから。ちょっと、ショックだっただけで、……べつに紅羽にとって白羽が特別なのはわかりきってるし、姉妹が超仲良しなのは超いいことだし!」
「……えへへへっ。なんだか、すごくうれしいです……っ」
焦る俺とは裏腹に、紅羽は頬を染め、幸せそうにふにゃふにゃの笑顔を浮かべた。
マジで天使級に可愛すぎる──けど、うれしいってどういう意味で?
俺が、妬いたかもしれないこと?
それとも白羽との仲の良さに触れられたこと?
微妙なラインすぎる……!
「……でも」
どぎまぎしてなんの反応も返せずにいたら、紅羽がその表情にわずかな切なさを孕ませた。
「わたしは、素直にすっごく妬いちゃいましたよ」
「……え?」
「だって、おにぃちゃんと白羽姉さんがデート中ずーっといちゃいちゃしてるの、ずーっと聴かされてたんですもん」
「き、聴かされてたって……それ盗聴だろ!? そもそもデートする計画は紅羽が考えたんじゃん!?」
「そうですけどっ……妬くものは妬くんですっ。言ったでしょう、わたしはやきもち焼きなんですよっ」
これ俺が怒られんの!?
い、いや……っ、逆に勝手に盗聴されてた俺が怒るとこだろ!
思い返したら好きな人の話とかふつうにしちゃったし……!
至極真っ当な反論をしたはずの俺に、紅羽は今度はいじけたようにぷくっと頬を膨らませてくる。
そんなむくれ顔まで、激しく可愛いんだから本当に困る。
「すっごく、すーっごく妬いたので、……おにぃちゃんが白羽姉さんにさせたこと、わたしにもさせてくださいっ」
「白羽にさせたこと?」
「はいっ」
デートしろ、……ってこと、だろうか?
言い回しがなんかちょっと引っかかるが……、まあ、白羽としたデート内容は兄妹としてでもできるようなことばかりだし。
それで紅羽が機嫌を直してくれるんなら、お安い御用ではある。
「構わないけど……、具体的になにしたいの?」
戸惑いつつも了承し、希望のデートプランを問うた。
すると、紅羽はふわりとほほ笑んで、俺の顔を覗き込んだ。
────ぎくり、とする。
「……もちろん」
無垢だったはずのその笑顔には、いつの間にか妖艶な色が見え隠れしていた。
紅羽の指先がシャツ越しに、俺の身体に触れてくる。
「……おにぃちゃんの身体の、一部を」
その指先たちはつうっと、まるでくすぐるように、腹筋の溝を伝って下方向へと通過し──。
「わたしが口に含んで──」
思考が、止まった。
ベルトのバックル部分を、とんでもなく妖しく撫でてくる指先の動きとその感触に。
ドクリと体内の血液が、ほぼ条件反射で呼応して、しまう。
「舐める、──とか、ですかね?」
硬直した俺に、悪戯っぽい微笑でそう囁いた紅羽は、先程までとはまったく違う空気を纏っていた。
それは天使、というよりは、むしろ────。
「──お、まっ……! す、すっごいさらっと、なんつー冗談を……!! 一瞬本気で言ってんのかと思って焦っ」
「えっ? 本気ですよ?」
「…………えっ?」
一拍遅れて慌てて仰け反り、悪質なからかいを注意しようとした俺は、目が点になった。
俺が離れた分、紅羽がすかさずぐいっと接近してくる。
「だって、
「ち……っ、違わ、ない……けど……!」
「だったら、お返しに
「そっ……んなわけ!!」
なに言ってんだこの子!!
でも、すっげえ頓珍漢なこと言われてることだけはわかるのに、庇護欲を満たしたのは紛れもない事実だから対抗できるような反論が見つからねえ……!!
「心配しなくても大丈夫です。おにぃちゃんはただ、じっと感じてくれていたらいいのでっ」
「ぜっ……全っ然よくねえからな!? 絶対だめ!!」
「構わない、って言ったのはおにぃちゃんでしょう? すでに言質は取りました」
「……っま、さか、お前……盗聴器……っ」
「ふふっ、言い逃れなんてさせないです。約束はしっかり守ってもらわないと。とっても楽しみですねっ、ふふふっ」
うさぎのぬいぐるみを両腕で抱きしめ、紅羽は心底楽しそうに笑い声を零している。
どうしよう、はじめて見るレベルの明るさ満点の笑顔だ。
そこまで無邪気な顔をされてしまうと、ついついなんでも許してやりたく──っていやいやいや!! !!
気をたしかに持て!! この子の兄貴だろ、俺っ!!
「紅羽、頼むからちょっと頭冷やして考え直せ! そもそも付き合ってない相手にそんなことしていいわけ──」
「白羽姉さんには指を舐めさせたのに、ですか?」
「っ……!」
「怖気づいていまさら撤回するなんて、なしですよ? 男に二言はない、と言いますし。それに……わたしの気持ちを全部受けとめてくれる“お兄ちゃん”なら、当然でしょう?」
「…………っ!!」
冷や汗をかきつつどうにか逃れようとしても、退路を完全に塞いでくる。
……それはまるで危険な小悪魔が、罠に堕として誘惑するかのように。
「ちゃんと覚悟、しててくださいね? ──おにぃちゃんっ」
天使すぎる義妹は甘い瞳で俺を見上げ、──それはそれは愛くるしく、笑ってみせた。
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